今朝方のこと,起きがけに机上のPCを起動してネットを立ち上げたところ,Webのホームに設定してあるYahooページの画面の一角に《別れの「白線流し」》という写真が貼り付けられていた。その配信記事は以下のとおり。
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岐阜県高山市の県立斐太(ひだ)高校で卒業生らによる伝統行事「白線流し」が1日、同校前を流れる大八賀川の川岸で行われた。
卒業生280人が学帽の白線やセーラー服の白スカーフを結んで川に流し、母校に別れを告げた。
白線流しは70年以上続く伝統行事で、テレビドラマのモチーフにもなった。卒業式を終えた3年生が川岸に整列し、在校生が惜別の歌を合唱した。
卒業生代表が「流す白線は3年間の思い出が結ばれた友情の証しで、新たなスタートラインでもある」とあいさつ。卒業生たちは「ありがとう」などと大声を出しながら、クラスごとに結んだ白線を次々と川に流し、変わらぬ友情を誓い合った。
(読売新聞 3月1日20時36分配信)
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あれま懐かしい。そうか,もうそんな季節になったのか。。。
いえ別にワタクシは岐阜県立斐太高等学校の関係者とかではございませんし(大学時代の知り合いに同校の出身者がいたけれども),あるいはTVドラマ『白線流し』の制作に関係したというわけでも勿論なく,単なる一介の市井人,すなわち全国400万人(推定)の当該ドラマ視聴者のうちのひとりであったに過ぎません。
もう20年近くも前のことになるのだろうか,当時の私は連日連夜次から次へと種々雑多な仕事に追いまくられている自転車操業的零細個人自営業者をやっていたのでありますが,そんな忙しい日々のさなかにあって,酒井美紀や柏原崇,京野ことみや中村竜,それからおっと忘れちゃいけないTOKIOの長瀬クン,そんなキラキラした彼女ら彼らが出演していた地方都市を舞台にした一寸古風でちょっぴりホロ苦い青春ドラマを,些かのジェネレーション・ギャップを感じながらではあるが,それなりに興味深く,あまつさえ幾つかの場面では若干の感情移入なんぞも交えながら,結構こまめに視聴していたことを今ここに白状しなくてはならない(いや全くオ恥ズカシイ限リ!)。主題歌を唄っていたのは草野マサムネ@スピッツ,でしたね。何やらラングドック地方の片田舎の若い牧童みたいなノホホンとした擬かしい声(意味不明)が,なかなかに良い雰囲気を醸しだしていた。
テレビドラマの舞台となった町は,実際に昔も今も『白線流し』が行われている飛騨高山市ではなく,そこから北アルプスを越えた東側,信州の松本市という設定に変えられていた。まぁ,風景映像的な「見栄え」からすればそれも致し方ないことではあったのだろう。ネットのWikipediaでチェックしてみたら,テレビでは1996年に連続ドラマとして3ヶ月間,計11話が放映され,それからそのあとスペシャル・ドラマの形で断続的に2005年までに計5話,あわせて約10年間にわたって放映されたということだ。同じくネットのYoutubeを見れば,そこでは18才から27才にかけての酒井美紀の可憐な姿を拝見することができる。ハイティーンからヴァンサンカンへ,若いオンナノコのそんな成長ぶりをPCモニタを通じて眺めていると,何とも複雑な心持ちがする。
じつは,そのドラマとほぼ同じ時期,それは二十世紀が終わりを告げようとしている頃でありましたが,一級河川神通川水系の上流域,岐阜県高山市内を流れる宮川および大八賀川における生物調査を数年にわたって行っていたのだった。都合10回以上は遠路ハルバル飛騨高山へと出掛けただろうか。高山の市街地を流れる中流域のみならず,山間部の上流域,さらには源流部に至るまで,あの川筋はかなり丹念に歩いたものだった。魚類,底生動物,付着藻類,水草などの通常の水生生物調査はもとより,夜間にヤマメOncorhynchus masou masouの集中採捕調査を行ったり(もちろん夜間採捕は違法行為になるので,県の特別採捕許可は取っておりましたが),あるいはアジメドジョウNiwaella delicataやスナヤツメLethenteron reissneriなどのいわゆる貴重種に特化した詳細調査をおこなったりもした。また,流域の河川環境を把握するために川の中を悉皆踏査して瀬・淵の分布状況や河床材料を細かく記録するといった調査も行った。
