ずーっと以前から訪れたいと思い続けていた
横須賀市の観音崎の周辺地域に会津藩士とその家族の墓地が散在しているらしい。
江戸時代末期に開国を求めて外国船が出没するようになり、鎖国をしていた徳川幕府は江戸城防衛のため、東京湾口の三浦半島の海岸警護を会津藩に命じたという。
会津からは藩士と家族も横須賀に移り住んで任務にあたり、子供たちの教育機関である藩校もあったらしい。
それを知った時、そんなことがあったのかと驚いて、いつか墓地を訪ねてみたいと思っていて、ついに墓参することができた。
横須賀には4か所の墓地があり、半日も歩けば全てを墓参できそうと歩いてきた。
京急浦賀駅 → バス → 鴨居港で下車、徒歩で次の順で墓地巡り開始
→ → →
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能満寺と西徳寺は比較的近い場所にあり、バス停からも歩きやすいけど、階段や山道を歩かなければならない。
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西徳寺の墓地は山の上でひっそりと
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各墓石にはミネラルウオーターが一本ずつ供えられていて、顕彰会の卒塔婆も建てられていた。
こんな山道も歩く
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三か所目の腰越墓地は観音崎に向かう途中の住宅街にある三昧堂という場所で、やはり階段を上がってたどり着く。
お寺はなくお墓だけが丁寧に保存されている
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ここからは小高いニュータウンを通って、観音崎公園を越えて走水へ出て円照寺を目指す。
天気も良くて気持ちのいいハイキングである。
観音崎公園の広さを実感しながらの山越え
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公園から走水への近道は下りの急階段が続く
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方向感覚だけでマイナーコースを通ったら、目指すお寺・円照寺の近所に出ることができた。
本堂には着いてもお墓の場所が分からない
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帰宅して調べてみたら、どうも無縁仏と一緒に安置されているようである。
ここまでお参りした墓石と同じ形のものが、無縁様の中に立っていたので「ここかな?」とは思った。
高台から東京湾を臨む景色も気持ちいい
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沢山歩いて、ついに訪れることができた会津藩士の墓、大政奉還から現代までの歴史を垣間見ることができた。
それにしても何と壮大な会津藩士・家族の移住だろう、家族ごと横須賀に移り住んで江戸城を守るとは、想像を超えた歴史が身近に存在していたことに驚きと感動、そして何とも言えない哀悼の念が湧いてきました。
なぜ横須賀に会津藩士の墓地があるのか、薄っすらとした認識しかなかったが、これですっきりしました。
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横須賀市の観音崎の周辺地域に会津藩士とその家族の墓地が散在しているらしい。
江戸時代末期に開国を求めて外国船が出没するようになり、鎖国をしていた徳川幕府は江戸城防衛のため、東京湾口の三浦半島の海岸警護を会津藩に命じたという。
会津からは藩士と家族も横須賀に移り住んで任務にあたり、子供たちの教育機関である藩校もあったらしい。
それを知った時、そんなことがあったのかと驚いて、いつか墓地を訪ねてみたいと思っていて、ついに墓参することができた。
横須賀には4か所の墓地があり、半日も歩けば全てを墓参できそうと歩いてきた。
京急浦賀駅 → バス → 鴨居港で下車、徒歩で次の順で墓地巡り開始
→ → →
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能満寺と西徳寺は比較的近い場所にあり、バス停からも歩きやすいけど、階段や山道を歩かなければならない。
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西徳寺の墓地は山の上でひっそりと
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各墓石にはミネラルウオーターが一本ずつ供えられていて、顕彰会の卒塔婆も建てられていた。
こんな山道も歩く
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三か所目の腰越墓地は観音崎に向かう途中の住宅街にある三昧堂という場所で、やはり階段を上がってたどり着く。
お寺はなくお墓だけが丁寧に保存されている
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ここからは小高いニュータウンを通って、観音崎公園を越えて走水へ出て円照寺を目指す。
天気も良くて気持ちのいいハイキングである。
観音崎公園の広さを実感しながらの山越え
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水仙は満開 桜はちらほら
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公園から走水への近道は下りの急階段が続く
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方向感覚だけでマイナーコースを通ったら、目指すお寺・円照寺の近所に出ることができた。
本堂には着いてもお墓の場所が分からない
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帰宅して調べてみたら、どうも無縁仏と一緒に安置されているようである。
ここまでお参りした墓石と同じ形のものが、無縁様の中に立っていたので「ここかな?」とは思った。
高台から東京湾を臨む景色も気持ちいい
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沢山歩いて、ついに訪れることができた会津藩士の墓、大政奉還から現代までの歴史を垣間見ることができた。
それにしても何と壮大な会津藩士・家族の移住だろう、家族ごと横須賀に移り住んで江戸城を守るとは、想像を超えた歴史が身近に存在していたことに驚きと感動、そして何とも言えない哀悼の念が湧いてきました。
なぜ横須賀に会津藩士の墓地があるのか、薄っすらとした認識しかなかったが、これですっきりしました。
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