これから鎌倉にでも行ってみようかな? などと急に思った。お盆休みの一昨日昼間のことである。さてさて鎌倉くんだりまでハルバル何をしに行こうと思ったのかと申せば,それはですね,有名どころの社寺仏閣なんぞをいくつか巡って《御守り札》でも買ってこようか,そんな些細なことであります。交通手段はもちろん自転車で,買おうとする御守りはもちろん交通安全の御守り札である。
当地から鎌倉までなら道路はだいたいキレイだし,また,アップダウンもほとんどないに等しい気軽な行程だ。事前にPCの地図ソフトで距離を計測してみると,自宅から鶴岡八幡宮まで湘南海岸(国道134号)経由でちょうど37kmだった。それで,その日はクロスバイクに乗って行こうと決めた。けれども不覚にも,出掛ける前の簡単な車両点検整備中に不注意でバックミラー(Zefalドゥバック470)をダメにしてしまった。アチャーッ! 私の場合,最近では自転車走行の際にバックミラーは不可欠のアイテムとなっているものだから,やむなく車両を急遽変更,いつものMTBで出掛けることにした。
家を出た時刻が午後1時半近くと遅かったため,いくら日が長い時期とはいえ,あんまりノンビリと寄り道,回り道をするわけにもゆかず,ほぼ最短ルートである県道62号を平塚の市街地まで一気に下った。そこからは国道134号に移って,相模川に架かる湘南大橋を渡り茅ヶ崎市内へと入った。ここまでの距離が約20km,平均速度は約26km/hであった。2.3インチ幅のごついブロックタイヤを履いた車重約15kgの鈍重なMTBだって,ライダーが気合いを入れればそれなりに速いのであります。そういえば去年の秋だったか,平塚市美術館で《絵で読む宮澤賢治展》という催しがあったとき,やはり同じように県道62号をMTBでブンブン飛ばして見学に出掛けたことがありました。あのときもやはり仕事の都合で家を出る時間が午後の遅くになってしまったため,閉館時刻を気にかけながら,決して走り易いとは申せぬ県道62号を目一杯のダッシュで駆け抜けたっけ。何しろこの県道は路肩帯が狭い。場所によっては路肩がまったく無かったりもする。そんななかのMTBダ~ッシュであるから,仕事で走る大型トラックの運ちゃんなどは危なっかしくてさぞ迷惑したことだろうが,このばあい文句は神奈川県県土整備部道路整備課の方にお願いいたします。一応当方はヘルメットを着用して真剣に走っておりましたのでね。
おっと,寄り道はほどほどにして! さてと,茅ヶ崎から先は国道134号をさらに東方面へと進むのが一般的なルートであろうけれども,巷の噂ではその界隈には何やらアヤシゲな個体というか個体群(GIOS group?)が常時棲息・徘徊しているとのことで,私ごときMTB老人がそんな輩に遭遇した日には一体どれほどの冷たい視線を受けることか,全体どれほどの罵声を浴びせられることか分かったもンじゃないから(何でだ?),ここは触らぬカミに祟りなし,ということで国道を避けて海岸沿いのサイクリング・コースを走ることにした(ええ,軟弱者と呼ぶがよろしい)。
強風波浪注意報が発令中の風が大変強い日で,海には白波のウサギが跳び,コースには砂ボコリが舞い飛び,さらにそれらの砂が路上に吹き溜まって堆積し凸凹マウンドが形成されている箇所があちこちに見られた。けれども,こちとら2.3インチタイヤのMTBだから,そんなもの一向にヘッチャラさ。沖に浮かぶ烏帽子岩を眺め,さらにもっと遠くに霞んで見える江の島を眺めながら,風にもまけず砂にもまけず健気にも呑気にもスイスイと自転車を走らせた。すぐ前の浜を見れば,夏のお盆休みだもの,海水浴客やらサーファーやら犬の散歩人やらですこぶる賑わっていた。海の色はかなりの褐色で,赤潮状態(Skeletonema costatumだろうか?)と見受けられたけれども,家族連れや若いオネーチャンたちは海の色が青かろうが赤かろうがそんなんモノトモせずにワイワイ,バシャバシャ楽しげに波とたわむれていた。思わず写真にでも撮りたくなるような,それはいかにも《湘南の夏》を感じさせる風景なのであるが,最近ではそういうのを写真に撮るとタイホされることもあるらしいので,とりあえずデジカメはしまったままにしておいた(難儀な世の中である)。