実際に毎年『白線流し』が行われている斐太高校のすぐ前の水域も調査定点としており,春・夏・秋・冬,幾度となく生物調査をおこなった。その付近の水質状況は,市街地の外れに位置していることもあって,生活排水など各種雑排水の影響だろう,実のところ決してキレイとは申せない。例えば水生昆虫類ではシロハラコカゲロウBaetis thermicus,エリユスリカ類Orthocladius,その他の生物ではミズムシAsellus hilgendorfii,イトミミズ類Tubifexなどが優占的で,どちらかというと種の多様性に乏しい。また,雪解け期や代掻き期など季節による流況変動も比較的大きく,そのため生態的に見るとやや不安定な水生生物相を示している。水質階級としては,概ねβ中腐水性水域(やや汚れた水域)に相当するだろう。言葉を換えれば,それだけ「人間味のある流れ」ということだ。川水に腰までドップリ浸かって苦労して調査をおこなっているその最中に,学校前の橋を三々五々渡ってゆくイナカの女子高生たちの楽しげな姿を眺めたりしながら,そこに七倉園子の面影を探していたことも,あるいはあったのかも知れない(もうあらかた忘れてしまったケド)。 あぁ,青春が通り過ぎてゆく Ma jeunesse fout le camp...
なんて,ドーデモイイ昔話を縷々述べてしまいましたが,思い出というのは,人の記憶というものは,そんな風にしてある日ある時とつぜん甦り,そのような錯誤(錯乱?)を繰り返しながら,やがてまたどこかに消えてゆくのだろうと思う。もう私の記憶の「引き出し」は整理不能,廃棄処分真近なのではアルマイカ?
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岐阜県高山市の県立斐太(ひだ)高校で卒業生らによる伝統行事「白線流し」が1日、同校前を流れる大八賀川の川岸で行われた。
卒業生280人が学帽の白線やセーラー服の白スカーフを結んで川に流し、母校に別れを告げた。
白線流しは70年以上続く伝統行事で、テレビドラマのモチーフにもなった。卒業式を終えた3年生が川岸に整列し、在校生が惜別の歌を合唱した。
卒業生代表が「流す白線は3年間の思い出が結ばれた友情の証しで、新たなスタートラインでもある」とあいさつ。卒業生たちは「ありがとう」などと大声を出しながら、クラスごとに結んだ白線を次々と川に流し、変わらぬ友情を誓い合った。
(読売新聞 3月1日20時36分配信)
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あれま懐かしい。そうか,もうそんな季節になったのか。。。
いえ別にワタクシは岐阜県立斐太高等学校の関係者とかではございませんし(大学時代の知り合いに同校の出身者がいたけれども),あるいはTVドラマ『白線流し』の制作に関係したというわけでも勿論なく,単なる一介の市井人,すなわち全国400万人(推定)の当該ドラマ視聴者のうちのひとりであったに過ぎません。
もう20年近くも前のことになるのだろうか,当時の私は連日連夜次から次へと種々雑多な仕事に追いまくられている自転車操業的零細個人自営業者をやっていたのでありますが,そんな忙しい日々のさなかにあって,酒井美紀や柏原崇,京野ことみや中村竜,それからおっと忘れちゃいけないTOKIOの長瀬クン,そんなキラキラした彼女ら彼らが出演していた地方都市を舞台にした一寸古風でちょっぴりホロ苦い青春ドラマを,些かのジェネレーション・ギャップを感じながらではあるが,それなりに興味深く,あまつさえ幾つかの場面では若干の感情移入なんぞも交えながら,結構こまめに視聴していたことを今ここに白状しなくてはならない(いや全くオ恥ズカシイ限リ!)。主題歌を唄っていたのは草野マサムネ@スピッツ,でしたね。何やらラングドック地方の片田舎の若い牧童みたいなノホホンとした擬かしい声(意味不明)が,なかなかに良い雰囲気を醸しだしていた。
