平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

有間皇子の引力

2010-07-29 22:40:00 | 古代史と聖書
 昨日は徳島で雨が降り、早々と眉山のかんぽに落ち着き、天井からの打たせ湯で疲労回復。夜中には一時的に雨が上がり、徳島の夜景が見られたのはラッキーでした。でも、今日は朝からの雨で、和歌山港へのフェリーも波でローリング。でも、和歌山港へ到着したときは晴れていました。

 今回の旅行で、和歌山は予定外の行動です。でも、鶴と亀さんの岸和田から近いので、成り行きで和歌山行脚となりました。南海電鉄の和歌山港から、とりあえずJRと連結する和歌山市でコインロッカーに荷物を預け、駅そばの洋食喫茶でカレーを食べながら、何処に行くかを検索。結局、『万葉集』ルートということで、南部(みなべ)の有間皇子の歌碑を訪れることにしました。



 有間皇子は、18才で処刑された悲劇の皇子で、父は孝徳天皇という皇位継承権を持つ有力皇子です。しかし、女帝の斉明天皇に謀反の罪を賜り、反逆罪で処刑されました。そのときの辞世の歌が美しく、『万葉集』の中でも傑作に数えられています。

 磐白の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む (巻二 141番)
家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る(巻二 142番)
以上、『万葉集』検索システムより

 しかし、万葉仮名は単なる当て字ではなく、ヒエログリフと同じように、同音でも使う文字によって意味が微妙に違ってきます。たとえば、最初の歌の原文は磐白乃で始まりますが、なぜ白なのでしょう。二つ目の歌は、原文が椎之葉ですが、なぜに椎(しい)なのでしょう?椎の葉は、カシ類の中では小さいのです。ご飯を盛るだけなら、柏とかもっと大きな葉が良いはずです。

 二つ目の歌は一般に、「家に帰れば笥(け=器)に盛る飯を、旅の途中なので(笥がないので)椎で代用し、神様に供えるのである」と解釈されています。でも、椎は木+隹(とり=しっぽの短い鳥の総称)なので、鳥で象徴されたイスラエルの12部族の比喩だと分かります。また、木はユダヤ教の比喩なので、有間皇子は宗教的な対立の中で死を賜ったと分かります。問題は、斉明と有間皇子のどちらがユダヤ教なのか?

 最初の歌の白い岩は、白で象徴されたイエスの教会(岩)だと分かります。ここから、有間皇子はキリスト者として処刑され、松の枝に何かを託したと理解できるのです。でも、本格的な謎解きは、やはり瞳ちゃんが登場する古代史で行うべきですね。

 和歌山から南部に向かう途中、山の尾根から霧が湧く、今にも雨が降りそうな天気でした。しかし、南部に近くなると晴れてきて、南部駅でタクシーに乗ると雨の心配はなくなりました。タクシーでなくては行けない場所に歌碑があるのですが、歌碑の前は無神経なサーファーの車が停められています。僕が思うに、サーファーはもっとも無神経で自分勝手な人種だと思います。台風でも警告を無視するし。

 南部から宿舎に予定している泉佐野までは遠く、最初は17時代の各停から特急に乗り換えの予定でした。でも、南部から特急券を買ってしまい、しかも16時代の特急が遅れているとのことで、その特急で帰ることができました。帰りの車中、いつものように雲間から太陽が出て祝福の印。写真を撮るには日差しが強すぎるかなと思ったら、フィルターの雲に隠れてくれる有り難さ。やはり、有間皇子の死は、僕の古代史のテーマに沿うものだと確信しました。



      エフライム工房 平御幸
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