まるで 《ジュラシック・パーク》 のような。。。

2010年09月15日 | サトヤマ,サトヤマ
 我が愛車のMTBがまた壊れてしまった。こんどは前輪ディスク・ブレーキの破損である。アチャー,またかよ! などと,いささか品のない言辞が思わず口をついて出てしまう。そんなに荒っぽい乗り方をしているわけではないんだがなぁ。。。 やっぱ,そろそろ車体全体の寿命なのかなぁ。。。。 ブツブツ

 ここ数年来,MTBライダーとしての経験値を,自己流ながらそれなりに重ねて来たツモリではあるものの,ことマシンのメカニカルな点検・整備に関してはハズカシナガラ未だほとんどエンドユーザの身を託っているワタクシとしては,本来であれば前回(昨年の春)壊れたときに修理&点検整備をお願いしたプロ・ショップに今回も持ち込むべきであろうけれども,その当のマエストロが,御自身のブログによれば数日前の自転車レースで?大怪我をしたとのこと(御愁傷様です!),どうやらしばらくは対応が無理そうな様子なので(お大事に!),やむをえず当地に所在する別の自転車店に修理を依頼することにした。そこはよく知られた全国展開のチェーン店で,ママチャリ&子供自転車がメインのいわゆる一般店なのだが,当方のようなスポーツ自転車の客に対しても対応は概して丁寧であり,店全体の雰囲気としては好ましい印象を持っている。ただし,たまに訪れるたびに店員が変わっていることが多く,かつ,その店員自体に若干のアタリハズレが決してないとは申せないところが玉に瑕だ。3年前にその店でDahonのフォールディング・バイクを購入したが,そのとき大変親身になって応対して下さった小径車に詳しい店員さんは,購入後すぐに別店舗へと移ってしまい,そして現在ではネット店の方におられるようだ(この場合はむしろ栄転というべきかも知らん)。一方で,本当は専門店に就職したかったのだが今は諸般の事情によりこんなママチャリ店舗で不遇を託っている我が身かな,といった風情を漂わせた店員さんと対面することもこれまでに何度かございました。いずれにしろ,転勤辞令を頻繁に発令するというのが御社の経営方針であるとすれば,それは地域密着型自転車店という本旨と相容れないと思われ,あまり良い方策とは申せません。

 ま,そったら余計なことはさておき。 本日その店より電話があり,パーツの入荷が9月下旬から10月上旬の予定になってしまうとのことであった。 どうされます? と問いただされても,あれま,そのまま故障車を引き取って前輪ブレーキなしで乗るわけにもゆくまいし,かといって上級グレードのディスク・ブレーキに変更するほどコチラの懐に余裕はないし,やむを得ず部品が入荷するまで壊れたMTBをそのまま店で預かってもらうように手配した。

 そういう次第で,ここしばらくはクロスバイクを駆る日々となっております。車種はGiantのCRS-1(2003年モデル)で,オプションでドロヨケを付け,スタンドを付け,前カゴを付け,前後各2つのライトを付け,さらにはタイヤも700C×35のやや太目のセミスリックに換えてあるため,全体の外観はスリムなママチャリといった感じになっている。しかしながらこの一見華奢に見えるママチャリモドキは,ごちゃごちゃとオプションを付加した状態でも車重は11kg台の軽量アルミボディ,そのうえギアは前3段,後9段,ペダルも片面SPDに換装しているため,ようするに羊の皮をかぶった狼のごとき(オオゲサ,か),あるいは座頭市の仕込み杖みたいなモン(買い被り,か)でありまして,個人的にはソレナリニ気に入っている。対外的には少々ズルイ気もするケレドモ (ん?誰に対してだ?)