江の島が近くなるにつれ浜辺の混雑ぶりは一層ひどくなってきた。特に,引地川を渡った先の海岸沿い,「片瀬江の島海水浴場」というエリアだろうか,そこらあたりの混雑はハンパじゃなかった。「芋を洗うがごとき」といった紋切り型表現が臆面もなく出てしまうほどに,いや実際には「イスラム都市のスークのごとき賑わい」などに譬えた方がより適切だろうが,とにかく山家のサルにしてみれば何が何だかワケガワカラナイ混沌状態が眼前に展開していると思えた。砂浜でウジャウジャ,ワイワイと蠢く無数の老若男女の集団は,ひとりひとりを見ればそれぞれにささやかなるシアワセを求めてこの浜に集まって来ているのであろうが,例えば「赤潮」というものが植物プランクトンのなかのある特定種の異常発生状態を指すのであるなら,このシアワセビト軍団の蝟集状態もやはり異常であると言わねばならぬ。
実はこの海水浴場には,私自身はるかな昔に二度ばかり,すなわち今を去ること50年前と43年前に来たことがある。一度目は東京から電車を何本か乗り継いで苦労して,二度目は川崎から他所様の自動車に便乗してラクチンでやって来た。もちろん,その当時の私とて,やはり人並みのシアワセを求めてハルバル湘南の海辺まで参ったのである。けれども,その二度の海水浴旅行は,いずれもが後になって苦い思い出として記憶されたのであって,言葉を変えれば,その海水浴場で見聞した出来事によって「人生における避けられない死」というものの業というか宿命が幼心に刻まれたのである。要するに私にとって海というものはジンセイの教師,いや水先案内人のようなものであった(曖昧な言い様で恐縮です)。 今,眼前の海水浴風景の賑わいをボーッと眺めていると,古い記憶の底から往時のシーンが鮮やかによみがえり,頭ン中のセピア色のフィルターが取り払われて瞬時総天然色へと変貌し,そして遠くのどこかから懐かしい歌声が聞こえてくるような気がして思わず目頭が熱くなってしまう。その歌は,もちろんサザンなんかじゃない。加山雄三でもない。多分は石原裕次郎だったか,あるいはフランク永井だったっけ? 今にして思えばミシェル・ジョナスMichel Jonaszの《海辺のバカンスLes vacances au bord de la mer》の侘びしげな心象風景なんぞがどちらかといえばピッタリするのだけれども。。。
ま,そんな御託はドーデモイイとして。 さて,江の島の入口,境川河口部に架かる片瀬橋のたもとで自転車を降りて一休みしながらその先の稲村ヶ崎方面を望見していると,何故だか急に鎌倉まで行くのがイヤになってしまった(鬼門か?) 少なくとも自転車に乗っているときくらいは内なる声に従順でありたい(詭弁か?) それで急遽行程変更,境川沿いに北上することにした。境川はサイクリングロードに沿って町田方面から南下したことは何度かあるが,河口部から上流方面へと自転車で北上するのは初めてである。もっとも,境川の下流部はサイクリングロードとして整備されていないので,とりあえず川沿いの住宅街の狭い道々を縫うように北上してゆく。湘南地域の高級住宅地のイメージがある藤沢とはいいながら,路地裏の家並みはまるで古い田舎町のような地味で落ち着いた佇まいだ。あ,土着の東京人などから見れば藤沢あたりは実際イナカなのでしょうが。
