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人生における最も苦しかりし日

2007年10月15日 | 自転車ぐらし
 一昨日は我が人生において最も苦しい一日であった。 えっ?そりゃ,どんなジンセイかって? それは正しく申せば「我が自転車人生における」の謂であります。 んで?そいつぁ,どげんなクルシミかって? それはですネ,距離約95km,高度差約800m,時間にして約7時間余の自転車走行に伴う苦しみということであります。 あ,そこのウルトラ大学生諸君,嗤わないで下さいまし。まぁ所詮はその程度の,極めて底の浅い人生,実にお手軽な苦しみを日々生きている目下のワタクシなのではございますが,しかしこればっかりは幾つになってもサルはサル,いかに立派な人生,いかに立派な苦しみを望もうにも人それぞれに古来より沁み付いた属性ゆえ,何とも致し方ない。

 以下にその顛末の一端を略述させていただく。

 好天に恵まれた仕事休みの土曜日の午前,常日頃家に在りては基本的に居所なき狭小の身を囲っているところのアワレナ課長もとい家長たる私としては,そうだ,自転車に乗って平塚・大磯・二宮・中井方面にでも出掛けてみるかなぁ,などとフト思い立った。私事ながら,昨今では 《神奈川県西部の相模川低地および酒匂川低地に挟まれた一般に大磯丘陵と称される地域の,その新生代第三紀鮮新世から第四紀更新世にかけて形成されたるところの小山地,丘陵地及び複合台地に関して,それらの原地形,土地利用,集落分布ならびに近年における社会経済活動の拡大進展に伴う地貌改変状況等を,自らの居住地と対比させつつ,マクロ(500万年)とミクロ(50年)とを錯綜させつつ,自然弁証法的ないし文化人類学的解釈を試みること,云々侃々》 なんてぇことが目下の私的関心事項のひとつになっている。これもまたサル的思考の延長にあるわけですが,言葉を変えていま少し俗っぽい表現で申せば,例えばミズノエタキコだとかハギモトキンイチだとか,あるいはマルモトヨシオ?だとかの著名芸能文化人が安住の地として選んだところ,気候温暖にして風土景観は安穏,土着文化ないし民度のレベルも概して高いと推量される当該地域を,いわゆる歴史地理的な視点から今一度見直してみようじゃあるまいか,などと思っている次第でありまして。。。。 (前口上とはいい乍ら,我ながら何という小理屈か!)

 ところがそれが,であります。自転車(GIANT XtC850)で家を出た途端,何をトチ狂ったか,踵を返すように我が愛車のハンドルを急に方向転換,山の方へと向かってしまったのだ。拙宅のガレージ北側に望見される丹沢表尾根のスカイラインの一部に,ちょうど秋の清澄な青空を背景として不思議に気持ちよさげな白い雲(ペネタ型?)がポッカリと懸かっていた,というのがその理由の一つ。よーし,あの雲のほうにズンズン向かって行こうでないか!というわけで。 さらには,これも昨今の私的関心事項のひとつであるのだが,現在私どもが住まっているこの盆地の辺縁部に位置する山麓集落の後背林を形成するところのいわゆる「里山」林地について,当地に居を移してからもう10数年も経とうというのに,そのサトヤマの実態について未だに自分がほとんど無知でありかつ自らの興味の対象外にずっと置かれたままになっていたということ,そのようないわば「灯台下暗し」を恥じる思いが,これまた何故か雲のようにムクムクともたげてきたことが一つ。いずれもショーモナイ理由である。ようするに人間万事塞翁が馬,何処まで行ってもイキアタリバッタリの人生なのでして。

 ところで,東西40km南北20km余の範囲に広がるこの丹沢山塊には,大小・長短取り混ぜて実に数多くの林道,基幹作業道ないし作業路と称される「山道」が網目のように存在しているが,それらのひとつ,表丹沢の南麓に東田原林道というルートがある。ほとんどの人はまず知らないでしょう。昨今では《ヤマビルの巣窟》などという禍々しい汚名を冠されているこのエリアにあっても最もマイナーな部類に属する林道といってよい。実は10日ほど前の夕暮れ時(前田夕暮か!),この東田原林道に通じる山道の一部を自転車で走行しており,そのときは時間切れのために途中で引き返したが,今度また昼間の明るい時間に改めて来ようと思っていたのだ。

