結婚して、つまり夫婦になって40年目である。
いろんなことがあったような気がする。
というのは、まだ一緒に歩み進んでいると思うからそんな気がするということなのです。
「いろんなことがありました」ではないのです。
振り返りもするけど、前も見たい。未来欲を持ち続けたい。
今頃になって生き急ぐということでもあるまいに。
一緒になったときのきっかけなどは、恥ずかしくて何となくとしか言えないが、これまでの運命を共有してきたことは間違いのない事実である。
人の契機は大それた中から生まれるのではなく、時間が経った後、あれが契機だったんだと想えればいのではないか。
自分より若い人たちには、運命を共有する人と漠然とした恐れを抱えずに出会うことを願うのです。
一人で行ってきたことを二人で行えばいいだけなのです。(と思えればいい。)
運命共同体がないと、人生の楽しみは2分の1と想ってしまうのです。
以前、家族で伊豆大島の波浮港を散策したときのスケッチです。
ほっとする雰囲気が漂っていたのを今も憶えています。
いろんなことがあったような気がする。
というのは、まだ一緒に歩み進んでいると思うからそんな気がするということなのです。
「いろんなことがありました」ではないのです。
振り返りもするけど、前も見たい。未来欲を持ち続けたい。
今頃になって生き急ぐということでもあるまいに。
一緒になったときのきっかけなどは、恥ずかしくて何となくとしか言えないが、これまでの運命を共有してきたことは間違いのない事実である。
人の契機は大それた中から生まれるのではなく、時間が経った後、あれが契機だったんだと想えればいのではないか。
自分より若い人たちには、運命を共有する人と漠然とした恐れを抱えずに出会うことを願うのです。
一人で行ってきたことを二人で行えばいいだけなのです。(と思えればいい。)
運命共同体がないと、人生の楽しみは2分の1と想ってしまうのです。
以前、家族で伊豆大島の波浮港を散策したときのスケッチです。
ほっとする雰囲気が漂っていたのを今も憶えています。