河口から約6.4km上流の国道1号の境川大橋のたもとから境川CRが始まる。私の住まいに比較的近い金目川CRなどに比べると,こちらは幅員も広く舗装状態も良好で,かなりキレイな自転車道である。しかも真夏の昼間なので走行車もほとんど見当たらず,おおむね貸し切り状態だ。ありがたい,ありがたい。
しばらく気持ちよく走っていると,前方に家族連れと思われる自転車が4台,かたまって走っているのが認められた。近づいてよく見るとそれは南米人?の家族であった。日系ではなくメスチゾ系の風貌である。トーちゃんとカーちゃんと子供が2人,子供は小学校高学年くらいの女の子と,低学年の男の子。その一家4人が,ひとり1台自転車に乗ってサイクリングロードをまるで「民族小移動」といった感じでゆっくり楽しげに走っている。 こちらもノンビリ川を眺めながら,場所によっては川べりで自転車を停めて風景を愛でたりしながらCRをゆっくりゆっくり走っているので,少しの間,お互いに抜きつ抜かれつの併走状態になった。
彼らが乗っている自転車はお世辞にも立派なモノとはいえなかった。リサイクルショップとかで入手した比較的程度の良い中古自転車か,あるいは新品としてもホームセンターあたりで買った中国製だろう。けれども,その安物自転車に乗ってCRを移動する彼ら家族の様子は実に楽しそうなのであった。恐らくは遠く南米本国を後に一家で日本に移住してきた出稼ぎ労働者なのだろう。今は工場がお盆休みなので家族で休日サイクリングを楽しんでいるといったところか。川沿いの自転車道は走ってキモチイイし,それに何しろ,海に行ったり山に行ったり遊園地に行ったり映画に行ったり,あるいはショッピングセンターに行ってお買い物をしたりするのに比べたら,ゼンゼンお金がかからないわけだし。
4人のなかでは小さい男の子が一番元気がよく,シャカリキに漕ぎまくりながら,時折チラッとこちらを見てニッコリしたりする。その眼はまるで自分の達者な漕ぎっぷりを認めてもらいたがっているかのようだ。老人もまた自転車少年に向けてニッコリと微笑み返しをする。いわゆるひとつの異文化交流である。時おり,パラパラパラと土着スペイン語?らしきが家族間で交わされる。オトーサンが男の子に走行注意を促しているのだ(この先で一時停止しなさ~い,とか?) あるいは,女の子がオカーサンに向かって何かを訴えているのだ。(ドリンクが飲みた~い,とか?) それらの様子は,単独ツーリング老人から見ると大変ほほえましく,またウラヤマシイものであった。あー,何やら牧歌的な,いい雰囲気のCR風景だなぁ。
そんなノンビリとした時間が過ぎてゆくなか,前後して上流側からローディーのオニイサンが都合3台,軽快に走り下ってきては彼らと私の脇をサ~ッとすれ違った。また,下流側からも私らの脇をローディー・ニイサン(orオジサン)がハイスピードでスイ~ッと通り抜けていった。それらの方々はいずれも,いかにも拙者ローディーでござい!という姿格好で,ヘルメットからジャージ,レーパン,さらにはアイウエア,シューズまで全身勝負服でピシッと決めていた(夏場だというに,こんな所で御苦労さん)。車種はどれも確認できなかったが,全体の雰囲気からして決して安からぬシロモノであろうと推測された。これを要するに,自転車本体及び装備品の価格比で言えば,私のモノは恐らく彼らの10分の1にも満たないだろう。さらに,南米家族と比較してみれば,4人ひっくるめてもローディー・ニイサンの100分の1くらいなのではなかろうか。まさに現代日本社会の文化的縮図でありましょう。ただし,シアワセの費用対効果という点では,さてドーナンダローカ? などと,つい余計なことを考えてしまう老人であります。 ま,それもまたよし。彼も我も,お互いシアワセな自転車人であるのだから。
