ジークレーは印刷を頼みました。余分に印刷するので、前回に注文しなかった人でも申し込み可能です。
丸い筒だと潰れるおそれがあるので、郵便局で売っている断面が三角形のものにします。留守で定形外は受け取れない人は、郵パックで送りますから申し出てください。また、着払いならカルトンで平らなままで送れます。カルトンは送り返すこと。
ということで気分的に一段落したので、前に紹介したソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』の感想を聞かせてもらいましょうか。取り寄せて読んでも十分な日数が経っていますから、読んでいないとは言わせません。
僕が紹介するものは、聖書に準じる内容のもので、下手な聖書外典よりは読む価値があります。シューホフ(イワン・デニーソヴィチ)は一日の終わりに神に感謝しますが、これを聞きとがめた隣のクリスチャンが良いことを言っています。そのクリスチャンの言葉をコメントで書いてください。
ここのところ、SNSでも読者の怠慢が目立っていますが、何度も口を酸っぱくしても元の木阿弥です。弟子の朝のメールは相変わらず、8時が9時になり昼になり1日置きになりの繰り返し。毎朝にと注意すること三回でも治りません。不治の病です。
読者には、コメントするのが公務だと叱責しても、すぐに忘れて元の木阿弥。神の責任を果たさない人は、いくら努力したつもりでも神の目には止まらないのです。モルモンのように、収入の十分の一(税抜き前です)を強制しているわけでもなく、毎週日曜に教会に集まって個々の責任をまっとうする義務があるわけでもなく、ただコメントしろと言っているだけなのに怠惰に陥る。本当にイエスのように「起きていろ」と怒鳴りたくなります。
この怠惰な民を導くことが出来るか?モーセは、荒野の中で悶々として神に祈ったのです。それから見たら随分と楽ですが、喉元過ぎたら熱さを忘れる民に付ける薬は必要です。
三種類の新作スピーカーの設計をしたのに、コメントは女性陣ばかり。男は何処に逝ったニカ?スピーカーに名前を付けないと知らんふりでは困る。このような状態だと、いつになったら自分で設計できるようになるのか?
結局、怠惰な者には創作の光は届かないのです。僕の母親は、忙しい家業と家事の中で、たった3日でロングベストを編みました。しかも、デザインは完璧、編み方も完璧で七年間は型崩れしませんでした。そのデザインは、ヤコブの故事にマッチするもので、聖書を読んだことのない母親の預言者ぶりが表れたものでした。
朝晩の神への祈り。仕事には忠実。10人の子供には厳しくて優しく。子供がいるからとか、仕事があるからとか言い訳に過ぎません。このような怠惰が続くようなら、一ヶ月に一日の神への勤めを強いることにもなりかねません。強制収容所はロシアの果てにあるのではなく、怠惰な者には身近な場所にもあるのです。
事件や事故を起こして、刑務所という強制収容所に送られる前に、怠惰を改めて自由でいる喜びを神に感謝しましょう。自由は凡人にとって害でしか無い。この反面的な真理がファシズムを生むのです。学校や警察の不祥事は、根にファシズムの萌芽があるのです。怠惰な者は、自らファシズムに憧れる危険分子なのだと自省する必要がありますね。
なお、名前の無いコメントには返事しません。それがここのルールです。
エフライム工房 平御幸
丸い筒だと潰れるおそれがあるので、郵便局で売っている断面が三角形のものにします。留守で定形外は受け取れない人は、郵パックで送りますから申し出てください。また、着払いならカルトンで平らなままで送れます。カルトンは送り返すこと。
ということで気分的に一段落したので、前に紹介したソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』の感想を聞かせてもらいましょうか。取り寄せて読んでも十分な日数が経っていますから、読んでいないとは言わせません。
僕が紹介するものは、聖書に準じる内容のもので、下手な聖書外典よりは読む価値があります。シューホフ(イワン・デニーソヴィチ)は一日の終わりに神に感謝しますが、これを聞きとがめた隣のクリスチャンが良いことを言っています。そのクリスチャンの言葉をコメントで書いてください。
ここのところ、SNSでも読者の怠慢が目立っていますが、何度も口を酸っぱくしても元の木阿弥です。弟子の朝のメールは相変わらず、8時が9時になり昼になり1日置きになりの繰り返し。毎朝にと注意すること三回でも治りません。不治の病です。
読者には、コメントするのが公務だと叱責しても、すぐに忘れて元の木阿弥。神の責任を果たさない人は、いくら努力したつもりでも神の目には止まらないのです。モルモンのように、収入の十分の一(税抜き前です)を強制しているわけでもなく、毎週日曜に教会に集まって個々の責任をまっとうする義務があるわけでもなく、ただコメントしろと言っているだけなのに怠惰に陥る。本当にイエスのように「起きていろ」と怒鳴りたくなります。
この怠惰な民を導くことが出来るか?モーセは、荒野の中で悶々として神に祈ったのです。それから見たら随分と楽ですが、喉元過ぎたら熱さを忘れる民に付ける薬は必要です。
三種類の新作スピーカーの設計をしたのに、コメントは女性陣ばかり。男は何処に逝ったニカ?スピーカーに名前を付けないと知らんふりでは困る。このような状態だと、いつになったら自分で設計できるようになるのか?
