平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

オーバーシード

2012-03-05 15:18:34 | Weblog
 もうすぐニダーくんの誕生日ですが、その前に自分の誕生日が。某有名人二人と同じ年令になるのですが、この年になると余り喜べませんね。11年前に書いた古代史で書いている年齢も鯖読みになっています。

 古代史の第一部で書いているように、1992年は聖書学的に重要な年です。ブログを始めた当初に、伊藤みどりさんのトリプルアクセル成功を交えて書きました。しかし、スポーツ界で1992年に起こったものに、競馬場のオーバーシードがあります→こちら

 オーバーシードは、日本の野芝の上に洋芝を重ねて植える技術で、冬枯れする野芝から冬でも青々とした洋芝にすることで、視覚的に欧米の芝コースと近くなります。洋芝は深くて重いので、クッション性に優れ、馬の足の保護という観点からも良いのですが、導入当初は軽い日本の芝に慣れた馬が苦労しました。最初に導入された阪神競馬場では、重賞級のレースでも5秒近くもタイムがかかったのです。

 洋芝適正という言葉が生まれ、それまでスピード不足で苦労していたダート馬が、見違えるような鮮やかさで勝ちまくります。代表的なのは1992年の宝塚記念と有馬記念を逃げきったメジロパーマーです。中山の有馬記念もオーバーシードでしたが、こちらは軽めなのでタイムはそれほど悪くありません。しかし、阪神競馬場の宝塚記念の勝ちタイムは良馬場で2.18.6。同じ逃げ馬であった、1983年のハギノカムイオーのレコード2.12.1から6秒5も遅いのです。

 この阪神の新コースは賛否両論でした。ヨーロッパ遠征を考えるのなら、力のいる洋芝適性は必要。スピードのある軽い芝向きの馬が適応できないし、タイムが悪いから改善すべきなどなど。僕の意見は前者でしたが、徐々に後者に傾き、札幌競馬場に洋芝コースを新設することで、前者の意見を封じたようです。ブエナビスタが海外遠征を睨んで札幌競馬場で走ったのはそのためです。

 現在の阪神競馬場はレコードが出るほどですが、それには栗東トレセンの坂路やウッドチップコースの設営など、調教技術の改善も寄与しています。実際に、日本の馬がヨーロッパの芝で苦労するということは少なくなりました。でも、競馬というものは基本的に、コース適性と芝適性を考慮に入れないと本質を見誤ります。

 土曜日のチューリップ賞のジョワドヴィーヴルの敗戦は、インコースが伸びない馬場であったことも一因。日曜日の弥生賞は逆に、インコースが伸びる馬場だったために、中枠より外の馬には不利だったこと。アダムスピークは外枠に入った時点で敗戦は見えていました。両競馬場の特殊な馬場状態。それがチューリップ賞と弥生賞の予想を書かなかった理由です。

 弥生賞の中山競馬場は、インコースの芝が剥げているように見えますが、剥げてるのはオーバーシードした洋芝の部分で、軽くてスピードの出る野芝が見えているインコースは絶対有利なのです。しかし、1、2着の馬はどちらかというとスピード不足でパワータイプ。野芝が生えそろう皐月賞で同じ結果が出るとは考えられません。もっとも、野芝が見えていてもパワータイプが勝ったほどの荒れた芝状態。これがケアされなければチャンスはあります。

 なお、改装なった中京競馬場は左回りで最後の直線に急坂と、中山コースを鏡像反転にしたようなコース形態。鏡像反転はカッバーラの基礎ですから、世界的に何か大きな事でも動き始めるかもしれません。そういえば、読者に作らせている反転のバスレフ型スピーカーも出来上がって来ました。ロシア大統領に復帰したプーチンからも目が離せませんね。

参考 シンボリルドルフ追悼動画
http://www.youtube.com/watch?v=MwXcLvKqKUw&feature=related
オーバーシードしていなかった時代の、弥生賞と皐月賞の馬場の変化が見られます。

      エフライム工房 平御幸
コメント (8)
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