 山麓のやや奥まったところに「谷戸」というミもフタもない字名の長閑で鄙びたがあり,そこの家々を通り抜けて背後から山道に取り付いた。細い道の両側あるいは片側に沿って茶畑や野菜果樹畑などが小規模に耕作されている斜面をゆっくりと登ってゆく。彼岸花の名残がところどころに咲いていたりして,たちまちサトヤマの雰囲気のなかに突入である。斜度勾配はかなり急で,大体が10%以上,時に15%を超え20%近くに達するようなところもある。息を切らしてフウフウいいながら進んでゆくと,やがて前方奥に上水道取水施設らしきコンクリート建造物が出現し,道はそこで行き止まりになっていた。やむなく少し引き返して,東に別れるスギ・ヒノキ植林の中の暗い道をゆくことにする。傾斜はやや緩やかになったが,あちこちで木の根が張り出したり凸凹した溝が穿たれたりして,道はかなり荒れている。しばらく走るうち,急に前方の樹林が明るく開けてその先が崖になっており,眼下には縦横数100m辺にも及ぶ広大な敷地のなかに大小の建屋,様々な鉄塔,鉄製工作物,複雑な電気配線,トランス,エボナイト等々からなる工場施設が展望された。

 丹沢表尾根東側の岳ノ台(標高899m)から南に伸びる尾根筋の山麓近い緩斜面に位置するその施設は,名称を東京電力新秦野変電所という。首都圏周辺各地の水力発電所等から都心部方面へと電気を運搬供給するネットワークのなかでも,ここは比較的重要な中継基地であるらしい。出力500KV(50万ボルト),といっても一般人にはピンと来ないだろうが,とにかく国内最大級の高圧送電線が通じる巨大電力施設である。金網の塀越しに顔を近づけるようにして中を覗くと,ワオーン・ワオーンというような低い音,あるいは詩的な表現を借用すればユア~ン・ユヨ~ンなどという感じが相応しいか,とにかく何やらこちらの身がジリジリするような不気味な低周波振動?が絶えず響いている。眺望そのものは現代社会を支えるライフライン基幹施設の代表的なフェーズとして一見に値する壮麗なる人工景観といえようが,正直あまりゆっくりとはしていたくない場所である。

 その変電所の脇を掠めるようにして東田原林道は北西方向に延びている。先にも記したが,「林道」と称せられてはいるものの,実際にはせいぜい「基幹作業道」クラスの道に過ぎず,幅員は約2m,所々にアスファルト舗装が施されてはいるが,基本的には凸凹ダブルトラックの土道である。地域内の農作業,薪炭林ないし小規模植林経営の維持管理道としての役割を担う分にはその程度で良しとされるのだろう。自動車の通行は,少なくとも現状ではジムニーのようなパワフル4WD軽自動車でもまず無理と思われる。オフロードバイクが通行したような轍跡がかすかに残されているが,最近ではほとんど利用されているとは思われない。実際,約4kmの走行区間のなかで,倒木による通行遮断が3箇所,斜面土砂崩壊による通行障害が2箇所あった。そんな山道を,自転車を漕いだり押したり担いだりしながらエッチラオッチラ登っていったのである。

 この手の作業道は,その成立の由来からして,分岐する道があちこちにある。そして全般に利用頻度がすこぶる低くなっていると思われる昨今の情勢下においては,どちらが本道でどちらが支道だかわからなくなっている分岐箇所も少なくない。今回は1万分の1詳細地図ないしは2万5千分の1地形図のいずれも持参してこなかったため(そもそもこっち方面に来るつもりがなかったので),以前の読図記憶と全体の大まかな地形からの類推判断でルートを適当に選択した。とりあえず北方向に登ってゆけばいずれ県道70号(秦野・清川線)のどこか途中に合流するだろうから,そこから反転して蓑毛・名古木方面へと下っていこうか,と。

