まず最初に,本日の「2ちゃんねる/ニュース速報+板」からスレッドを引用する。
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車道を走っていた自転車に幅寄せして車をぶつける…会社員の男を逮捕
1 :そーきそばΦ ★:2013/06/17(月) 12:02:13.73 ID:???0
車道を走っていた自転車に車を幅寄せしてぶつけ、けがをさせたとして、警視庁富坂署は17日までに危険運転致傷と道路交通法違反(ひき逃げ)の容疑で埼玉県北本市栄、会社員小谷野信彦容疑者(41)を逮捕した。同署によると「幅寄せはしたが、ぶつけた覚えはない」と話しているという。
逮捕容疑は、5月23日午前8時35分ごろ、東京都文京区白山で、美容師男性(20)の自転車に運転していた乗用車を故意に接近させてぶつけ、転倒させて約2週間のけがをさせた疑い。また、男性を救護せずに逃走した疑い。
時事通信 6月17日(月)11時55分配信
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まことに憂うべき出来事である。嘆かわしき事故である。というか,有り体に言ってクソッタレな犯罪事案である。当の2ちゃんスレッドにおいては,このあと道路交通におけるクルマと自転車とのあいだに日々生じているであろう様々なトラブル(拮抗・抗争・罵倒・衝突・破壊etc)について毎度お馴染みの井戸端会議が延々と続いてゆくのだが,その24時間終日営業の井戸端スポットにあっては 概してドライバー視点の身勝手な傲慢発言が大勢を占めているわけであって,そういったエンドレス馬鹿話に私なぞ唯々ウンザリするばかりである。だったらそんな掲示板など見るな!と言われそうだが,いや,それでもついザッと目を通してしまうんですね。クルマを頻繁に利用し,それに強く依存し,クルマに繰られ囲われ翻弄され,そしてそれにベッタリと洗脳されている現代人のメンタリティを知ること,すなわち敵を知ることはこの「戦争」においてはすべからく重要な戦術なのでありますからして。ただし,わざわざそんな井戸端にこちらから突撃して,鹿爪らしくコメントしたりするのは真っ平御免だが。
ひとつだけ,クルマを運転しない者の立場から指摘しておきたいのは,現代ニッポン社会においては,クルマを運転する者の95%は「キチガイに刃物」状態にあるというのが厳然たる事実であり悲しむべき現実であるということ,そして今回の事件もそのような現状が不幸にして露骨に示された一つの事例に過ぎないということだ。他の諸国におけるクルマ事情はどうなのか,それについては当方承知しない。当然そこには各国における国民性や国民総所得(GNI),道路インフラなどの問題が絡んでくるだろう。なお,「キチガイに刃物」という ある意味ミモフタモナイ慣用句は,ここでは「キチガイに刃物を持たせてはいけない」ということではなく,「刃物を持つと人はキチガイになる」すなわち「刃物(=クルマ)という便利な道具は同時に人をキチガイにさせる魔物である」という意味合いで使用していることを了解されたい。また,「キチガイ」というマスコミの忌み嫌う差別用語の使用についても,これはもちろん知的障碍者や精神異常者を指しているのではなく,いわば きだみのるMinoru Kida的な物言いであると受け取って下さい。
というわけで,いささか唐突ながら,ここで我らがニッポン民族の歴史をザッと振り返ってみることにしよう。まずは今を去ることミレニアムの昔あたりにまで遡って思いを馳せてみる。その時代,平安朝の文化的爛熟,政治的な腐敗退廃,加えて大地震,津波,洪水,台風などさまざまな天変地異,自然災害による世情不安を背景とした世紀末的な風潮が世の中全体を覆っていた。そのような社会的混乱のなかから武士階級という新たな勢力が台頭し,やがて平清盛や源頼朝などの傑出した勇ましい武将が天下を牛耳ることになるわけだが,これには「刀」という強力な武器を拠り所とした強権的支配という改革手法が強く作用していた(イイクニ作るべ!)。以後,公家階級からはバルバリーと疎まれ蔑まれながら,また庶民層からはオニ・アクマと陰で呪われ恐れられながら,東国の鄙びた鎌倉の地で源氏三代,ついで執権北条氏による幾代かの武家政治が世を治めていったのだった。その鎌倉幕府も百数十年ののちに滅び(イチミサンザン北条氏),その後,南北朝廷の成立というドタバタをオーバーラップしながらも,ふたたび足利尊氏による室町幕府という,同じく強権的な武家政治へと繋がってゆく(イザ,ミワタセバ足利氏)。
十五世紀後半の応仁の乱(ヒトヨムナシク)以降は全国的に戦乱の時代となり,その後約一世紀近くにわたって各地で群雄割拠の穏やかならぬ権力抗争が繰り広げられた。世の中がすこぶる不安定で無秩序で荒んだ戦国時代にあっては,何はともあれ武力による下克上,昨日の淵は今日の瀬となる,といった日常風景が日々展開していたのであって,そこはまた本来の主役たる武士階級のみならず,野武士,荒武者,奴卑盗賊,遊民などのさまざまな階層に属するもののなかで「力ある者」が跳梁跋扈する世界であった。そこでは,「キチガイ」になるためには「刃物」を振りかざさねばならない,という理論ないし概念が一種の必要悪,という言い方はチョット変か,その時代を生きぬくための唯一無二の方程式として広く人々に理解されていた。百姓ですら,我が身を脅かすもの対しては,やむにやまれず鋤・鍬などの「刃物」で武装していたのだ。まことに難儀な時代でありました。
