以前にもどこかで記したことがあったように思うが,昨今の我が生活規範のひとつとして,毎日の暮らしのなかで出来れば平日でも20kmくらいは自転車に乗って過ごしたいナ,などと考えており,また実際にそうすべく日々努めている。ただし,諸般の事情によりどうしても自転車に長く乗れない日は,やむをえず近所の山の坂道をチョットだけ登ってお茶を濁すこともある。例えば「羽根林道」などは私のルーチン・プチ・ライドにおける定番坂道のひとつだ。
ところで,今から半世紀以上も昔に作られた黒澤明監督の『生きる』という有名な映画が三年ほど前に松本幸四郎主演のTVドラマとしてリメイク放映されたことがあったが,あのドラマの舞台となった桜木市というところは,実は当市内で撮影されたものであり,そして主人公・渡辺勘治の家は羽根林道入り口のすぐ近くなのであった。勘治氏はそこから毎日自転車(ママチャリ)に乗って水無川沿いにある市役所まで通勤していた。我が家の隣町であるそのあたり一帯の風景が幾度かTV画面に映し出されたときは何とも妙な思いがしたものだ。そのお宅の前の道を通り過ぎて,私は自転車(MTB)で羽根林道へと向かうわけである。
この坂道ルーチン・ライドにおいては,「心拍数が170を超えた時点で終了」,「足をついた時点で終了」,という二つのシバリを基本設定している。MTBなものだから,インナーロー・ギアでユックリユックリ漕いでゆけば急坂といえども足をつくことはほとんどない。ただ,それじゃぁ面白くないので,心拍計の示す値を適宜参照しつつ,出来るだけ頑張って負荷をかけて漕ぎ登っていくようにしている。すると,心肺器官の活動ぶりというものはまことに正直なもので,その日の体調がテキメンに心臓の鼓動に反映されるのだ。同じような調子で登っていても,ある日はアイウエオ・サークルの森(標高270m)あたりであっさりと終了となったり(ああナサケナヤ!),またある日はペット・セメタリー(標高310m)付近で終わったり,あるいは第5ヘアピン(標高390m)までだったり,別の日は輝石安山岩の露頭(標高430m)前で終了したりと,まぁいろいろだ。今までの最高記録は標高495m地点にて無念終了というものである。その場所だったら,あと30mも登れば県道70号に合流できるわけだが,それでもシバリはシバリ,潔く反転して再び羽根林道の急坂を下って家に戻るのでありました。
ちなみに,巷間 ロードバイカーに代表される自転車乗りたちがしばしば口にするところの「激坂」というコトバを私は好まない。たかだか斜度15~20%の坂道をゲキザカ!ゲキザカ!と大層に喧伝し,その困難性をことさら強調し,あるいは呪詛し,畏怖し,崇め奉るそのアリサマは,ごく一般的な市井の生活人の目から見るといささか奇異であり滑稽でもある。大体からして「ゲキザカ」という語感がキタナイと思う。例えば学校の校舎や会社やスーパーやデパートの階段,電車の駅の階段,歩道橋の階段,何よりも自分の家の1階と2階をむすぶ階段,それらはいずれも恐らく斜度30~40度(約60~80%)くらいじゃないかと思うのだが,それをいちいち激坂,激坂と言っていたら何とも間抜けな話になりはしないか(取りあえず手持ちのクリノメータで拙宅の階段を計測してみたら斜度38度(78%)だった。ま,コンペイトウハウスほど「ゲキザカ度」は高まる訳でして。。。)
いや,階段と坂道は違うジャナイカ!と反論されるのなら別の事例を挙げておこうか。あるいはスロープ式の歩道橋でもいい,児童公園の滑り台でもいい,河川堤防上から河原へと通じる芝草の小径でもいい,棚田の脇の畦道でもいい,里山のケモノ道でもいい,四国山中のお遍路道でもいい。あるいは,傾斜10度の坂道を腰の曲がった老婆が少しずつ上ってゆく(@中島みゆき)でもいい。要するに,人間至ル所ニ激坂アリ,ではありませぬか。そして,いずれも単に「急坂」と言っておけば済む話ではないか。
デモシカシ,彼らはやはりそれじゃあ満足できないのだろうな。自らの挑戦精神,征服欲,達成感に対する担保を,一寸過激で品のない言葉に求めているのだろうな。いわゆるサブカルチャーにおけるコレクター・オタク世界では超レア,激レア,鬼レア,ギガレア,などという言い方があるようだが,それに擬えば,先鋭的自転車乗りの世界でもそのうちに「鬼坂」,「ギガ坂」などと言い出す輩が出てくるような気がする(あ,もう既にいるんでしょうか?)
ずっとずっと昔の話になるが,今から約40年ばかり前のこと,横須賀市・追浜にある鷹取山でロック・クライミングの訓練を時々行っていた。訓練というよりは,せいぜいle jeu dur(堅忍遊戯)という程度の,今でいうボルダリングのようなものだった。あそこの岩場は石切場の跡地ゆえ,もろい砂岩質の,ほぼ垂直に近い岩壁である。すなわち斜度1,000%を超える,いわば究極のゲキザカである。ある日,そのゲキザカ斜面の途中で,まるで一匹の虫のように(@中島みゆき)素手でへばり付いたままニッチモサッチモいかなくなってしまったことがあった。セルフビレーもないフリーの単独登攀で,おまけに周囲には誰もおらず,まさに行くも地獄戻るも地獄,といった状態におちいった。そのまま落下すれば大なり小なりの怪我をすることは目に見えていた。しかしながらオメオメと落下することは若さが許さず(そういう年頃だったのです),自らの腕力と技量とを天秤にかけながらしかるべき打開策をアレコレ模索していた。最善の道はなかなか見付からなかった。辛い状況のなか,しばし岩にへばり付きながらいろいろなことを考えていた。人は何故,たかだか土地の凸凹,大地の傾斜なんかに一喜一憂しなければならないのだろうか。蟲や獣のように,もっと軽やかに生きられないものか。。。 そもそも人は何故,「重力」という辛い軛を背負って生き続けねばならないのだろうか。。。 重力からの開放,それはすなわち死を意味するものであるとすれば,死というものは,ひょっとしてスバラシイものなのかも知れないゾ。。。。
そんな昔のタアイナイ出来事,オロカナル逡巡ぶりをつい昨日のことのように懐かしく思い出しながら,今日も羽根林道の急坂を自転車で登る老人一名なのでありました。ああ,そろそろ秋も終わろうとしているナ。