あー,またツマラヌことを記してしまった。そんなこんなで,家に戻ったのは夜8時過ぎになってしまった。走行距離は約85km,寄り道や休憩が多かったのでゼンゼン疲れなかった。鎌倉は次回のオタノシミとなりました。
当地から鎌倉までなら道路はだいたいキレイだし,また,アップダウンもほとんどないに等しい気軽な行程だ。事前にPCの地図ソフトで距離を計測してみると,自宅から鶴岡八幡宮まで湘南海岸(国道134号)経由でちょうど37kmだった。それで,その日はクロスバイクに乗って行こうと決めた。けれども不覚にも,出掛ける前の簡単な車両点検整備中に不注意でバックミラー(Zefalドゥバック470)をダメにしてしまった。アチャーッ! 私の場合,最近では自転車走行の際にバックミラーは不可欠のアイテムとなっているものだから,やむなく車両を急遽変更,いつものMTBで出掛けることにした。
家を出た時刻が午後1時半近くと遅かったため,いくら日が長い時期とはいえ,あんまりノンビリと寄り道,回り道をするわけにもゆかず,ほぼ最短ルートである県道62号を平塚の市街地まで一気に下った。そこからは国道134号に移って,相模川に架かる湘南大橋を渡り茅ヶ崎市内へと入った。ここまでの距離が約20km,平均速度は約26km/hであった。2.3インチ幅のごついブロックタイヤを履いた車重約15kgの鈍重なMTBだって,ライダーが気合いを入れればそれなりに速いのであります。そういえば去年の秋だったか,平塚市美術館で《絵で読む宮澤賢治展》という催しがあったとき,やはり同じように県道62号をMTBでブンブン飛ばして見学に出掛けたことがありました。あのときもやはり仕事の都合で家を出る時間が午後の遅くになってしまったため,閉館時刻を気にかけながら,決して走り易いとは申せぬ県道62号を目一杯のダッシュで駆け抜けたっけ。何しろこの県道は路肩帯が狭い。場所によっては路肩がまったく無かったりもする。そんななかのMTBダ~ッシュであるから,仕事で走る大型トラックの運ちゃんなどは危なっかしくてさぞ迷惑したことだろうが,このばあい文句は神奈川県県土整備部道路整備課の方にお願いいたします。一応当方はヘルメットを着用して真剣に走っておりましたのでね。
おっと,寄り道はほどほどにして! さてと,茅ヶ崎から先は国道134号をさらに東方面へと進むのが一般的なルートであろうけれども,巷の噂ではその界隈には何やらアヤシゲな個体というか個体群(GIOS group?)が常時棲息・徘徊しているとのことで,私ごときMTB老人がそんな輩に遭遇した日には一体どれほどの冷たい視線を受けることか,全体どれほどの罵声を浴びせられることか分かったもンじゃないから(何でだ?),ここは触らぬカミに祟りなし,ということで国道を避けて海岸沿いのサイクリング・コースを走ることにした(ええ,軟弱者と呼ぶがよろしい)。
強風波浪注意報が発令中の風が大変強い日で,海には白波のウサギが跳び,コースには砂ボコリが舞い飛び,さらにそれらの砂が路上に吹き溜まって堆積し凸凹マウンドが形成されている箇所があちこちに見られた。けれども,こちとら2.3インチタイヤのMTBだから,そんなもの一向にヘッチャラさ。沖に浮かぶ烏帽子岩を眺め,さらにもっと遠くに霞んで見える江の島を眺めながら,風にもまけず砂にもまけず健気にも呑気にもスイスイと自転車を走らせた。すぐ前の浜を見れば,夏のお盆休みだもの,海水浴客やらサーファーやら犬の散歩人やらですこぶる賑わっていた。海の色はかなりの褐色で,赤潮状態(Skeletonema costatumだろうか?)と見受けられたけれども,家族連れや若いオネーチャンたちは海の色が青かろうが赤かろうがそんなんモノトモせずにワイワイ,バシャバシャ楽しげに波とたわむれていた。思わず写真にでも撮りたくなるような,それはいかにも《湘南の夏》を感じさせる風景なのであるが,最近ではそういうのを写真に撮るとタイホされることもあるらしいので,とりあえずデジカメはしまったままにしておいた(難儀な世の中である)。
