右翼に藤原新也,左翼に関川夏央 (アサヒの日曜版の話ですが)

1999年02月15日 | 日々のアブク
 アーサヒがサンサンについて,もう一言だけ。長年の習慣としてワタクシは半ば惰性的に朝日新聞をずっと取り続けている。一時期,神奈川新聞などに変えてみたこともあったが,折込チラシ量があまりに淋しいので再び朝日に舞い戻った(何ともナサケナイ理由だ)。まだヒトリモンの頃には突如ニューメディア関連産業に興味を持って日経に変えたこともある(日経産業や日刊工業にするのはさすがに躊躇した)。結果としてニッケイヨクヨムなんてことには全くならなずに,再度出戻ってしまったけれどね。毎日については,その昔に一ツ橋のパレスサイドビル方面でイヤーな思いをした経験があり,それを未だ根に持っているので,ヨマヌハマイニチ。 それから読売? そ奴はワタクシにとって積極的に唾棄すべき存在だった。昔々,読売の勧誘員にダマサレタことがある。風邪を引いて独りアパートで寝ている時に勧誘訪問を受け,敵の甘言にまんまと引っかかってモーローとした頭でハンコ押しちまったりして。その後は私もちっとは成長し,世間の諸悪に対してちっとは寛容になったと思うが,少なくともあのバカなスポーツ面を引き裂いてからでないとヨミウリなんぞまず読む気は起こらない。

 で,アサヒについてだが,現在,日曜日の読書欄一面の右翼に藤原新也,左翼に関川夏央,名にし負うウルサガタ御両人が同じ誌面の左・右で論を張っているのがなかなかにオモシロイ。これはホンの偶然であろうか。或いは誰かの御茶目なイタズラであろうか。

 非礼を省みずに敢えて申せば,ワタクシの本能・感性・情念・心情・等々の精神領域に多少なりとも共鳴するところのあるこのお二人は,いずれも,いわゆるロゴスの世界における私の師匠筋,といって語弊があれば,テンプラ学生たる私の指導教官とでも言うべき存在である。既に立派に一家言をなし,誰憚ることなく文筆一本で食っている“プロ”であるからして,その物すところの文章は常に表現適切・当意即妙・舌鋒鋭利・内容深遠,それはそれはいつも感心して拝読しております(一方で,ヘンミ・ヨーのスタイルなどはどうしても好きになれないのだが)。

 とりわけ,関川夏央のこのコラムに対する気合いの入れ方は並大抵でないようだ。小賢しく小煩い面々の多いアサヒの読者をいかに自らのフィールドに引きずり込み,感心させ,唸らせ,納得させるか。恐らくそんなことを絶えず意識して,毎週毎週,深夜のロイヤル・ホストあたりで呻吟しているんだろうな。その気持ちが十分に伝わってくるような立派な書きぶりだ(え? 今じゃゴーカマンションの部屋でヌクヌク執筆ですって?)。

 というわけで,毎週日曜日の関川夏央,それが楽しみで毎月3,925円也を払っているようなもんであります。あーそれから,いしいひさいち,勿論そっち方面も楽しみにしてますけどね。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« そりゃあワタクシとて,ジャ... | トップ | いじめられるタイプの子 (... »
最新の画像もっと見る

日々のアブク」カテゴリの最新記事