テレビドラマの舞台となった町は,実際に昔も今も『白線流し』が行われている飛騨高山市ではなく,そこから北アルプスを越えた東側,信州の松本市という設定に変えられていた。まぁ,風景映像的な「見栄え」からすればそれも致し方ないことではあったのだろう。ネットのWikipediaでチェックしてみたら,テレビでは1996年に連続ドラマとして3ヶ月間,計11話が放映され,それからそのあとスペシャル・ドラマの形で断続的に2005年までに計5話,あわせて約10年間にわたって放映されたということだ。同じくネットのYoutubeを見れば,そこでは18才から27才にかけての酒井美紀の可憐な姿を拝見することができる。ハイティーンからヴァンサンカンへ,若いオンナノコのそんな成長ぶりをPCモニタを通じて眺めていると,何とも複雑な心持ちがする。
じつは,そのドラマとほぼ同じ時期,それは二十世紀が終わりを告げようとしている頃でありましたが,一級河川神通川水系の上流域,岐阜県高山市内を流れる宮川および大八賀川における生物調査を数年にわたって行っていたのだった。都合10回以上は遠路ハルバル飛騨高山へと出掛けただろうか。高山の市街地を流れる中流域のみならず,山間部の上流域,さらには源流部に至るまで,あの川筋はかなり丹念に歩いたものだった。魚類,底生動物,付着藻類,水草などの通常の水生生物調査はもとより,夜間にヤマメOncorhynchus masou masouの集中採捕調査を行ったり(もちろん夜間採捕は違法行為になるので,県の特別採捕許可は取っておりましたが),あるいはアジメドジョウNiwaella delicataやスナヤツメLethenteron reissneriなどのいわゆる貴重種に特化した詳細調査をおこなったりもした。また,流域の河川環境を把握するために川の中を悉皆踏査して瀬・淵の分布状況や河床材料を細かく記録するといった調査も行った。
実際に毎年『白線流し』が行われている斐太高校のすぐ前の水域も調査定点としており,春・夏・秋・冬,幾度となく生物調査をおこなった。その付近の水質状況は,市街地の外れに位置していることもあって,生活排水など各種雑排水の影響だろう,実のところ決してキレイとは申せない。例えば水生昆虫類ではシロハラコカゲロウBaetis thermicus,エリユスリカ類Orthocladius,その他の生物ではミズムシAsellus hilgendorfii,イトミミズ類Tubifexなどが優占的で,どちらかというと種の多様性に乏しい。また,雪解け期や代掻き期など季節による流況変動も比較的大きく,そのため生態的に見るとやや不安定な水生生物相を示している。水質階級としては,概ねβ中腐水性水域(やや汚れた水域)に相当するだろう。言葉を換えれば,それだけ「人間味のある流れ」ということだ。川水に腰までドップリ浸かって苦労して調査をおこなっているその最中に,学校前の橋を三々五々渡ってゆくイナカの女子高生たちの楽しげな姿を眺めたりしながら,そこに七倉園子の面影を探していたことも,あるいはあったのかも知れない(もうあらかた忘れてしまったケド)。 あぁ,青春が通り過ぎてゆく Ma jeunesse fout le camp...
なんて,ドーデモイイ昔話を縷々述べてしまいましたが,思い出というのは,人の記憶というものは,そんな風にしてある日ある時とつぜん甦り,そのような錯誤(錯乱?)を繰り返しながら,やがてまたどこかに消えてゆくのだろうと思う。もう私の記憶の「引き出し」は整理不能,廃棄処分真近なのではアルマイカ?