目覚めると,周囲はいつのまにか春になっていた。。。 んなわきゃないか。
とにもかくにも,春であります。それが私にとって何度目の春になるのかは,もはや知るよしもない(知りたくもないワィ!) 時は流れ,時は過ぎゆき,人は去り,人は消えゆき。。。 ま,今年の春は私事ながら身辺イロイロと変化がございました。
さはさりながら,春は春。 今日など,朝からとても穏やかで陽気のいい日和だったので,とくに何処という当てはなけれどもまずは家を出て,自転車で野外に向けて漕ぎ出した。それが平日だろうが休日だろうが,幸か不幸か現在の私にとっては全くドーデモイイことなのであります(善良な市民の皆さん,ゴメンナサイ)。そのときは何となく県立秦野戸川公園方面にでも行こうかなぁと思っていたのだが,羽根地区あたりの畑の農道小径を,北面の前山を眺めながらノンビリと走っていたら,あらま,山が私を呼んでいる。というか,扇状地がワタシを山へと引き寄せている,といったほうがむしろ適切かも知らん。そう,「扇沢」という名の小扇状地の緩傾斜スロープの先に聳える「三角山」の,その南斜面を覆っている種々雑多な樹々たちの群落にハッキリと呼ばれたのだ。それはクヌギ,それはコナラ,それはミズキ,ヤマザクラ,ハンノキなど,若葉をいっぱい身に纏った落葉広葉樹林だ。その目にも鮮やかな新緑の植物群落が,こっちおいでヨ!と私を誘っている。金はなく気力も体力もないアワレナ老人なれども,とりあえず時間だけはタップリある(今のところは,ネ)。断る理由なぞ何もございません。すぐさま真北に向きを変えて,なかばウキウキ気分で羽根林道のほうへと向かったのでありました。 (以下,中略)
そして,夜。 午前中の羽根林道の新緑なかで「春」に囲まれ包まれ塗れ,それら生の饗宴に圧倒された至福の時をあらためて思い浮かべながら,気分はまるで晩年のセルジュ・レジアニSerges Reggianiなのである(何じゃい,そりゃ?) 実は,ずっと昔のことになるが,レジアニの13枚組全集を少々無理して購入したことがあって,むろん既に売り払ってしまい現在ではその現物自体は手元にないのだけれども,音源だけはPC内部に残っている。それを最近では,夜更けの呆け時にBGMとして流したりしているのであります。例えば彼が70過ぎになって出したアルバムの《幻の庭 La cour des mirages》から《オリヴィエへの手紙 Lettre à Olivier》へと続く,シミジミとしたホロ苦さ,メランコリックな諦念の情,そんな思いが込められたモノローグ風の黄昏歌の数々を聞き流しながら,ついつい春Printempsとか青春Vingt ansとかいうイメージが,律儀に韻を踏みながら,我が身にクロスオーバーしてしまったりするのである。それは単なるジジイの海藻,もとい回想,ようはオロカなる独り芝居を演じているに過ぎないんだケレドモ。。。 ま,それもまた春ならではの習い事として。
そういえば今日の午後,遙かアフリカ大陸の地の果てより,古い友人からの短いEメールが届いていたっけ。 どなた様も,お元気そうで何よりです!