 ところで最近,当地においては,毎度おなじみ遠路はるばるヤビツ詣でに訪れるローディー諸兄姉とは別に,いわゆるメタボ対策中年・新自転車人とでもいうのだろうか,年の頃は40~50代のオジサンたちが結構立派なクロスバイクやマウンテンバイクに乗って街中をスイスイ走っているのにしばしば出くわすようになった。恐らくは自転車雑誌や自転車本の指南記事に示された教えに忠実なのだろう。皆さん身なり格好もそれなりにオシャレで様になっており(全身ミスボラシ・スタイルの私などとは格段の違いだ),加えて走行マナーも概してよろしい。国道,県道などの幹線道路でも臆することなくキチンと車道を走っている。地域社会のありようとしてはまことに好ましい風潮である。一方で,相も変わらず舗道上をフラフラとダッチロールしたり車道の右側を漫然と走行したりするオバサン,オネーチャンたちの脳天気ママチャリがそこここに跋扈しているわけであり,それらの自転車風景は実に好対照である。

 彼ら新自転車人に共通している特徴は何だろうか。ツーキニストの伝道師たるヒキタ@ピカピカ氏は,彼らは一様に「ガニマタ走り」をしている(すなわちサドルの位置が低い)などと指摘しておられるようだが,その観察は少々穿ちすぎ,というか多分に受け狙いのところがあるように思われる(テレビ屋の性分といえばそれまでか)。ガニマタ走りなんてぇ不格好な新自転車人は,少なくとも当地においてはほとんど見られない(サルじゃないんだから)。いたとしてもごく一部であり,大部分の方々はそれぞれに格好よくキレイなフォームで軽やかにニコヤカに走っている。

 私が彼らを眺めて多少の違和感を覚えるとすれば,ケイデンスが一寸低いかな,といった程度のことだろうか。それなりのスピードを出して走っているのだけれども,そのペダリングは概してユックリユッタリで,言葉を変えれば悠揚として優雅な漕ぎっぷりなのである。断っておくが,これは市街地の生活道路,裏通り,あるいは郊外のイナカ道でのことではなく,国道246号などの幹線道路を走行している時の話である。常日頃,決してケイデンスが高いとは申せぬ私の目から見ても,その走行には若干のモドカシサを感じる。これは想像するに,指南書のなかに「走行中のケイデンスは基本的に高くすべし」と記されていることは恐らく承知しているのだろうが,実際にそれを実行するのは多少気恥ずかしいと彼らは感じているのかも知れない。あんまりクルクル回すと,まるでMTBモドキに乗って得意になっている小学生みたいじゃないか,と。

 その結果どうなるか。坂道の多い当地においては,登り坂になると彼らのスピードはてきめんに低下し,必然的にママチャリモドキの私が彼らを追い抜く機会が多くなるというわけだ。(あ,まるでローディー気分だ,なんてバカ言ってんじゃないよ!)。 いや,それだけなら単に一笑に付されるだけのバカバカしいエピソードに過ぎないが,むしろ特筆すべきは,幹線道路においては,彼らのユッタリとした走行ぶりはムチでセッカチでゴーマンな(一部の)ドライバーから「車道をタラタラ走ってるんじゃないよ!」と邪魔者扱いされる恐れが多分にある,という点なのだ。のみならず,そのゴーマンな邪険さは自転車人全体に対する印象へと伝播し,執心し,定着しかねない。そのことを私は懸念する。現行の主要幹線道路における基本設計の欠陥(自転車走路を無視した線引き等),道路整備ならびに維持管理の慢性的立ち後れ(路肩部のコンディションの悪さ等),加えて道路交通法遵守の不徹底(自転車通行に対する軽視等)などなどをツラツラ鑑みるに,幹線道路を走行する我ら自転車人にとっては基本的にクルマ・ドライバーの95%は現状ゴーマニストであると認識すべきでなのある。それゆえ,新自転車人におかれては幹線道路を走るときは今一層の緊張感を持ってほしいと願うものである。

 いや,身分も立場もわきまえず随分とエラソウナなことを縷々申した。イカンイカン。ここらで標題の話に移らせていただくが,かくのごとくにクロスバイクを毎日の自転車生活のメインに据えるようになったからといって,それでもやはり町中を走るだけでは物足りないものだから,懲りもせずに野山にズンズン分け入ってゆく日々なのであります。あまりハードすぎるダートコースはしんどいけれども,少しくらいの凸凹道だったら迷わず構わずクロスバイクで通り抜け,走り回ってしまう。

