僕の生涯に於いて一番心残りなのは、予備校の時のライバルを引き上げなかった事です。まさか芸大の入試に落ちるとは思っていなかったのです。その年は、試験内容が大幅に変更になり、ド素人の現役が合格し、予備校のポスターに選ばれるような実力者が次々と落ちた異常な年でした。その主犯は、創画会という公募団体に属する稗田教授。あの年の日本画合格者は、芸大史上最低のクロップと言われているのです。それもこれも、後に古代史で革命を起こす僕を落とすために、狡猾な悪魔が企んだものだったのです。
僕は今でこそ自らを天才と呼んでいますが、予備校の時は欲がなくて、真央ちゃんみたいに世間知らずでいたのです。僕が開発したデッサン理論は、予備校の先生に叩かれながらも、それ以降のスタンダードとなりました。昔は、石膏デッサンの目玉や髪の毛を描いただけで怒られたのです。今は全員描いていますが。僕は、真央ちゃんみたいに、純粋に技術を習得する事にしか興味が無く、芸大に入るためのテクニックとか、善悪を判断する社会性には疎かったのです。予備校の仲間を引き上げなかった事で、僕は芸大で悪魔のアトリエで苦労する事になります。予備校のような、純粋な魂の持ち主は、全員落ちていたのですから。
僕は、自分の霊的な力を知らなさすぎたのです。僕が手を差し伸べたなら、僕の予備校時代の仲間は落ちなくて済んだのです。それが理解されたのは、芸大に入って卒業が間近となった時です。もう手遅れでした。才能のある仲間達は、もう別の道を歩み始めていたのですから。善悪を知らずにいた結果、芸大では居場所が無くなるほど、サタンに囲まれていたのです。僕は、体重で5㎏も痩せ細り、ジーパンも一番細い物になっていました。予備校の時、デッサンの鬼と言われたのに、どうして鬼神となって仲間を守れなかったのか…。僕は後悔で苛まれていました。
真央ちゃんは、スケートが好きで、ジャンプが好きで、それだけで人を惹き付ける魅力を放っています。でも、真央ちゃんの周りでは、傷付いたり、不本意な別れを強いられる人が出ているのです。真央ちゃんはエフライム族の王女です。聖書で、あらゆるものを薙ぎ倒して進むと形容されるエフライムの子孫なのです。ですから、阿修羅の如き、あるいは子を守る不動明王の如き鬼神となってこそ、備わっている本当の力が発揮できるのです。
大相撲の初代若乃花は、相手を殺す迫力で土俵に叩き付けました。しかし、叩き伏せた相手を見て悲しむ慈悲の心も持っていたのです。勝負の世界は、生きるか死ぬか、相手をけ落とすか自分が引き落とされるかという側面を有しています。あるアナウンサーが口を滑らせたように、勝つという事は相手に引導を渡す事なのです。どんなに優しい気持ちがあろうとも、涙を流しながら勝たなくてはならない現実。勝負師である限り、これに目覚めなくてはならない日が来るのです。
韓国選手のような、バッタの如き不完全な変態では真央ではありません。今は春を待つ蝶のサナギのように、やがて全く違う自分として脱皮する日が近付いているのです。その日が来れば、ファンの多くは真央ちゃんに対して抱いていたイメージが間違っていた事を知るでしょう。蝶となって自由に羽ばたく真央は、鬼神の如き強さと、慈母のような優しさを備えた存在となるでしょう。真央よ悪魔を退ける鬼神となれ。これは、鬼神となる事をためらって後悔した僕からのメッセージです。
エフライム工房 平御幸
僕は今でこそ自らを天才と呼んでいますが、予備校の時は欲がなくて、真央ちゃんみたいに世間知らずでいたのです。僕が開発したデッサン理論は、予備校の先生に叩かれながらも、それ以降のスタンダードとなりました。昔は、石膏デッサンの目玉や髪の毛を描いただけで怒られたのです。今は全員描いていますが。僕は、真央ちゃんみたいに、純粋に技術を習得する事にしか興味が無く、芸大に入るためのテクニックとか、善悪を判断する社会性には疎かったのです。予備校の仲間を引き上げなかった事で、僕は芸大で悪魔のアトリエで苦労する事になります。予備校のような、純粋な魂の持ち主は、全員落ちていたのですから。
僕は、自分の霊的な力を知らなさすぎたのです。僕が手を差し伸べたなら、僕の予備校時代の仲間は落ちなくて済んだのです。それが理解されたのは、芸大に入って卒業が間近となった時です。もう手遅れでした。才能のある仲間達は、もう別の道を歩み始めていたのですから。善悪を知らずにいた結果、芸大では居場所が無くなるほど、サタンに囲まれていたのです。僕は、体重で5㎏も痩せ細り、ジーパンも一番細い物になっていました。予備校の時、デッサンの鬼と言われたのに、どうして鬼神となって仲間を守れなかったのか…。僕は後悔で苛まれていました。
真央ちゃんは、スケートが好きで、ジャンプが好きで、それだけで人を惹き付ける魅力を放っています。でも、真央ちゃんの周りでは、傷付いたり、不本意な別れを強いられる人が出ているのです。真央ちゃんはエフライム族の王女です。聖書で、あらゆるものを薙ぎ倒して進むと形容されるエフライムの子孫なのです。ですから、阿修羅の如き、あるいは子を守る不動明王の如き鬼神となってこそ、備わっている本当の力が発揮できるのです。
大相撲の初代若乃花は、相手を殺す迫力で土俵に叩き付けました。しかし、叩き伏せた相手を見て悲しむ慈悲の心も持っていたのです。勝負の世界は、生きるか死ぬか、相手をけ落とすか自分が引き落とされるかという側面を有しています。あるアナウンサーが口を滑らせたように、勝つという事は相手に引導を渡す事なのです。どんなに優しい気持ちがあろうとも、涙を流しながら勝たなくてはならない現実。勝負師である限り、これに目覚めなくてはならない日が来るのです。
韓国選手のような、バッタの如き不完全な変態では真央ではありません。今は春を待つ蝶のサナギのように、やがて全く違う自分として脱皮する日が近付いているのです。その日が来れば、ファンの多くは真央ちゃんに対して抱いていたイメージが間違っていた事を知るでしょう。蝶となって自由に羽ばたく真央は、鬼神の如き強さと、慈母のような優しさを備えた存在となるでしょう。真央よ悪魔を退ける鬼神となれ。これは、鬼神となる事をためらって後悔した僕からのメッセージです。
エフライム工房 平御幸