しかしながら,長い長い戦乱の挙げ句に,やがて織田信長が強大な政権を確立し(ヒトコナゴナに長篠合戦),さらにそれを引き継いだ豊臣秀吉が天下統一をはかり(センゴクオワリ天下統一),そして関ヶ原の合戦(イチロオオしく関ヶ原)ののちに徳川家康が江戸幕府を開いて名実ともに日本全国を治めることになる。「刀」による権力闘争は終わりを告げ,政治体制も徐々に整備されて,経済・文化の面でも社会は落ち着きをとりもどしてゆく。そうしていよいよ江戸時代という奇妙なミクロコスモス(小宇宙)の数百年がはじまるわけだ。
江戸時代というのは,基本的に安定と成熟の社会であった。というか,今は亡き杉浦日向子女史が生前倦まず語っていたように「チャランポランのお気楽社会」といった方がよいかも知れない。士・農・工・商 なべての人々が《生きる喜びLa joie de vivre》を実感し,それを具現化することを目指した時代である。少なくとも,共通理念としてはそうであったに違いない。それを最も端的にあらわしていたのが,武士における「刀」の意味だろう。本来は強権の手段であった刀というものが,江戸時代においては単なる「階級の象徴」になった。すなわち,刀は人を威嚇し殺めるものではなく,武士にとっての勲章ないしチョンマゲのようになっていた。それが証拠に,その時代,本邦諸藩の各地において,市中街路,郊外街道を問わずサムライが脇差しを抜刀したままで往来を闊歩することなど断じて御法度であったはずである。法的規定うんぬん以前の問題として,社会生活上の最低限のルールとして,それがデフォルト(常識)となった。もちろん,例えば城中屋敷内などの閉ざされた場所におけるサムライ同士の諍い,喧嘩というなら,それはまた別問題である。ま,好き勝手にやって下さい,ってなモンだ。しかし,城下の屋敷町,商店街,宿場街,町家などの公の路上で,あるいは長屋の路地裏などで,サムライが刀を抜いて闊歩するなどは,まったくもって正気の沙汰ではなく,決して許されるものではなかった。何よりも第一に,アブナイではないか! その顛末は,有名な古典落語『たがや』に描かれるごとくであっただろう。江戸時代が生きる喜びを謳歌した《シアワセ社会》であった所以である。
それがどうだ。現代ニッポン社会においては,サムライ(=ドライバー)が刃物(=クルマ)を振りかざして市中往来を我が物顔に右往左往することが日常のデフォルトになっているのだ。例えば,(1)住宅地内の生活道路や裏道,細道とか,(2)大規模公共施設や商業施設に付属する駐車場内とか,(3)地方街道とか,(4)山道とか林道とか,それ以外の事例については省略させていただくが,そういったさまざまな交通路において,現代のサムライたちは実に傍若無人である。(1)では各種配達系&ジジババ,(2)ではオバサン,(3)ではオッサン,(4)ではワカゾー,主としてそういった連中がひっきりなしに刃物を振り回している。仏頂面して,あるいは馬鹿面さらして,ケータイ片手にハンドル握って走り回っている。単に忙しいのか,偉ぶっているのか,自己チューなのか,あるいはボケが入っているのか,その理由はさまざまだろうが,結果として皆人キチガイになりきっている。 ったく,アブナイではないか!
さよう。今わたくしたちの社会は まさに戦国時代に逆戻りしているわけだ。キチガイどもが大手を振って跳梁跋扈する社会に先祖返りしてしまったのだ。以前,このブログのどこかで紹介した加藤周一の至言を改めて引用するまでもなく,まことにオロカな時代になったものである。刀狩りを行った太閤秀吉の心境がわかる気がする。無知蒙昧の民草に刃物なんぞを断じて持たせてはならない。彼らをキチガイにしてはならないという,それはまことにカタジケナイ大局的判断だったのだろう。刃物を持つには,それこそ生死を賭した覚悟と決意が必要なのだから。
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あれれ,およそ私には不似合いかつ不相応な歴史の講釈なんぞをヒケラカシテしまった。しかも無知から発したすこぶるアヤシイ愚論の数々を。例によって単なる老人妄言(ジジイのタワゴト)として笑ってお許しいただきたく存じます。
で,そもそも標題は一体何のことか,ですって?
はぁ~,と溜息ひとつ。話はようやっと振り出しに戻る。実は先週のこと,私自身も その「幅寄せ」をやられて一寸アブナイところだったのだ。しかも相手は大型バス,それも道路幅員の比較的広い片側1車線の県道を走行する路線バスである。時刻は平日の夕方,場所は伊勢原市内,バスは神奈川中央交通(株)が運行する車両である(社名を具体的に示すのもなんだが,伊勢原市内の路線バスといったら他にないでしょ?)
