前から書こうと思っていたのですが、愚鈍の霊が蔓延しており、とうとう堪忍袋の緒が切れたので書くことにします。僕は、内に籠るのを推奨するためにSNSに招待しているわけではありません。コメントの多い読者や、支援で助けてくれる読者に、星の位より一段高い月の位を場として与えているのです。
ですから、ブログが公の場だとしたら、SNSは教会のような自由意志の場なのです。入るのも辞めるのも自由ですが、しばらく活動実績がない場合は登録を抹消します。知らない間に抹消された人や、訳有って退会した人も、改めて申しこめば再招待されます。入りたいという人を拒む理由はありません。
しかし、何を誤解しているのか、SNSの中で活動していれば、外界のブログでコメントしなくても良いと勝手に思う困り者が続出です。外に向かって発信する気持ちのない人は、その時点で神の目から引き籠りや閉じ籠もりとして見られるのです。外に向かっての行き過ぎた宣伝は好ましくありませんが、外との関係を断つのはもっと悪いのです。イエスは外に発信し続けたのですから。
このような閉じ籠もりは精神を退化させます。弟子がネタを提供するので丁度よいのですが、精神が停滞した人は役に立たないことに夢中になります。例えば、弟子の送ってきたニット帽です。
芸大ニ年のカリキュラムに、スケッチのための東北旅行がありました。この時に、その恐るべき破壊力で、才能ある新美の同僚女性二人を落とした、魔女のような人も一緒でした。魔女のようなは喩えではなく、実際に靴から帽子まで真っ黒な魔女のコスチュームで、芸大試験直前の新美に来た人です。初めてその人がアトリエに来た時、落ちた美人の一人と目を合わせ、「どうしよう」という顔をし合ったほどでした。
その人が、何を考えたのかニット帽を僕にかぶらせたのです。僕は帽子を被る習慣はありませんでしたが、残雪の残る酸ヶ湯から十和田に至るルートで使っていました。しかし、絵が全く描けないのです。集中力がマイナスになるほど酷く、酸ヶ湯ではとうとう諦めて温泉宿に戻って来ました。宿に着いて部屋から外を眺めると、木の根の暖かさで雪が溶けているのを発見。それが次の30分で描いたスケッチです。
パステル、色鉛筆、透明水彩
ニット帽の欠点は、サンバイザーがないので眩しい、脱ぐときも被るときも髪が乱れる、額を締めないので集中できない、霊感の源である眉毛が隠れる、ヘッドフォンをするときに邪魔、などなどあります。まるで、僕の極度の集中力を削ぐために被らされたようなものです。
ニット帽を被っているときは集中力がマイナスになり、脱いだらスラスラと流れるように描くことができた。この事件は忘れていたのですが、弟子のおかげで思い出しました。ネタを提供する弟子ですが、その点だけは褒めてあげます。
読者からは色々と送ってくるのですが、二度おいしい三度おいしいというのは稀です。箱やパッケージなどは、大半は邪魔者扱いになります。その中で重宝しているのが静岡おでんです。雨で買い物ができないときには非常食となり、残った出汁に肉と玉葱を入れれば肉丼となり、眠れない夜にビールのツマミとなり、読者にユニットを送るときはパッケージが役立ちます↓。
ユニットとコードとCDを送った時の箱。淡路島うどんは美味しいけど、大きな鍋がないと茹でられない
このように、廃物利用の段階でも役に立つのが良い贈り物です。お菓子は、父親が天才的な菓子職人だったので、何を食べても満足できません。送ってきた人には申し訳ないので、仕方なく美味しいとは返事していますが、食べにくいものや、凝り過ぎたものは余り有りがたくありません。
手で掴んで食べやすいドラ焼きや、冷蔵庫で保存が効くものや、非常食となるものが点が高いです。粉が散らばったり、崩れたり、食べる前の用意が大変とかはご遠慮願いします。凝り過ぎたものは高いのに美味しくないんですよね。その上で、パッケージなどが再利用できれば最高です。
ということで、愚鈍の霊が蔓延しているので、改めてカツを入れる次第です。スピーカーも、自分がもらって満足しているようではダメ。隣人に伝わらない幸福は嘘。次に貰う人のために何をしたら良いか、どうやったら伝わって行くかを考えれば、自ずと答えが出ると思います。