 丹沢山地の南部に位置する当地においては,ここ数年来とくに目立っていることだが,山麓地の農道や山道に沿って獣除けの簡易柵(ネット)が縦横に張り巡らされるようになっている。のみならず,里地と里山を区切るところには必ずといってよいほど開閉式ネット・ゲートが設けられていて,我らサトヤマ・ライダーの通行を阻んでいる。それは通常の林道ゲートのようにクルマの通行遮断を目的としたものではなく,シカやイノシシなど獣類の往来を防止するためのものであるがゆえ,ゲート自体も隙間なく全面ネットで覆われ閉じられており,ゲートの脇から自転車ごとチョイと摺り抜けるというわけにはゆかない。そのため,そこを通過するには各自がいちいちネット・ゲートの開閉を行う必要があるが,それがまた場所によっては番線でガッチリと固定されていたりして,開閉には少々手間がかかることもある。

 一昨日,伊勢原市内の大山山麓の山中を走った折のことである。そこは初めて踏み入る山麓地の林道だったが,御多分に漏れず獣除けの簡易ネットゲートが途中に設けられていたので,一旦ゲートを開けて自転車を中に入れ,再びゲートを閉めてからさらにその先へと漕ぎ登っていった。頃は夕刻,空は曇天。林内は薄暗く,人気はまったくなく,ただ二,三の鳥の鳴き声と風にざわつく木々の音が聞こえるばかりである。ああ,そろそろクマさんたちが里に下りてくる季節だなぁ,とふと思った。彼らにとって,この山地と里地とを仕切っているゲートの内側エリア,すなわち今私が自転車を漕いでいる場所は,いわば自分らのナワバリのようなものだろう。そのことを改めて考えると,先ほど通過したゲートが,まるで《ジュラシック・パーク》への入り口であったようにも感じられて一瞬身の引き締まる思いがした。当方,心情的にはアナキスト・シンパゆえ,特段の武器は持たない(鉞もなければ猟銃もない)。自転車本体は当然ながら相応の武器とは成り得ない。いちおうクマ鈴はハンドルバーに括り付けているけれども,そんなものがイザという時どれほどの役に立つであろうか。

 ちょっとシミュレーションしてみる。山中の林道をMTBでゆっくり登っている途中で,前方やや遠くに一頭のクマの姿を認めた。彼我の距離は70~80mくらいだろうか。さて困ったゾ。この場でしばし動かずにじっと止まり,クマの方が先に立ち去ってくれるのを待つべきか。現在の距離間隔ではまだ多少の余裕がありそうだが,もしクマがこちらに向かってきて距離を詰められたらどうしよう。あるいはここは一転,即座にきびすを返して下り坂を一気に駆け下りて逃げ去るべきだろうか。未舗装の林道でもMTBならかなりのスピードが出せるはずだ。しかしながら,ここにおいて獣除けネット・ゲートの存在が問題となる。ゲートが設置された場所まで急ぎ辿り着いたとしても,MTBから降りてゲートを開けるのに少々時間をとられてしまう。私が大慌てでゲートを開けようと焦っているとき,その背後には私を追いかけてきたクマさんが余裕でほくそ笑みながら直立しているというわけだ。その後の展開については,あまり考えたくない(汗)

 何の話だったか。そうそう,サトヤマに《ジュラシック・パーク》なんか作ってどうする! ということを,ここでは言いたかったわけであります。まるで南北国境を厳密に仕分け区分するような防獣柵ならびに防獣ゲートの存在,それは私どもの日常生活空間を不自然に歪めているのみならず,私たちの地域社会を逆の意味で意図的に狭め,囲い込んでいることになりはしないか。サトヤマ・サトヤマ!などと声高にエラソウニ主張する前に,サトヤマ礼賛諸氏ならびにサトヤマ関連諸団体の方々はチョット考えていただきたいものだ。里地里山におけるマージナル・ゾーン(境界領域)はあくまで自然であるのがよろしい。 と,これはサトヤマ徘徊老人のまことに手前勝手な言い草であることは重々承知しておりますケレドモ。。。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日常に組み込まれた「邂逅」... | トップ | ヤモリが夜蛾を咥えていた。 »
最新の画像もっと見る

サトヤマ,サトヤマ」カテゴリの最新記事