叔母が亡くなって四十九日の法要が行われた
ここひと月の間に4回目の法要事である。
兄弟、親戚が集まり、今日の小雨、つい先日の告別式の話、それぞれの近況などの会話が交り合う。
法要の時間となり本堂へ案内され、座る位置などに気配りながら徐々に厳粛な雰囲気になってくる。
納骨も無事に済ませ一同一安心するも、他の兄弟のお墓がある寺であり一回りしながら想い出話しや今後のことなどをそれとなく会話する。
叔母の時代は兄弟も大勢、当然に世帯も多く一族のお墓も多い。
その時代からは、子孫は激減しているし、少ない子供同士結婚して家庭を築いていくのだから、「○○家の墓」と彫られた墓石になるとは限らない。
これから、どのようになっていくのだろう?お寺は何か考えているのだろうか?
自分たちが考えて、元気なうちに道標を形にしておかねばならないだろう。
出席者は皆、気になる世代である。
飲みながら食べながら、それぞれが少なからず思っているのを感じた日でした。
ここひと月の間に4回目の法要事である。
兄弟、親戚が集まり、今日の小雨、つい先日の告別式の話、それぞれの近況などの会話が交り合う。
法要の時間となり本堂へ案内され、座る位置などに気配りながら徐々に厳粛な雰囲気になってくる。
納骨も無事に済ませ一同一安心するも、他の兄弟のお墓がある寺であり一回りしながら想い出話しや今後のことなどをそれとなく会話する。
叔母の時代は兄弟も大勢、当然に世帯も多く一族のお墓も多い。
その時代からは、子孫は激減しているし、少ない子供同士結婚して家庭を築いていくのだから、「○○家の墓」と彫られた墓石になるとは限らない。
これから、どのようになっていくのだろう?お寺は何か考えているのだろうか?
自分たちが考えて、元気なうちに道標を形にしておかねばならないだろう。
出席者は皆、気になる世代である。
飲みながら食べながら、それぞれが少なからず思っているのを感じた日でした。