江の島が近くなるにつれ浜辺の混雑ぶりは一層ひどくなってきた。特に,引地川を渡った先の海岸沿い,「片瀬江の島海水浴場」というエリアだろうか,そこらあたりの混雑はハンパじゃなかった。「芋を洗うがごとき」といった紋切り型表現が臆面もなく出てしまうほどに,いや実際には「イスラム都市のスークのごとき賑わい」などに譬えた方がより適切だろうが,とにかく山家のサルにしてみれば何が何だかワケガワカラナイ混沌状態が眼前に展開していると思えた。砂浜でウジャウジャ,ワイワイと蠢く無数の老若男女の集団は,ひとりひとりを見ればそれぞれにささやかなるシアワセを求めてこの浜に集まって来ているのであろうが,例えば「赤潮」というものが植物プランクトンのなかのある特定種の異常発生状態を指すのであるなら,このシアワセビト軍団の蝟集状態もやはり異常であると言わねばならぬ。
実はこの海水浴場には,私自身はるかな昔に二度ばかり,すなわち今を去ること50年前と43年前に来たことがある。一度目は東京から電車を何本か乗り継いで苦労して,二度目は川崎から他所様の自動車に便乗してラクチンでやって来た。もちろん,その当時の私とて,やはり人並みのシアワセを求めてハルバル湘南の海辺まで参ったのである。けれども,その二度の海水浴旅行は,いずれもが後になって苦い思い出として記憶されたのであって,言葉を変えれば,その海水浴場で見聞した出来事によって「人生における避けられない死」というものの業というか宿命が幼心に刻まれたのである。要するに私にとって海というものはジンセイの教師,いや水先案内人のようなものであった(曖昧な言い様で恐縮です)。 今,眼前の海水浴風景の賑わいをボーッと眺めていると,古い記憶の底から往時のシーンが鮮やかによみがえり,頭ン中のセピア色のフィルターが取り払われて瞬時総天然色へと変貌し,そして遠くのどこかから懐かしい歌声が聞こえてくるような気がして思わず目頭が熱くなってしまう。その歌は,もちろんサザンなんかじゃない。加山雄三でもない。多分は石原裕次郎だったか,あるいはフランク永井だったっけ? 今にして思えばミシェル・ジョナスMichel Jonaszの《海辺のバカンスLes vacances au bord de la mer》の侘びしげな心象風景なんぞがどちらかといえばピッタリするのだけれども。。。
ま,そんな御託はドーデモイイとして。 さて,江の島の入口,境川河口部に架かる片瀬橋のたもとで自転車を降りて一休みしながらその先の稲村ヶ崎方面を望見していると,何故だか急に鎌倉まで行くのがイヤになってしまった(鬼門か?) 少なくとも自転車に乗っているときくらいは内なる声に従順でありたい(詭弁か?) それで急遽行程変更,境川沿いに北上することにした。境川はサイクリングロードに沿って町田方面から南下したことは何度かあるが,河口部から上流方面へと自転車で北上するのは初めてである。もっとも,境川の下流部はサイクリングロードとして整備されていないので,とりあえず川沿いの住宅街の狭い道々を縫うように北上してゆく。湘南地域の高級住宅地のイメージがある藤沢とはいいながら,路地裏の家並みはまるで古い田舎町のような地味で落ち着いた佇まいだ。あ,土着の東京人などから見れば藤沢あたりは実際イナカなのでしょうが。
河口から約6.4km上流の国道1号の境川大橋のたもとから境川CRが始まる。私の住まいに比較的近い金目川CRなどに比べると,こちらは幅員も広く舗装状態も良好で,かなりキレイな自転車道である。しかも真夏の昼間なので走行車もほとんど見当たらず,おおむね貸し切り状態だ。ありがたい,ありがたい。
