古代史の方で新発見があったと前に書きましたが、それをエフライム工房の方でアップしましたので、今回は概略を書きたいと思います。
今回の発見は、斑鳩の寺院や古墳の配置が星座の昴になっているということです。何故昴なのかは後で説明するとして、最初に発見したのは牡牛座の方でした。昴が牡牛座の肩にあるのは有名ですが、それが大和西古墳群に映されていたのです。大和西古墳群は、ちょっと見にはオリオンに似ています。しかし、オリオンとするには左右反転したような構図であり、シンボルの三つ星もありません。まあ、厳密に再現しない理由として、古墳間の距離が全て、地球の赤道半径の等分になっているという事実が考えられました。それで、大阪の羽曳野古墳群が白鳥座、聖徳太子廟のある太子町古墳群がカシオペア座ということにしていたのです。これらも僕の発見で、もう15年以上前に発見していました。
ところが、カシミール3Dという山岳地形シミュレーションソフト(無料)を用いて大和西古墳群の配置図を作ってみました。すると、どうも牡牛座に似ているという感じがします。それで星座と比較してみると、牡牛座のアルデバランという赤い右目が一際大きな古墳と一致するのです。もちろん、二本の角と脚の部分の星も一致します。
それで、大和西古墳群は斑鳩の南にあるのですが、斑鳩も一望できるようにすると、牡牛座の肩にある昴と斑鳩の遺跡が一致するのです。藤ノ木古墳、法隆寺、夢殿、法輪寺、法起寺、西円堂、の七つですが、これも昴のプレアデス星団の七つ星伝説と重なります。最も昴は六星(むつらぼし)と呼ばれていましたが、西円堂は法隆寺に極めて近いので斑鳩も六つに見えます。外国でも星が一つ無くなったという話もあるようです。
さて、本題はここからです。斑鳩は何故に昴を模(かたど)っていたのか?その疑問に対する答えは、斑鳩が北イスラエル王国と南ユダ王国の融合を目的とした聖地であり、それでイスラエルのシンボルである六芒星(ろくぼうせい)に繋がる昴の六星になるのです。古代日本の皇統は一つではなく、前928年に分裂した、北イスラエル王国の10部族と、南ユダ王国の2部族の覇権争いがあったのです。これが、天皇名が天武などの武の系統と、用明などの明の系統の二つになる理由なのです。
北イスラエルの代表はエフライム族、南ユダの代表はダビデのユダではなく、最初のイスラエル王を輩出したベニヤミン族です。それぞれの末字のムとミンが武と明になるのです。ベニヤミンは突厥(とっけつ=トルコ)に変身していましたが、それで日本と兄弟であるという伝説が生まれたのです。長くなるので興味のある方はエフライム工房の『私だけの古代史第三部・法隆寺編』を読んで下さい。
エフライム工房 平御幸
今回の発見は、斑鳩の寺院や古墳の配置が星座の昴になっているということです。何故昴なのかは後で説明するとして、最初に発見したのは牡牛座の方でした。昴が牡牛座の肩にあるのは有名ですが、それが大和西古墳群に映されていたのです。大和西古墳群は、ちょっと見にはオリオンに似ています。しかし、オリオンとするには左右反転したような構図であり、シンボルの三つ星もありません。まあ、厳密に再現しない理由として、古墳間の距離が全て、地球の赤道半径の等分になっているという事実が考えられました。それで、大阪の羽曳野古墳群が白鳥座、聖徳太子廟のある太子町古墳群がカシオペア座ということにしていたのです。これらも僕の発見で、もう15年以上前に発見していました。
ところが、カシミール3Dという山岳地形シミュレーションソフト(無料)を用いて大和西古墳群の配置図を作ってみました。すると、どうも牡牛座に似ているという感じがします。それで星座と比較してみると、牡牛座のアルデバランという赤い右目が一際大きな古墳と一致するのです。もちろん、二本の角と脚の部分の星も一致します。
それで、大和西古墳群は斑鳩の南にあるのですが、斑鳩も一望できるようにすると、牡牛座の肩にある昴と斑鳩の遺跡が一致するのです。藤ノ木古墳、法隆寺、夢殿、法輪寺、法起寺、西円堂、の七つですが、これも昴のプレアデス星団の七つ星伝説と重なります。最も昴は六星(むつらぼし)と呼ばれていましたが、西円堂は法隆寺に極めて近いので斑鳩も六つに見えます。外国でも星が一つ無くなったという話もあるようです。
さて、本題はここからです。斑鳩は何故に昴を模(かたど)っていたのか?その疑問に対する答えは、斑鳩が北イスラエル王国と南ユダ王国の融合を目的とした聖地であり、それでイスラエルのシンボルである六芒星(ろくぼうせい)に繋がる昴の六星になるのです。古代日本の皇統は一つではなく、前928年に分裂した、北イスラエル王国の10部族と、南ユダ王国の2部族の覇権争いがあったのです。これが、天皇名が天武などの武の系統と、用明などの明の系統の二つになる理由なのです。
北イスラエルの代表はエフライム族、南ユダの代表はダビデのユダではなく、最初のイスラエル王を輩出したベニヤミン族です。それぞれの末字のムとミンが武と明になるのです。ベニヤミンは突厥(とっけつ=トルコ)に変身していましたが、それで日本と兄弟であるという伝説が生まれたのです。長くなるので興味のある方はエフライム工房の『私だけの古代史第三部・法隆寺編』を読んで下さい。
エフライム工房 平御幸
別な面から日本史を含め世界史を考えてみるという点で
興味深い内容だと思います。
すばるやオリオン、北斗七星といった
古代の星辰信仰に関心がありましたので、
調べてゆくうちにこのページを知りました。
話が変わって恐縮ですが、
日本各地に残る徐福伝説について、これも、考察条件の項目の中に
「イスラエル関与の巨大プロジェクト(?)であった」という候補を
追加するべき性質のものでしょうか。
秦の末期に大船団を立てて来日したというその奇妙なタイミングや、
その船団のメンバーに、
当時の先端テクノロジーに明るい技術者が相当数含まれていたと、
あくまでも伝説ですが、そのように言われているのが気になります。
(一般的には、政治生命が危うくなったので、神秘的な伝説を利用して
亡命したというふうに理解されているようですが…??)
