現在,《夏の交通事故防止運動》期間中である。昨年度と本年度の二年間にわたり自治会で交通対策の役を仰せつかっている私は,毎朝,地元の主要交差点である某所に張り付いて,交通誘導,いわゆる「朝立ち」を行っている。基本的には小学生の集団登校時間にターゲットを合わせるので,概ね午前7時20分から8時過ぎまでの時間帯に交差点に立つことになる。
原則としてクルマ対クルマ(その大部分が通勤車)の誘導は行わない。なまじ,交差点を右折するクルマやら脇道・路地・空き地などから本通りに出てくるクルマやらに対する誘導を逐一おこなっていると,万が一その最中にクルマ同士の接触事故等が発生した場合,当方が責任の一端を被せられる可能性なきにしもあらずなので,それらの相互通行は各クルマのドライバーの自己責任に任せるように,と,交通安全協会の上層部(=所轄警察署)の方からあらかじめ言い渡されている。そのような次第で,私どもが毎日行う朝立ちは,あくまで交差点を横断する歩行者の身の安全を確保すること,特に朝方の通勤時間帯は性急かつ粗雑(セッカチでイイカゲン)な運転をするクルマ(=走る凶器)がしばしば存在するので,そのようなバカ・グルマから子供らをしっかり守ること,そしてまた,誘導棒を片手に制服,制帽姿で交差点に直立していることによって,全てのクルマに対する抑止力を自らの存在をもって示すこと,それが本旨なのである。
ところで,私ども家族の住まうこの地区は,小・中学校の学区範囲がベラボーに広い。秦野盆地の北東部,丹沢山地南面に位置する当地区の面積は約29km2で,これは県央部の海老名市や大和市の市域に匹敵する広さである。当市の他の各地区と比べても,かなり広い。もっともその大部分は山地を主体とする市街化調整区域であって,市街化区域は全体の10%にも満たないが,それにしても学区が広いことに変わりはない。本年6月現在の世帯数は6,037世帯,人口16,411人,最近5年間の人口推移はおおむね横這い状態にあり,小中学生の数にもさほど大きな変動は見られないようだ。
そのような広い地区内のほぼ中心部に小学校,中学校が隣接して各1校ずつ設置されているだけなのであるからして,必然的に地区の辺縁部に住んでいる子供たちは毎日々々,長~い距離の徒歩通学を強いられることになる。例えば我が家の場合,自宅から小・中学校までの距離は約3km,子供の足で40~50分の通学時間であった。現在ではタカシは大学生,アキラは高校生になってしまい(ああ,時のたつのは早い!),既に長距離徒歩通学の縛りからは開放されているのだけれども,かつては二人とも,春・夏・秋・冬,雨の日も風の日も猛暑の日も厳寒の日も,近所の子らと一丸となって,道路整備状況が概して劣悪で危険通行箇所も少なからず存在する「指定通学路」を経由しつつ,まるで現代版シジフォスの神話のごとき集団登校を6年間,その後は中学になって単独登校に変り3年間,都合9年間も続けたのである。それらが全くの無駄,徒労であったとは言いたくないが,少なくとも自宅が学校の近くにあって通学が楽チンな子らに比べれば,長距離徒歩通学児童・生徒が朝な夕なに被っていた身体的・精神的な消耗ぶりは,彼らの少年期の成長過程においてボディーブローのように作用していたことは確かだろう。すべての子が元気ハツラツの体育会系少年少女とは限らないのだ。ざっと概算すると,9年間で1万km以上を徒歩通学したことになる(次式を参照),
[式1] 3(km/日)×2(往来)×200(日/年)×9(年間/小6中3) = 10,800km
