平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

平御幸のデッサン講座~第12回 造形とイラスト

2012-07-18 14:00:47 | Weblog
 前回、嫌味だと皮肉を込めて紹介した永山裕子の作品。この人の作品は誤魔化しの手法であり、初心者が絶対に参考にしてはならないという見本です。でも、一般の人は何が悪いのか分からないと思いますので、もう少し具体的に説明したいと思います。

 大道芸の一筆龍(いっぴつりゅう)をご存知でしょうか。縁日などで、一筆で龍を描いてみせる芸です。これにはデッサン力は必要ありません。運筆で描いているからです。運筆とは墨絵の技法で、筆の様々な使い方のパターンです。例えば、松の描き方だとか、モチーフを見なくても描けるパターンがあるのです。もっとも、一流の人は、観察力があるので、必ずしもパターンだけではありませんが。

 このように、パターン化された運筆で描くのが大道芸の龍です。永山裕子の作品も全く同じなのです。彼女は芸大の油絵を出ていますから、誤魔化し方が上手なだけで、硬質な鳩を見れば分かるように、彼女にはデッサン力はありません。デッサン力は造形の基本なので、彼女の作品は造形ではないのです。ただのイラストです。

 世界で最も有名なイラストレーターは、おそらくはロートレックです。ロートレックのポスターは誰もが見たことがあると思います。でも、ロートレックのポスターには、厳密な意味での造形的な強さも繊細さもありません。このように書けば、商業的な絵画は全てイラストに分類されるのかと疑問に思う人も出てきます。もちろん、優れた例外もあります。

 例えば、版画の葛飾北斎です。北斎は漫画をたくさん描いていますが、その人間観察がデッサン力となって、他の作家とは次元の異なる造形的な強さがあります。北斎は突飛な構図ばかり注目されますが、人間の自然な動きや形にこそ、彼の才能が垣間見られるのです。ロートレックが着物を着ている写真がありますが、彼もジャポニズムの作家なのです。

 琳派の代表である尾形光琳もまた、突出した造形家です。俵屋宗達もしかり。形の厳しさは、どこも手を入れるのを拒む凄さです。他の誰もが加筆できない完璧な造形。レオナルドやミケランジェロレベルです。永山裕子の作品は、素人が少し手を入れても誰も気が付きません。所詮、そんなレベルなのです。僕には、毒々しくて気持ち悪いとか、悪趣味とかの言葉しか出てきませんが、あのような作品で癒される人がいるとは驚きです。

 造形とイラストは違う。ピカソなどの優れた造形は、商業的なイラストに転用できますが、イラストに使ったから造形が弱くなるわけではありません。しかし、イラストの仕事をする人がイラストとして描いたものは、造形としての観賞には耐えられないのです。例外は、デッサン力がある人の作品のみです。

 造形とは、必ずしも空間や立体感を指すのではなく、空間を支配する、厳然とした佇(たたず)まいなのです。それを構成する要素の中に、ライン、マッス(量感)、立体感、空間、色彩、構造、骨格、などが含まれるのです。名車と同じです。

 最近の車は、ライン(線、線描)がなくて無骨です。コークボトルライン、スーパーソニックライン、サーフィンライン、アイラインなど、車のデザインはラインから生まれたのです。線描がデッサンの基本ですが、今のデザイナーは線描という基本を忘れているのだと思います。スバル360設計の百瀬氏が、「線を引け、絵を描け」と後輩に教えたようですが、コンピュータ全盛の時代だからこそ、手描きはますます重要になるのです。

 最後に、「形あるものは美しく、美しいものは形がある」と書いておきます。この場合の形とは、フォルムではなく、造形という意味です。

     エフライム工房 平御幸
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