 途中,東西の分岐点があり,西への道を選んだが,少し走っているうちにどうやら道の選択を間違えたらしいと気が付いた。ただし,山地斜面を巻くように水平トラバースしながら先に通じているようなので,さて,この道はどこへと続いているのやら?という興味もあり,そのまま走り続けた。やがて,前方で林道は深いヤブに塞がれるように行き止まり状態になってしまった。ありゃりゃ,あのヤブのなかを強引に突っ込んでいくのは少々シンドそうだなぁ。進むのを躊躇していったん自転車から下り,さて,どうしたものかとしばし逡巡していた。すると,前方の叢林がガサガサガサッと蠢きだし,やがて中からナップザックを背負いストックを手に持った初老の男がヌッと現れた。少しビックリしたが(ケモノでなくて良かった!),とりあえずコンニチワ,と声を掛けて軽く会釈をした。先方も自転車の傍らで佇んでいる当方を見てやや驚いたような顔つきであったが,ア,コンニチワ,と挨拶が返ってきた。


 「この道は先へ行くと何処に通じているんでしょうか?」

 「少し行くとゴルフ場の縁にブチ当たりますよ。それから左に巻くようにして進めば里に下りれます。」

 「このヤブの状態は,しばらく続くんですか?」

 「いや,50mも行けばまた元の道になりますよ。」

 「登っていく道はないですか?」

 「さぁ,よくわかりませんが,たぶんこの先にはないんじゃないでしょうかねぇ。」

 「山歩きですか?」

 「いえ,キノコを探してるんですけど。○○○ってヤツです(聞き取れなかった)。今年は天候のせいで,キノコの出るのが遅いんですよね。」

 「そうですか。。。 じゃ,私は引き返しますので。どうもありがとうございました。」

 「どうも。。。 いやぁ,ここで自転車に乗った人に会ったのって,初めてですよ。お気を付けて。」

 
 キノコ採り老人と別れ,その後ふたたび静かな単独トレイル・ライドを続けた。ただし,時おり自動車やモーターバイクの爆音(排気音)が,さほど遠くないと思われる場所を発生源として鳴り響くのが聞こえてくる。多分は県道70号を勢いよく登って行く車たちだろう。ったくもう,脳天気な自動車乗りが,山中でそんなに意味もなくブロロブロロ吹かさなくてもよかろうに! しかしながら当方の気持ちを逆撫でするように,そのブロロブロロ音はだんだんと音量を増してくるようになって,そろそろ県道への合流が近いことを思わせた。

 沢を登りつめたあとで尾根筋に這い出るような感じで林道から県道70号へとヨッコラショッとばかりに出た。荒れた凸凹道からきれいなアスファルト舗装道への「お乗り換え」である。すると,右側の下手からロードバイクに乗った派手な格好の洒落たオニイサン2名が,路傍でヘタッている当方には目もくれずに右から左へスイ~ッと軽やかに通り過ぎていった。その気持ちよい走りっぷりを見やりながら,急に,これまた何としたことか,つい先ほどまでは蓑毛の方に下ろうと思っていた筈であったのに,ふたたび踵を返して,久しぶりに菜の花台(標高550m)まで行ってみるか,という気になってきた。もう,好きにするがよい。 si tu veux.!

 当地において俗に「表ヤビツ」と称される県道ルートのうち,国道246号の名古木交差点から蓑毛までの区間は比較的キツイ坂が続き,自転車乗りにとっては最初の難関となっているが,ここ標高400m付近までくると勾配はやや緩やかになって,走りも少しは楽になる。ただし,休日とあってクルマの通行量はかなり多く,時折こちらの脇をギリギリかすめるようにしてアクセル吹かして追い抜いてゆくオバカなブロロブロロ車などもいて少々ウットウシイ。 また,ヤビツ峠への道は当地およびその近隣地域では名の知れたヒルクライム・トレーニング・ルートでもあることから,先ほどのローディー二人組のようにスポーツ自転車に乗ったオニイサン達が(まれにはオネエサンも混じる),あるいはソロで,あるいはチームで,時に私を追い抜き,時に前方から勢いよく下ってきてすれ違う。こちらは追い抜かれても少しも悪い気はしない。むしろ軟弱MTB乗りとしては,きれいなライディング・フォーム,きれいなユニフォームの後ろ姿に見とれてしまうほどだ。なお,彼らの自転車およびスタイルに関しては,注ぎ込まれているであろう金額の違い,趣味の違い,色彩バランスの違い等々の変異は認められるものの,それはそれ,皆人一様にカッコよく見える(自分がいずれそうありたいとは決して思わないけれども)。 自転車人の割合は,そうさな,ロードバイクが85%,マウンテンバイクが10%,MTBルック及びフォールディングバイクが残りの5%,といったところだろうか。山岳地帯だというのに,遺憾ながら私のようなマウンテンバイクは少数派なのである(ワタシは道を間違えたのだろうか?)。

