海山散歩人

古希を過ぎても、ライフスタイルは変わりようもなく、ジタバタしながら生きている高齢極楽トンボのブログです。

高湯温泉から二本松市で智恵子の生家へ

2022-03-28 | 旅行
福島駅から在来線に乗って二本松駅で途中下車しました

旅館で一泊してただ帰るのも勿体ない気がして、何処か観光できる場所がないかと調べていて二本松城がヒットした。

戊辰戦争で落城したが、そのとき戦った「二本松少年隊」の悲劇の舞台となっている。

飯盛山で自決した会津藩の白虎隊は余りにも有名だが、二本松でも同じことが行われていた。

復元作業は今も続いているよう




二本松城下が一望できる


近くに、二本松藩主・丹羽家の菩提寺「大隣寺」がある


境内に少年隊士を供養した供養塔が並んでいる


まだ少し時間があるから市街地マップを見ていたら、「智恵子の生家」が載っている。

高村幸太郎の妻の生家が残っている! 記念館もあるようだ。
これはぜひ寄ってみたいけど交通機関が見当たらない、思い切ってタクシーを使うことにした。

生家は街道に面した造り酒屋・長沼酒店である


智恵子は、ここで何不自由なく育って大学に進学し、当時は画家としても注目された女子だったらしい。

当時の繁栄の中にいるような気になる


高村光太郎も妻と度々東京から戻って過ごしたらしい


智恵子抄で、高村光太郎が愛した可愛い病弱な女性が精神疾患を患って、若くして亡くなったとだけ思っていたが、それだけではないようである。

昭和4年に長沼家は倒産して生家が人手に渡ったことも、長女の智恵子が精神を崩した一因ではないかと推測されている。

3月の安達太良山は意外と雪が少なく見えた


この景色を想い浮かべながら息を引き取ったのだろうか、この空と東京の空とを比べた言葉は余りにも有名である。

その後、高村光太郎は戦後の世相に振り回された後、岩手県の宮沢賢治の生家を頼って花巻市の庵で一人生涯を終えたと記憶している。

在来線で郡山へ出て新幹線で帰路に


今回の湯治旅では予想外の事実に出会うことが出来て、ひと通り歩き終えたらふーっとため息が出るような気分になった。

愛と繁栄、そして没落、精神疾患、若年死、孤独等、一人の女性の人生が詰まっている空間に触れた旅になった。

二本松市街の交差点にはこんな標識が


タクシー代は計画外の出費だったが、時間に使って大正解だった。

生家は二本松市が住人から譲り受けて管理・保存している、二本松市の貴重な文化遺産である。

我々世代には馴染み深い物語を身近に見ることができて、予想以上の感動を味わうことができた湯治旅。
疲れを取るつもりが、少し新しい疲れが出たような、新しい文化史を発見したような旅でした。


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