黄昏時の父子自転車散策

2004年07月14日 | 自転車ぐらし
 昨日,夕食を済ませた後でアキラは父と一緒に自転車に乗って近所の散策に出掛けた。少し前に記しておいたが,それぞれの自転車はアキラがオコサマ系マウンテンバイク,父がスピード系クロスバイクであり,前者には自家発電式のクリプトンライト,後者には乾電池式の高輝度ホワイトLEDライトが前照灯として付属している。ここ最近,昼間は比較的よく自転車に乗るようになってきて,それなりに走行操作も安定してきたように見受けられるアキラだが,夕暮れ時や夜間の自転車乗りについてはまだまだ不慣れであるため,路上教習を兼ねた夕涼みライディングを行ったわけである。時刻は午後7時少し過ぎ。初夏とはいえ,その時間帯ともなると周囲は既にかなり薄暗くなっており,すれ違う人の顔もほとんど判別できない。

 それは幹線道路から外れた人通りのほとんどない住宅街の,幅員6m程の道路を走っているときの出来事だった。路肩にハザードやウィンカーも点けずに自動車を止めたまま,若いオバサンが道の反対側にある自動販売機の前に立ってドリンクを購入すべくアレコレ物色していた。少し遅れて小学校低学年くらいの女の子が車の助手席のドアを開け,母親のもとへ急いで駆け寄ろうとした。するとそこに,宵闇の中から無灯火自転車がかなりのスピードで接近してきて停車中の車の脇をすり抜けようとしたのである。無灯火自転車は飛び出した女の子の直前で急ブレーキをかけて大きく右によろけたが,何とか転倒だけは免れた。そして,即座に体勢を立て直した無灯火自転車は,危ないじゃないか! と,なかば捨て台詞のように小声で怒鳴りながら速やかにその場を立ち去っていった。自販機の明かりに僅かに浮かび上がったその無灯火自転車に乗っていたのは,年の頃は40代,大柄やや肥満体型,自転車通勤のサラリーマンとおぼしき風体の男であった。しかしまったく,アブナイのはオマエだっつうの! なおこの場合,無灯火自転車は道具ではなく人格である。当のサラリーマン風40男そのものである。(会社,あるいは社会に対して何か不満でもあるのか?)

 自販機の前にいた母親は一瞬かなり驚いた様子を見せたが,すぐに気を取り直して娘に向かってキツイ言葉を発した。アブナイじゃないの!よく見なくちゃダメじゃないの! 母に叱られた娘はショボンとうなだれてしまった。

 ここで母の叱責はある意味もっともであるが,順序が正しくない。その怒りは何よりも第一に無灯火中年男に対して向けられるべきであった。無灯火自転車の過失は娘の過失を数百倍上回ること明白である。それはまるで,闇夜のなかで可愛いい我が子が突然通り魔に襲われかけたような状況ではないか。親は子を守る義務がある。その手段方法はどうあれ,子供を脅かす外敵に対しては断固闘わねばならない。それとも何か。交通弱者の側としては,自己防衛策として,保護者責任として,夜間,外を歩く子供には常に懐中電灯を携行させるくらいしか手立てがないとでもいうのか。そんな理不尽な!

 この季節,夜間に自転車で街中をグルグル走り回ることの多い父にとって,無灯火自転車のもたらす危険に遭遇すること,それこそ数え切れないくらいだ。恐らくこのような状況は何も我が町に限ったことではあるまい。同じ情報,同じ価値観,同じ文化を共有するところの本邦各地の津々浦々に蔓延している傾向だろう。『道路交通法』第52条には,「車両等は、夜間(日没時から日出時までの時間をいう),道路にあるときは,前照灯,車幅灯,尾灯その他の灯火をつけなければならない。違反となるような行為をした者は,5万円以下の罰金に処する。」と明記されている。「車両等」には当然ながら自転車も含まれるわけだが,この罪が実際に適用されたという事例を私自身は寡聞にして知らない。無灯火で走行中にオマワリ,もとい警察関係者に遭遇しても,せいぜい「口頭注意」されるくらいが関の山だろう。要するに,危機意識が極端に欠如した,あまりにもヘイワすぎる社会のなかで,身の安全に係わる多くの規範が形骸化しているというのが実状ではないか。

 しかしながら,いつもいつもニアミス(事故の一歩手前)で済むと思ったら大間違いだ。災難はある日突然やってくるわけで。いささか不遜な想像になるが,もし上記の例において女の子が無灯火自転車に跳ね飛ばされ,不幸にも第1級障害者にでもなった場合,さて,事態はどのように収拾されうるのだろうか。無灯火自転車という大変に危なっかしい存在,しかしながら誰もがホッカブリしてお咎めナシの「ほんの小さな」ルール違反,とりあえずは笑って許してもらえそうな一塵の社会悪に対して,不幸の当事者たる親は,はたして災難後もそれ以前と同様な態度を示すことができるだろうか。そして,そのような身近な不幸事例を踏まえつつ,地元自治会や学校など子供をとりまく地域社会,さらには警察,司法等の関係機関は,無灯火自転車という存在に対して今後どのように対応してゆけるのだろうか。

 ま,ゴチャゴチャ理屈を並べても何にもならない。取り敢えずは,だ。ケーサツ関係者諸氏におかれては,従来見られるごとく日々のノルマ稼ぎのためにドーデモイイ駐車違反をセコセコと取り締まっているヒマがあったら,ここで心機一転,無灯火自転車を片っ端から現行犯で捕まえてゆくといった強い決意表明が示されることを切に望みたい。反則金6千円を問答無用でどしどし徴収していって欲しい。10人のケーサツカンが1人当たり1晩につき20人のノルマで捕まえれば,こんな小さな町だけでも1日120万円の実入りになるではないか。それは,毎日,街路灯1本を追加設置できるくらいの金額ではなかろうか。

 おっと,例によってグダグダとつまらん愚痴をさらしてしまった。年齢のなせる業とは申せ,毎度面目ない。ところで,以上のような出来事をアキラはどんな思いで実見し,そこからどんなことを感じたのだろうか。改めて本人に問いただしたわけではないが,少なくとも現場においては,単に一瞥しただけでさしたる興味を示したようには思われなかった。彼の世界にあっては一過性のごくありふれた日常茶飯事なのかも知れない。まったくもってアヤウイ世界に生きている子供たちよ! さればこそ,非力な親として改めて特筆しておきたい。自転車の夜間無灯火走行は非常に危険である。弱者(歩行者)にとっても,強者(自動車)にとっても,それは等しく危険である。罪はすべからく裁かれねばならない。
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