もちろん上には上がいるわけで,ウチの子らよりもさらに遠くに居住し,学校まで歩いて1時間もかかる子だって中には存在した。思い起こせば幼少時,優しい両親の庇護に包まれた暖かな家庭という環境のなかでヌクヌクと揺籃期を過ごしていた子が,ある日突然,はるか彼方に存在する小学校という見知らぬ共同社会への参入を義務づけられる。そして,否応なしに始まる毎日の長距離徒歩通学という試練というか苦行。その困難さはいかばかりであっただろうか。それはオトナの世界になぞらえて言えば,例えば横浜市内の中心部,関内地区に本社をおく某企業に勤務している凡庸で呑気なサラリーマンが,それまで長年住み暮らしていた南区真金町の賃貸マンション生活を脱し,苦労して住宅ローンを組んで相鉄線沿線(最寄り駅は三ツ境ないし瀬谷)にささやかなるマイホームをようやっと手に入れることができて家族共々歓喜の涙に浸ったのも束の間,ある日突然会社から辞令がおりて,通勤時間が片道3時間以上もかかる千葉県銚子支店への転勤を命ぜられたという(ガ~ン!),ま,それぐらいの驚愕に匹敵する環境激変ではなかろうか。話がいささか冗漫に過ぎるとしても,とにもかくにも,幼少時のノッピキナラナイ体験が個人の人格形成に深く関与することは疑いない。長距離通学児童の場合,それは恐らく,彼の人生における最初の不条理,受け入れ難き理不尽として立ち現れたに違いなく,あるいはそのことが社会的不公平,不公正に対する強い異議申し立てといった意識革命に向かうこともあっただろう。いわゆる原始的アナキズムの芽生えである。
とまれ,そのような次第で地区内にせめてもう1校,たとえそれが分校レベルでも構わないからとにかく新しい学校が設置されないものか,と,かつては子の親として望んだものだった。関係機関にそれとなく打診してみたり,機会があれば控えめな要望を提出したこともあった。しかしながら,もとより当地における教育行政の保守性・硬直性,ならびに財政配分の不公平・不公正の現状などを鑑みれば,そのようなささやかなる願いがすべて徒労に帰すことは明らかであった。そしてその間,子供らはただひたすらに歩き続けていたのである。 Au suivant, au suivant!
ちなみに,当学区においては小中学生の路線バス通学は禁止されており(病気,ケガ等の緊急時における利用は認められているが),とにかく皆で一緒にガンバッテ毎日歩きなさ~い!と通達・指導されている。もっとも,我が家の周辺では学校方面へと通じるバス路線自体が存在しないので,公共交通機関を利用することさえ出来ないのだケレドモ。さらにまた,自転車通学も禁止されている。小学生は無理としても,中学生などに対しては自転車通学くらい認めてもよいのではないかと思うのだが,道路事情が悪いという理由で許可されていない。道路事情ですって? 恐らくそれは,主要道路に「自転車の走れる歩道」がほとんどないから中学生の自転車走行は危険だ,といったナサケナイ理由なのだろうと思う(実際,当市の別地区の中学では自転車通学が許可されている例もある)。 まったくもって,ああ,コドモたちに未来はない!
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
しかし何ですな。ウダウダ・グダグダ・ダラダラと,私は一体何を言いたいのであるか? 自分でも判然としないジジイの繰り言が延々と続けられてゆくのを他ならぬ私自身が密かに危惧するものであります。んで,ここらでそろそろ無駄話を切り上げることとするが,その前にひとつだけ,カウンターパンチを一発お見舞いしておきたいと思う(何じゃそりゃ?) それはですネ,例によって毎度々々のウラミツラミになるが,限りなくオロカなる現政権がこの4月に強引に成立させた《子ども手当法》なる稀代の悪法について,ここであらためて全面否定しておきたいわけであります。
そもそも,現連立政権が描くところの「子どもたちにとって望ましかるべき将来像」,そしてそれを補償・担保する強力な施策であると自画自賛している《子ども手当》なるものに果たして一体全体どれほどの意味があるのだろうか? 丸川珠代議員の鋭いヤジに同調するまでもなく,回転脳(ルーピー)が回転翼機(ヘリコプター)に乗って空からクルクルとテキトーに金をバラ撒いているに過ぎないではないか。子供らの身に降りそそぐ「札びら」の乱舞,それは将来の彼らに確実なる不幸をもたらす「凶籤」なのではないか (ったく,枯葉作戦か,っての!)