現在進行形で、弥生時代の形成について根本的な疑問を提示する準備をしています。大和の弥生遺跡を観ると、弥生から古墳時代へはスムーズな移行は困難なようでした。というのも、古墳の配置から、唐古・鍵遺跡などの弥生遺跡が大和湖に水没した後に、土地改良のための古墳が造られたと分かるからです。
弥生時代には、西日本の回転が、40度と87度という角度で二度起こっています。このような時代に、徐福が日本に来れたかは疑問です。徐福は済州島へ流れ着いたとするサイトがありました。
一般的に、弥生と古墳時代を混同しているようですが、卑弥呼の墓の特徴から、卑弥呼の墓は古墳ではなく槨の無い塚だと分かります。倭人伝の土の家が塚なのです。従って、古墳時代は、弥生とは別のイスラエルが土地改良を行った時代なので、大和の古墳を3世紀以前に引き下げようとする最近の研究は疑問符です。
いずれにしても、高松塚に代表される中国から輸入された星辰とは別に、古墳時代にはギリシャ神話の星辰が日本にあったのです。このような内容を小出しにするべきか、一度に出すべきか思案中です。
丁寧にご説明いただきまして、どうもありがとうございました。
秦氏についてはある程度まで言及されているのに、
徐福について特には触れられていないのが少し不思議に思われたので…、
古代日本における徐福の影響は、ここでは大きいものではなかったと
考えている…というふうに受け取ってよろしいでしょうか。
弥生~古墳時代はミステリアスな時代という印象があります。
「天皇陵」と指定されている多くの重要な古墳の発掘調査が
今なお禁じられているそうで、それもなおさら
この時代が謎めく理由かもしれません。
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星辰信仰について考えている事を少しばかり述べさせていただきますと、
日本では、なぜか伝統的に星辰世界や占星術が無視されてきた
(あるいは、非常に重要な要素であったにも関わらず隠されてきた?)
という経緯があるとされています。
※かごめ歌の「後ろの正面」は、特定の星辰を指すとも言われているそうです。
わざわざ「後ろ」というあたりは、何かを隠匿しているという風に受け取れます。
それが世界を滅ぼす悪魔(鬼)であったりしたら、ちょっと笑えませんが…
それにひきかえ、中国~インドの星辰、メソポタミア~ギリシャの星辰は
占星術や預言、宇宙観(あるいは思想、神観念)と深い関わりがあり、
暦の制定や政治の動向に深い影響を及ぼしたと聞き及んでおります。
日本では、こうした占星術はむしろアンダーグラウンド的な扱いです。
大陸とは異なるこういった傾向が何故生まれたのかは分かりませんが、
日本人の心理、あるいは政治的選択に関わる興味深い問題と見ております。
もっともこれはずっと後の時代を通して見た自分なりの解釈なので、
実際は正しくないのかも知れません。
ギリシャの星辰が日本に渡っていたというのはさすがに驚愕ですが、
もしおっしゃるように古墳時代にギリシャの星辰が栄えていたなら、
何故、古墳の壁などの絵にギリシャ星辰図が見当たらないのだろう?
ギリシャ星辰を継承する人、もしくは集団はどこへ消えたのだろう?
ということになるのですが…??
まとまらぬ事を書いてお邪魔し、大変失礼致しました。
酒船石の解き明かしには大変感心させられております。
奇妙な図形の意味を全て説明できる方法があるとは思ってもみませんでした。
実際のところ聖書が関与するという点は
なかなか馴染みにくいものがあって、すんなりとはいきませんが…
更なるご活躍を期待しております。どうぞご自愛くださいませ。