 実は最近,ポラールPolarのハートレイトモニタ(CS400)などという機器を入手して,今回のライドはそれを初めて装着・試用する機会でもあった。心拍数のみならず,速度,消費カロリー,傾斜度,高度,上昇・下降距離,気温,ケイデンス等々の各種情報を測定・記録することができ,加えてPC上でそれら走行データの分析ならびに自己健康管理ができるということにも興味を覚え,一方では,そんなものを記録して今更それがオマエの人生において全体何の役に立つのだ?という自問自答が起こらぬ訳ではなかったが,それでも約半年くらい前からだろうか,知力・体力・活力の面からもそろそろ己が慎ましき欲望に抗うことを停止する時期Stageに近づいているのではあるまいか,といった思いが徐々に強くなってきて(ボケ老人の仲間入り?),よし,これを当面の我が信条mon credoとしよう!と潔く決めつけて(何のこっちゃら?),それまでライディングの友としていたガーミンGarminのGPSmap60sと同時利用することにしたのである。

 余談ながら,自転車の持つさまざまな特性(開放的で,自在闊達で,臨機応変で,優柔不断で,また時に頑固で,気難しく,曲者で,空々漠々で。。。)に惹かれ,自転車を自らの生活の一部として積極的に活用するようになった当初,それは精々2~3年前のことなのであるが,自転車関係の雑誌や本のなかで「ケイデンス」という言葉があちこちに飛び交っているのが妙に気になった。特にローディー諸氏におかれては,ケイデンスがナンタラ,ケイデンスがドウコウと,やたらとケイデンスの重要性を強調しているようにみえた。そも,ケイデンスとは何ぞや? 広辞苑にはむろん載ってないが,Webのウィキペディアなぞを見れば『自転車用語でクランクの回転数のこと』とすぐ判る。回転数が重要って,アータ。 それじゃあ,先鋭的な自転車ライダー達はハツカネズミのサークル運動に日々腐心しているようなものではアルマイカ!

 それはさておき,自らの年齢および基礎体力を勘案し,取りあえず最大心拍数が180を超えぬように注意を払いながら(ケイデンスの方には頓着せずに)ヤビツ峠への坂を漕ぎ登っていったのである。そのため,斜度勾配が10%前後になると,たちまち当方の脆弱なる心肺器官に高負荷が生じて,自車のスピードをかなりダウンさせざるを得ない状況となる。もっとも,実際問題として青息吐息でフウフウ状態になっており,なるほど,心拍計表示は我が体力の限界を正しく反映しているわけなんだナ,と妙に納得してしまう。 そんなヘタレ老人の傍らを,ほらまた,ロードバイクのお兄さん達がスィ~ッと追い抜いてゆく。「コンチワ~」とか「チワ~ッス」とか「オ先ニ~」とか言いながら。こちらだって一応心の中では挨拶を返しているのだが,何分にも青息吐息,ハズカシナガラ言葉になっていないようだった。

 これまた余談ながら,最近,ハートレイトモニタの布教師を自認するエンゾ・早川氏の著作を拝読したが,そのなかで茅ヶ崎在住の圓蔵師は,神奈川県内の峠道では「矢櫃峠」は魅力に欠ける「ドッテコトない峠」であり,もう何年も行っていないなどと宣託を垂れておられた。なかなかに個性的で興味深いモノカキと見受けられるが,ブランド依存症的側面が少々鼻につくのが玉に瑕だ。例えば道路にもブランドがあると認識しておられる御様子で,箱根旧道のように道中に馥郁たる歴史の香りと落ち着いた雰囲気が滲み付いていなければどうやら満足できないらしい(苔生した史跡とか,地味で小綺麗な茶店とか,内気で可愛いい小娘とか,古びた由緒ある別荘とか,品のいいバーサンとか,云々) ま,それはそれでひとつのポリシーだろう。しかし,「ヤビツ峠」のことを「矢櫃峠」などとマユツバ表記を採用するあたり,ヘソマガリオヤジの本領発揮,といったところではないか。「矢櫃」なんて字はいわゆる後付け的俗説であって,地元住民の誰一人としてそんな風に書きはしない。イタリアを「伊太利亜」と書くのとは少々意味合いが違いますぜ。