ワタシはここで,子どもたちの現在と未来,彼らの健やかなる成長にとって望ましかるべき,より実効性のある補償というものを,上記の通学問題にからめて考えてみたい。
一般の会社員,公務員などの通勤労働者の大多数は,居住地から勤務地までの距離ないし交通費に応じた「通勤手当」が所属する当該組織から支給される。法的には非課税限度額が月10万円となっているとのことだ。だったら,義務教育たる公立の小中学校に通う子供らに対しては,居住地から通学する学校(それは行政側からほぼ強制的に指定された学校である)までの距離に応じた「通学手当」ノヨウナモノが考慮されて然るべきではないか。徒歩通学を日々強要されることに伴う身体的・精神的消耗を,義務教育の管理主体者たる行政が何らかの形で補償するのがスジというものではないか。
議論をハッキリさせるために,そのような補償形態を《子ども手当》と同様の現物給付,すなわち金銭による「手当」として考えてみよう。今ここで通学距離1km当たりの基本補償単価を50円に仮設定する。先に示した[式1]を流用すると,通学手当の年額は,家から学校までの距離に応じて次のようになる。
[事例1] 距離200m: 年額4千円 。。。 0.2(km/日)×2(往来)×200(日/年)×50円
[事例2] 距離1km: 年額2万円 。。。 1.0(km/日)×2(往来)×200(日/年)×50円
[事例3] 距離3km: 年額6万円 。。。 3.0(km/日)×2(往来)×200(日/年)×50円
家から学校までの距離は指定通学路に基づいて計測されるから,手当金額の積算はごまかしようがない。同時に,この手当は「日割り」によって支給されるので,不登校児童,病気がちな子,ズル休みをする子など,通学日数が少なければ,それに応じて減額される。ただし,親がクルマで子どもを学校まで送迎することは各家庭における自助努力の範疇に属するため,その行為自体は残念ながら手当の支給額に反映されない。現状では,当地区において学校から最も遠い場所に住んでいる子は,家から学校までの距離が4km程度であろうから,子供一人当たりの年間支給額は,最高で8万円ということになる。いっぽう最低の方では,家が学校と隣接しているような子は通学距離100mとして年間支給額が2千円となる。現行の限りなくオロカなる《子ども手当法》と比べれば,これらの試算結果はよっぽど妥当な現物支給額ではなかろうか。
また,これは実際に発生する可能性がありうる事例として参考までに付記しておくが,例えばヤビツ峠を越えた向こう側のエリア(秦野市寺山丹沢)も当地区に属するのであるからして,もし青山荘(気まぐれ喫茶)とかBOSCOキャンプ場とかの宅地建屋内に小中学生の子どもが常時居住するようになった場合,その子はヤビツ峠を越えて地区内の公立小中学校に通学する義務を有する。ヤビツ詣での自転車乗りなどに昨今大人気の「気まぐれ喫茶」からだと,当該小学校までの距離は県道70号経由で約11km,柏木林道経由ならば約8kmである。自転車通学は認められていないし,また県道70号を徒歩通学するのはクルマの往来が大変危険なので,柏木林道の方を通学路に設定した方がよい。徒歩による通学所要時間は,行き(登校)が2時間半,帰り(下校)が3時間くらいになるだろうか。世間的に見ればそれは一種の武勇伝として後世にまで語り伝えられるに相応しい通学修行となろう。この場合,単純に[式1]を当てはめると,子ども通学手当は年額16万円になる。ただし,本事例に関しては通学路の辺境性(登山道を含む),困難性(獲得標高約600m)等の特殊事情を勘案する必要があろうから,手当を25%アップすることを提言したい。すると,当該児童に対する年間の通学手当(=子ども手当)は20万円となる。
連綿とタワゴトを述べていると申すなかれ。さて,以上のような支給金額を多いとみるか少ないとみるか? また,そもそもかくのごとき補償システムが実際に成立する可能性はありやなしや? それらは結局のところ厚生労働省(長妻まぁ大臣)ならびに地方自治体(M県知事およびF市長)の高度に政治的な判断を待たねばならない。多分は永遠にマチボウケをくらいそうな気もする。しかしながら,子どもたちの望ましかるべき未来について改めて考えるとき,今日あってこその明日デハナイカ! 時こそ今,頑張った者が報われる社会を築くべく,為政者たるもの心して毅然とした態度でこの困難な政局に立ち向かっていただきたい,と強く願わざるを得ない。まずは現行の《子ども手当法》を速やかに廃止すること,それが喫緊の課題である。
あぁ,何だかカウンターパンチが徒に空を切ってしまったような気がする。「マボロシの左」も久しく封印されたままだ。こりゃ,もう,引退勧告を受ける時期にきているのかなぁ?