エフライム工房 平御幸
ですから、ブログが公の場だとしたら、SNSは教会のような自由意志の場なのです。入るのも辞めるのも自由ですが、しばらく活動実績がない場合は登録を抹消します。知らない間に抹消された人や、訳有って退会した人も、改めて申しこめば再招待されます。入りたいという人を拒む理由はありません。
しかし、何を誤解しているのか、SNSの中で活動していれば、外界のブログでコメントしなくても良いと勝手に思う困り者が続出です。外に向かって発信する気持ちのない人は、その時点で神の目から引き籠りや閉じ籠もりとして見られるのです。外に向かっての行き過ぎた宣伝は好ましくありませんが、外との関係を断つのはもっと悪いのです。イエスは外に発信し続けたのですから。
このような閉じ籠もりは精神を退化させます。弟子がネタを提供するので丁度よいのですが、精神が停滞した人は役に立たないことに夢中になります。例えば、弟子の送ってきたニット帽です。
芸大ニ年のカリキュラムに、スケッチのための東北旅行がありました。この時に、その恐るべき破壊力で、才能ある新美の同僚女性二人を落とした、魔女のような人も一緒でした。魔女のようなは喩えではなく、実際に靴から帽子まで真っ黒な魔女のコスチュームで、芸大試験直前の新美に来た人です。初めてその人がアトリエに来た時、落ちた美人の一人と目を合わせ、「どうしよう」という顔をし合ったほどでした。
その人が、何を考えたのかニット帽を僕にかぶらせたのです。僕は帽子を被る習慣はありませんでしたが、残雪の残る酸ヶ湯から十和田に至るルートで使っていました。しかし、絵が全く描けないのです。集中力がマイナスになるほど酷く、酸ヶ湯ではとうとう諦めて温泉宿に戻って来ました。宿に着いて部屋から外を眺めると、木の根の暖かさで雪が溶けているのを発見。それが次の30分で描いたスケッチです。
パステル、色鉛筆、透明水彩
ニット帽の欠点は、サンバイザーがないので眩しい、脱ぐときも被るときも髪が乱れる、額を締めないので集中できない、霊感の源である眉毛が隠れる、ヘッドフォンをするときに邪魔、などなどあります。まるで、僕の極度の集中力を削ぐために被らされたようなものです。
ニット帽を被っているときは集中力がマイナスになり、脱いだらスラスラと流れるように描くことができた。この事件は忘れていたのですが、弟子のおかげで思い出しました。ネタを提供する弟子ですが、その点だけは褒めてあげます。
読者からは色々と送ってくるのですが、二度おいしい三度おいしいというのは稀です。箱やパッケージなどは、大半は邪魔者扱いになります。その中で重宝しているのが静岡おでんです。雨で買い物ができないときには非常食となり、残った出汁に肉と玉葱を入れれば肉丼となり、眠れない夜にビールのツマミとなり、読者にユニットを送るときはパッケージが役立ちます↓。
ユニットとコードとCDを送った時の箱。淡路島うどんは美味しいけど、大きな鍋がないと茹でられない
このように、廃物利用の段階でも役に立つのが良い贈り物です。お菓子は、父親が天才的な菓子職人だったので、何を食べても満足できません。送ってきた人には申し訳ないので、仕方なく美味しいとは返事していますが、食べにくいものや、凝り過ぎたものは余り有りがたくありません。
手で掴んで食べやすいドラ焼きや、冷蔵庫で保存が効くものや、非常食となるものが点が高いです。粉が散らばったり、崩れたり、食べる前の用意が大変とかはご遠慮願いします。凝り過ぎたものは高いのに美味しくないんですよね。その上で、パッケージなどが再利用できれば最高です。
ということで、愚鈍の霊が蔓延しているので、改めてカツを入れる次第です。スピーカーも、自分がもらって満足しているようではダメ。隣人に伝わらない幸福は嘘。次に貰う人のために何をしたら良いか、どうやったら伝わって行くかを考えれば、自ずと答えが出ると思います。
エフライム工房 平御幸