自転車(マウンテンバイク)に乗ってその道路を走っていた私は,前方の信号が赤になったので停止した。すぐ前にはクルマ(普通乗用車)が3台,同じく信号待ちで先に止まった。私の場合,普段の自転車走行時には,信号停止時にクルマの脇をすり抜けて先頭に出るようなことをしないので,3台目のクルマのすぐ後ろに付いた。正確には,道路端の路側線あたりでサドルから尻を下ろして左のクリートを外し,左足を路面に付けた状態で停止したわけである。
すると,少しして,後からやってきた路線バスが,私のすぐ横にピタッと並んで停止したのだ。彼・我の距離は40~50cmくらいだったろうか。要するに,ハナッから自転車(=軽車両)の存在なんぞ無視するかのように,バスは3台目のクルマの直後に詰めて停止したわけだ。 ったく,幅寄せ以前の問題である。意味わかんない!
その無礼千万な振る舞いに,温厚な私もさすがにムッとした。血気盛んな自転車乗りならバスのボディーに一発蹴りでも入れるところだろうが,小心者の私はそこまではできない。ほんの少し位置をずらして,バスの前方乗車口越しに運転士を覗き込むようにしてブレーキレバーを数回パチパチと強く鳴らし,相手の注意を喚起した。すると先方もこちらに気付いたようなので,その無礼な運転士を睨み付けてやると,あれれ,プイッとそっぽを向かれてしまった。マスクをしていたので風貌はよくわからなかったが,痩せぎすの若い男のようであった。ヲイ!
青信号に変わってからのスタートは,路線バスよりも当然こちらの方が早い(先方は新型のアイドリングストップバスだった)。私が道路左端をそのまままっすぐに漕ぎ進んでゆくと(フラットな広い道だったので30km/h程度のスピードで),遅れてスタートしたバスが,今し方のやりとりに呼応するかのように,まるでイヤガラセでもするかのように,当方のすぐ脇をギリギリ掠めるようにしてブルルルル~と追い抜いてゆき,一目散に走り去っていった。彼・我の距離は やはり50cm以内だったと思う。走行時に追い抜かれる際の大型バスのボディー側面の威圧感はナカナカのものである。バスの車高は約3m,全長は約10m,車体重量は10トンくらいだろうか。いっぽう,我がオンボロMTBときたら車重15~6kgくらいで,大型バスのわずか600分の1程度に過ぎず,まさに吹けば飛ぶような存在だ(実際,トラックやバスなどに真近を追い抜かれるときは風圧で車体が揺らいでしまうこと度々である)。繰り返すが,この県道はそんなに幅員の狭い道路ではない。また,追い抜き時,対向車に大型トレーラーが走っていたというわけでもない。追い抜きざま 当の運転士が舌を出したかどうかは不明であるが,いずれにしても明らかな交通ルール違反,危険運転の極みであったことは間違いない。クソッタレ奴が!
そもそも,バス会社は運転士に対してどういう教育をおこなっているのか? って,文句のひとつも投げつけたくなるが(バスのナンバーはしっかり記憶してある),いや,これはやはりそういう単純な問題ではないと思う。大型バスであろうが,軽自動車であろうが,ワンボックス・ワゴンであろうが,ランボルギーニであろうが,あるいは警察消防車両であろうが,やはりクルマというものはすべて「刃物」なのだ。刃物という強力な武器は,人の心を歪め,ときとして人の行動を狂気にかき立てる。そのようなキチガイが一般道路上を連日連夜右往左往しているというこの現代クルマ社会のありようを,先の2ちゃんねるスレッドは示している。この憂うべき現実に適切に対応する行政的施策は,まことに残念ながら現在のところ皆目見出されていない。まるで野放し状態,少なくとも私にはそう思える。交通事故による死者数が この十年で半減したって? そりゃ,クルマのボディー構造の安全性強化,シートベルト着用義務,エアバッグ標準装備のせいでキチガイ,もとい,ドライバーが生きながらえる確率がちっとばかり増えたに過ぎない。クルマ対ヒト,クルマ対自転車の事故に関しては,状況は大して変わっちゃいないと思う。いや,携帯電話(特にスマホ)やカーナビ(TV付き)の普及浸透により,却って悪化しているかも知れない。いつだって「刃物」は弱者を威圧し,威嚇し,そしてときに傷つける。傷つけた側のキチガイ,もといドライバーは,アチャーッ,と舌打ちをするのがせいぜいだ。あとは保険屋が適当に案配してくれるだろう。それに対して,傷つけられた被害者とその家族,関係者らは,そのような不幸な事故に伴う痛み,悲しみ,そして怒りを心に深く刻みつけ,その不条理をずっとずっと引き摺ってゆかざるをえないのだ。まったくもって カミもホトケもあるものか!
神奈中バス伊勢原営業所管内の関係者,読んでるか? (ヤッパ,そこかぃ!)