原則としてクルマ対クルマ(その大部分が通勤車)の誘導は行わない。なまじ,交差点を右折するクルマやら脇道・路地・空き地などから本通りに出てくるクルマやらに対する誘導を逐一おこなっていると,万が一その最中にクルマ同士の接触事故等が発生した場合,当方が責任の一端を被せられる可能性なきにしもあらずなので,それらの相互通行は各クルマのドライバーの自己責任に任せるように,と,交通安全協会の上層部(=所轄警察署)の方からあらかじめ言い渡されている。そのような次第で,私どもが毎日行う朝立ちは,あくまで交差点を横断する歩行者の身の安全を確保すること,特に朝方の通勤時間帯は性急かつ粗雑(セッカチでイイカゲン)な運転をするクルマ(=走る凶器)がしばしば存在するので,そのようなバカ・グルマから子供らをしっかり守ること,そしてまた,誘導棒を片手に制服,制帽姿で交差点に直立していることによって,全てのクルマに対する抑止力を自らの存在をもって示すこと,それが本旨なのである。
ところで,私ども家族の住まうこの地区は,小・中学校の学区範囲がベラボーに広い。秦野盆地の北東部,丹沢山地南面に位置する当地区の面積は約29km2で,これは県央部の海老名市や大和市の市域に匹敵する広さである。当市の他の各地区と比べても,かなり広い。もっともその大部分は山地を主体とする市街化調整区域であって,市街化区域は全体の10%にも満たないが,それにしても学区が広いことに変わりはない。本年6月現在の世帯数は6,037世帯,人口16,411人,最近5年間の人口推移はおおむね横這い状態にあり,小中学生の数にもさほど大きな変動は見られないようだ。
そのような広い地区内のほぼ中心部に小学校,中学校が隣接して各1校ずつ設置されているだけなのであるからして,必然的に地区の辺縁部に住んでいる子供たちは毎日々々,長~い距離の徒歩通学を強いられることになる。例えば我が家の場合,自宅から小・中学校までの距離は約3km,子供の足で40~50分の通学時間であった。現在ではタカシは大学生,アキラは高校生になってしまい(ああ,時のたつのは早い!),既に長距離徒歩通学の縛りからは開放されているのだけれども,かつては二人とも,春・夏・秋・冬,雨の日も風の日も猛暑の日も厳寒の日も,近所の子らと一丸となって,道路整備状況が概して劣悪で危険通行箇所も少なからず存在する「指定通学路」を経由しつつ,まるで現代版シジフォスの神話のごとき集団登校を6年間,その後は中学になって単独登校に変り3年間,都合9年間も続けたのである。それらが全くの無駄,徒労であったとは言いたくないが,少なくとも自宅が学校の近くにあって通学が楽チンな子らに比べれば,長距離徒歩通学児童・生徒が朝な夕なに被っていた身体的・精神的な消耗ぶりは,彼らの少年期の成長過程においてボディーブローのように作用していたことは確かだろう。すべての子が元気ハツラツの体育会系少年少女とは限らないのだ。ざっと概算すると,9年間で1万km以上を徒歩通学したことになる(次式を参照),
[式1] 3(km/日)×2(往来)×200(日/年)×9(年間/小6中3) = 10,800km
もちろん上には上がいるわけで,ウチの子らよりもさらに遠くに居住し,学校まで歩いて1時間もかかる子だって中には存在した。思い起こせば幼少時,優しい両親の庇護に包まれた暖かな家庭という環境のなかでヌクヌクと揺籃期を過ごしていた子が,ある日突然,はるか彼方に存在する小学校という見知らぬ共同社会への参入を義務づけられる。そして,否応なしに始まる毎日の長距離徒歩通学という試練というか苦行。その困難さはいかばかりであっただろうか。