 おやおや,御託を並べるばかりで話がちっとも先に進まないぞ。

 とまれ,そうこうしているうちにSlow but Steady,午後1時少し前にはヤビツ峠に辿り着いた。峠のバス停周辺には2人~5人程度のローディー集団が3グループほど休んでいた。ソロのMTB老人たる私としては,彼らの近くで休息するのは少々気が咎めたので(何に対してだ?),峠をさらに北方に少し下って,『プリウス森木会の森』という何やら胡散臭そうな看板の立てられた場所のゲート付近で休憩することにした。ハンドタオルで汗を拭いて,ボトルの水を飲み,持参したビスケットを囓り,アメを舐め,また水を飲み,またハンドタオルで汗を拭いて,ようやく一息つくことができた。汗が急速に冷えてくるが,ポカポカ陽気のなかではそれもまた心地よい。道路の下手を見ると,恐らく表尾根を下ってきたのだろう,数名の登山者がちらほらとヤビツ峠のバス停を目指して歩いてくる。そのすべてがジーサンバーサンだ。高齢者における「山登り志向」は昨今のトレンドであり,実際のところ皆さんいずれも洒落た身なりと分不相応なまでに立派な装備の方ばかりで,それなりに若々しい元気老人のようにお見受けするが,それでも傍から冷静に眺むるに,彼らは一様に「お遍路さん」のようだ。現代のジジババにとって,人生の終盤に待ち受けているのは畢竟それまでの人生の“続き”でしかなく,要はヒタイに汗することで最後を締めくくるしか能がないのだろうか? (なお,ここでは55歳以上を暫定的にジジババとみなしている)。

 などとブツクサ感慨にふけっていると,今度は小学校の5~6年生とおぼしき少年2名が下から自転車に乗ってフウフウいいながらゆっくりと登ってきた。車種はいずれもMTBルック車で,そこらのホームセンターで売っていそうな安物である。いわゆる若気の至り(若年パワー)で強引に漕ぎ登っている,といった感じだ。それにしても,一体どこから登ってきたのだろうか? 宮ヶ瀬ダムから裏ヤビツの長い長い県道を延々と登ってきたのか? あるいは,表からヤビツまで登ってきて,それからちょっと下の名水「護摩屋敷の水」あたりまで足を伸ばした帰り道なのか? いずれにしても,元気のよい子たちだ。前を行く子と目があったので,路傍からコンニチワと声をかけた。やや恥ずかしそうな表情でコンチワ~と挨拶が返ってきた。そしてそのまま更にフウフウと自転車を漕ぎ続け,多少は左右にふらついたりしながらもゆっくりゆっくりと坂を登ってゆき,やがてカーブの先に消えていった。そのケナゲでヒタムキな二人の後ろ姿を見送りながら,ふいに我知らず胸が詰まるのを禁じ得なかった。そして,「あぁ,あの子らが我が息子であったなら!」などというカナワヌ思いを抱きつつ,身寄りのない老人は山中でひとり溜息をつくのであった。改めて周囲を見渡せば,丹沢秋天L'automne a Tanzawa! 空あくまで青く,風穏やかにして林香ときに頬を掠む。まことにシミジミと良き秋日和である。けれどやがて季節は移ろい,あと1~2ヶ月もすれば山は厳しい冬の装いをこらして我が行く手を阻むようになるのであろう。また来ん春まで,生きていられるのだろうか(誰がじゃ?)

 という次第で,このスタイルでさらに記述を続けても冗漫話を重ねてゆくだけになりそうなので,以後の詳細は省略し,走行工程のみを記すにとどめる。 ヤビツ峠を越えたあと,そのまま裏ヤビツの緩く長い坂道を宮ヶ瀬ダムに向けてのんびりと下ってゆき,宮ヶ瀬ダム湖畔で何箇所かの寄り道をしたのち,土山峠を越えて清川村に至り,清川村で再び少々寄り道をしたのち,厚木の七沢温泉の峠を越えて伊勢原に至り,伊勢原にてまた少々寄り道をしたのち,善波峠を越えて夕方遅くに帰宅した。一日の走行距離は,残念ながら100kmには届かなかった。

 以上がワタクシの人生のなかで最も苦しかった一日であります。ウルトラ大学生諸君,前言訂正,やっぱ嗤ってもいいからネ。
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