しばらく気持ちよく走っていると,前方に家族連れと思われる自転車が4台,かたまって走っているのが認められた。近づいてよく見るとそれは南米人?の家族であった。日系ではなくメスチゾ系の風貌である。トーちゃんとカーちゃんと子供が2人,子供は小学校高学年くらいの女の子と,低学年の男の子。その一家4人が,ひとり1台自転車に乗ってサイクリングロードをまるで「民族小移動」といった感じでゆっくり楽しげに走っている。 こちらもノンビリ川を眺めながら,場所によっては川べりで自転車を停めて風景を愛でたりしながらCRをゆっくりゆっくり走っているので,少しの間,お互いに抜きつ抜かれつの併走状態になった。
彼らが乗っている自転車はお世辞にも立派なモノとはいえなかった。リサイクルショップとかで入手した比較的程度の良い中古自転車か,あるいは新品としてもホームセンターあたりで買った中国製だろう。けれども,その安物自転車に乗ってCRを移動する彼ら家族の様子は実に楽しそうなのであった。恐らくは遠く南米本国を後に一家で日本に移住してきた出稼ぎ労働者なのだろう。今は工場がお盆休みなので家族で休日サイクリングを楽しんでいるといったところか。川沿いの自転車道は走ってキモチイイし,それに何しろ,海に行ったり山に行ったり遊園地に行ったり映画に行ったり,あるいはショッピングセンターに行ってお買い物をしたりするのに比べたら,ゼンゼンお金がかからないわけだし。
4人のなかでは小さい男の子が一番元気がよく,シャカリキに漕ぎまくりながら,時折チラッとこちらを見てニッコリしたりする。その眼はまるで自分の達者な漕ぎっぷりを認めてもらいたがっているかのようだ。老人もまた自転車少年に向けてニッコリと微笑み返しをする。いわゆるひとつの異文化交流である。時おり,パラパラパラと土着スペイン語?らしきが家族間で交わされる。オトーサンが男の子に走行注意を促しているのだ(この先で一時停止しなさ~い,とか?) あるいは,女の子がオカーサンに向かって何かを訴えているのだ。(ドリンクが飲みた~い,とか?) それらの様子は,単独ツーリング老人から見ると大変ほほえましく,またウラヤマシイものであった。あー,何やら牧歌的な,いい雰囲気のCR風景だなぁ。
そんなノンビリとした時間が過ぎてゆくなか,前後して上流側からローディーのオニイサンが都合3台,軽快に走り下ってきては彼らと私の脇をサ~ッとすれ違った。また,下流側からも私らの脇をローディー・ニイサン(orオジサン)がハイスピードでスイ~ッと通り抜けていった。それらの方々はいずれも,いかにも拙者ローディーでござい!という姿格好で,ヘルメットからジャージ,レーパン,さらにはアイウエア,シューズまで全身勝負服でピシッと決めていた(夏場だというに,こんな所で御苦労さん)。車種はどれも確認できなかったが,全体の雰囲気からして決して安からぬシロモノであろうと推測された。これを要するに,自転車本体及び装備品の価格比で言えば,私のモノは恐らく彼らの10分の1にも満たないだろう。さらに,南米家族と比較してみれば,4人ひっくるめてもローディー・ニイサンの100分の1くらいなのではなかろうか。まさに現代日本社会の文化的縮図でありましょう。ただし,シアワセの費用対効果という点では,さてドーナンダローカ? などと,つい余計なことを考えてしまう老人であります。 ま,それもまたよし。彼も我も,お互いシアワセな自転車人であるのだから。
あー,またツマラヌことを記してしまった。そんなこんなで,家に戻ったのは夜8時過ぎになってしまった。走行距離は約85km,寄り道や休憩が多かったのでゼンゼン疲れなかった。鎌倉は次回のオタノシミとなりました。