それはオトナの世界になぞらえて言えば,例えば横浜市内の中心部,関内地区に本社をおく某企業に勤務している凡庸で呑気なサラリーマンが,それまで長年住み暮らしていた南区真金町の賃貸マンション生活を脱し,苦労して住宅ローンを組んで相鉄線沿線(最寄り駅は三ツ境ないし瀬谷)にささやかなるマイホームをようやっと手に入れることができて家族共々歓喜の涙に浸ったのも束の間,ある日突然会社から辞令がおりて,通勤時間が片道3時間以上もかかる千葉県銚子支店への転勤を命ぜられたという(ガ~ン!),ま,それぐらいの驚愕に匹敵する環境激変ではなかろうか。話がいささか冗漫に過ぎるとしても,とにもかくにも,幼少時のノッピキナラナイ体験が個人の人格形成に深く関与することは疑いない。長距離通学児童の場合,それは恐らく,彼の人生における最初の不条理,受け入れ難き理不尽として立ち現れたに違いなく,あるいはそのことが社会的不公平,不公正に対する強い異議申し立てといった意識革命に向かうこともあっただろう。いわゆる原始的アナキズムの芽生えである。
とまれ,そのような次第で地区内にせめてもう1校,たとえそれが分校レベルでも構わないからとにかく新しい学校が設置されないものか,と,かつては子の親として望んだものだった。関係機関にそれとなく打診してみたり,機会があれば控えめな要望を提出したこともあった。しかしながら,もとより当地における教育行政の保守性・硬直性,ならびに財政配分の不公平・不公正の現状などを鑑みれば,そのようなささやかなる願いがすべて徒労に帰すことは明らかであった。そしてその間,子供らはただひたすらに歩き続けていたのである。 Au suivant, au suivant!
ちなみに,当学区においては小中学生の路線バス通学は禁止されており(病気,ケガ等の緊急時における利用は認められているが),とにかく皆で一緒にガンバッテ毎日歩きなさ~い!と通達・指導されている。もっとも,我が家の周辺では学校方面へと通じるバス路線自体が存在しないので,公共交通機関を利用することさえ出来ないのだケレドモ。さらにまた,自転車通学も禁止されている。小学生は無理としても,中学生などに対しては自転車通学くらい認めてもよいのではないかと思うのだが,道路事情が悪いという理由で許可されていない。道路事情ですって? 恐らくそれは,主要道路に「自転車の走れる歩道」がほとんどないから中学生の自転車走行は危険だ,といったナサケナイ理由なのだろうと思う(実際,当市の別地区の中学では自転車通学が許可されている例もある)。 まったくもって,ああ,コドモたちに未来はない!
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
しかし何ですな。ウダウダ・グダグダ・ダラダラと,私は一体何を言いたいのであるか? 自分でも判然としないジジイの繰り言が延々と続けられてゆくのを他ならぬ私自身が密かに危惧するものであります。んで,ここらでそろそろ無駄話を切り上げることとするが,その前にひとつだけ,カウンターパンチを一発お見舞いしておきたいと思う(何じゃそりゃ?) それはですネ,例によって毎度々々のウラミツラミになるが,限りなくオロカなる現政権がこの4月に強引に成立させた《子ども手当法》なる稀代の悪法について,ここであらためて全面否定しておきたいわけであります。
そもそも,現連立政権が描くところの「子どもたちにとって望ましかるべき将来像」,そしてそれを補償・担保する強力な施策であると自画自賛している《子ども手当》なるものに果たして一体全体どれほどの意味があるのだろうか? 丸川珠代議員の鋭いヤジに同調するまでもなく,回転脳(ルーピー)が回転翼機(ヘリコプター)に乗って空からクルクルとテキトーに金をバラ撒いているに過ぎないではないか。子供らの身に降りそそぐ「札びら」の乱舞,それは将来の彼らに確実なる不幸をもたらす「凶籤」なのではないか (ったく,枯葉作戦か,っての!)
ワタシはここで,子どもたちの現在と未来,彼らの健やかなる成長にとって望ましかるべき,より実効性のある補償というものを,上記の通学問題にからめて考えてみたい。
一般の会社員,公務員などの通勤労働者の大多数は,居住地から勤務地までの距離ないし交通費に応じた「通勤手当」が所属する当該組織から支給される。法的には非課税限度額が月10万円となっているとのことだ。だったら,義務教育たる公立の小中学校に通う子供らに対しては,居住地から通学する学校(それは行政側からほぼ強制的に指定された学校である)までの距離に応じた「通学手当」ノヨウナモノが考慮されて然るべきではないか。徒歩通学を日々強要されることに伴う身体的・精神的消耗を,義務教育の管理主体者たる行政が何らかの形で補償するのがスジというものではないか。
議論をハッキリさせるために,そのような補償形態を《子ども手当》と同様の現物給付,すなわち金銭による「手当」として考えてみよう。今ここで通学距離1km当たりの基本補償単価を50円に仮設定する。先に示した[式1]を流用すると,通学手当の年額は,家から学校までの距離に応じて次のようになる。
[事例1] 距離200m: 年額4千円 。。。 0.2(km/日)×2(往来)×200(日/年)×50円
[事例2] 距離1km: 年額2万円 。。。 1.0(km/日)×2(往来)×200(日/年)×50円
[事例3] 距離3km: 年額6万円 。。。 3.0(km/日)×2(往来)×200(日/年)×50円
家から学校までの距離は指定通学路に基づいて計測されるから,手当金額の積算はごまかしようがない。同時に,この手当は「日割り」によって支給されるので,不登校児童,病気がちな子,ズル休みをする子など,通学日数が少なければ,それに応じて減額される。ただし,親がクルマで子どもを学校まで送迎することは各家庭における自助努力の範疇に属するため,その行為自体は残念ながら手当の支給額に反映されない。現状では,当地区において学校から最も遠い場所に住んでいる子は,家から学校までの距離が4km程度であろうから,子供一人当たりの年間支給額は,最高で8万円ということになる。いっぽう最低の方では,家が学校と隣接しているような子は通学距離100mとして年間支給額が2千円となる。現行の限りなくオロカなる《子ども手当法》と比べれば,これらの試算結果はよっぽど妥当な現物支給額ではなかろうか。
また,これは実際に発生する可能性がありうる事例として参考までに付記しておくが,例えばヤビツ峠を越えた向こう側のエリア(秦野市寺山丹沢)も当地区に属するのであるからして,もし青山荘(気まぐれ喫茶)とかBOSCOキャンプ場とかの宅地建屋内に小中学生の子どもが常時居住するようになった場合,その子はヤビツ峠を越えて地区内の公立小中学校に通学する義務を有する。ヤビツ詣での自転車乗りなどに昨今大人気の「気まぐれ喫茶」からだと,当該小学校までの距離は県道70号経由で約11km,柏木林道経由ならば約8kmである。自転車通学は認められていないし,また県道70号を徒歩通学するのはクルマの往来が大変危険なので,柏木林道の方を通学路に設定した方がよい。徒歩による通学所要時間は,行き(登校)が2時間半,帰り(下校)が3時間くらいになるだろうか。世間的に見ればそれは一種の武勇伝として後世にまで語り伝えられるに相応しい通学修行となろう。この場合,単純に[式1]を当てはめると,子ども通学手当は年額16万円になる。ただし,本事例に関しては通学路の辺境性(登山道を含む),困難性(獲得標高約600m)等の特殊事情を勘案する必要があろうから,手当を25%アップすることを提言したい。すると,当該児童に対する年間の通学手当(=子ども手当)は20万円となる。
連綿とタワゴトを述べていると申すなかれ。さて,以上のような支給金額を多いとみるか少ないとみるか? また,そもそもかくのごとき補償システムが実際に成立する可能性はありやなしや? それらは結局のところ厚生労働省(長妻まぁ大臣)ならびに地方自治体(M県知事およびF市長)の高度に政治的な判断を待たねばならない。多分は永遠にマチボウケをくらいそうな気もする。しかしながら,子どもたちの望ましかるべき未来について改めて考えるとき,今日あってこその明日デハナイカ! 時こそ今,頑張った者が報われる社会を築くべく,為政者たるもの心して毅然とした態度でこの困難な政局に立ち向かっていただきたい,と強く願わざるを得ない。まずは現行の《子ども手当法》を速やかに廃止すること,それが喫緊の課題である。
あぁ,何だかカウンターパンチが徒に空を切ってしまったような気がする。「マボロシの左」も久しく封印されたままだ。こりゃ,もう,引退勧告を受ける時期にきているのかなぁ?