結局、怠惰な者には創作の光は届かないのです。僕の母親は、忙しい家業と家事の中で、たった3日でロングベストを編みました。しかも、デザインは完璧、編み方も完璧で七年間は型崩れしませんでした。そのデザインは、ヤコブの故事にマッチするもので、聖書を読んだことのない母親の預言者ぶりが表れたものでした。
朝晩の神への祈り。仕事には忠実。10人の子供には厳しくて優しく。子供がいるからとか、仕事があるからとか言い訳に過ぎません。このような怠惰が続くようなら、一ヶ月に一日の神への勤めを強いることにもなりかねません。強制収容所はロシアの果てにあるのではなく、怠惰な者には身近な場所にもあるのです。
事件や事故を起こして、刑務所という強制収容所に送られる前に、怠惰を改めて自由でいる喜びを神に感謝しましょう。自由は凡人にとって害でしか無い。この反面的な真理がファシズムを生むのです。学校や警察の不祥事は、根にファシズムの萌芽があるのです。怠惰な者は、自らファシズムに憧れる危険分子なのだと自省する必要がありますね。
なお、名前の無いコメントには返事しません。それがここのルールです。
エフライム工房 平御幸
このへんは名言が多いですね。僕もそのシーンは好きです。
しっかりした信仰じゃない=この世に属している
当時の時代背景と、腐敗した教会への厳しい視点がさり気なく随所に描かれています。人の言葉に価値がなくなれば、必然的に信仰は死ぬのですから。
遅くなり、すみません。
「ほれ、ごらんなさい。イワン・デニーソヴィチ。あんたの魂は神さまにお祈りしたがってるんですよ。なぜそうさせてあげないんです、ねぇ?」
のセリフが私には響きました。あと、
「正教の教会は福音書の教えに背いているんですよ。あの人たちがぶちこまれないのも、しっかりした信仰じゃないからですよ」
というセリフが好きです。
なるほどと思いました。
過酷な労働の現場では、手抜きする者は仲間として認められません。コージーでも、ペルーの男は自分たちと同じだけ働く日本人には心を開きました。
極寒の中での朝の描写はとてもリアルですね。僕も影響されて朝の5時に目が覚める始末です。
キジ猫さん遅くなりました。
確かに、この本を読んだあとでは前向きな気持になれますね。極限的環境の中での幸福感という漠然としたものが、信仰心に支えられる一種の高貴さとすら感じました。
大変遅くなりましたが、『イワン・デニーソヴィチの一日』(染谷茂訳)読みました。
私は、シューホフが、過酷な環境の中にあっても時がたつのも忘れるくらい作業に集中したり、一日のうちに起きた様々なことに対して感謝できる心を持ち、仲間思いでもあるところに感心しました。
アリョーシカの言葉、「自由があんたの何になる・・・」がシューホフにも響いたようですね。
それから、怠け癖のある私にとって痛かったのは、「こんな寒いときには作業開始はつらいにはちがいなかったが、そいつははじめだけだ、そいつを踏みこえることが大事なんだ、そいつさえ踏みこえればいい。」というシューホフの言葉です。
神の日々の導きが感じられて半人前。その導きに正しい行動を取ることが出来て一人前です。僕は半人前で反省ばかりです。
こんばんは。 本を読みました。
過酷で劣悪な環境のなか、「きょうはすばらしい一日だった」と思うシューホフ。それは主のおかげだと感謝するシューホフ。
それでもアリョーシュカから信仰について諭されてしまう。
何の制約もなく虐げられる環境でもなく、まさに自由な私達。何ができているかと問われると答えにつまってしまいます。まだまだ感謝と信仰が足らないですね。
神の聖別は拒否によって行われます。相応しくない者は入れない。怒りも拒否される理由の一つです。
学校でも相応しくない者は登校を拒否される。しかし、不信仰な時代には、正しい者が排除されるのです。このように、この世に棄てられた者は、神に拾われることになります。
二人で脱走すると食料に困るので、食料として肥えた3人目を連れて行く。人にこんな選択をさせる世界は狂っています。ラーゲルで魂について考える事の出来る人は幸いですね。
届いた本を読み終えました。
アリョーシャの言葉には深い信仰心が見えとても勉強になりました。
「イワン・デニースイチ!小包が送られてきますように、スープを・・・主が、心から怒りのわだかまりを取り去って下さるようにって・・・」が成程~と思いました。
あとシューホフが「山が動いたなんて見た事ないぜ。」と言うと「ぼくたち、そんなお祈りはしなかったんです。デニースイチ」との言葉に、「山が動くほどの信仰心とはどれくらい純粋な信仰心だろう?」と考えた事のある自分には、例えだったとしても、的外れというか全然信仰心が薄いな。と反省した一言でした。
本自体は淡々と進んでいく中にもリアルさが伝わる場面が多々あり読みやすかったです。
ブロック積みのシーンはリアルですね。読んでいても手際の良さが伝わってきます。グズは嫌いだよの世界ですね。
芸大にフレスコ画の単位があったのですが、漆喰を塗るのはなかなか楽しい作業でした。塗った漆喰が乾かないうちに色を塗るのは大変でしたが。
アリョーシャの言葉は鋭いですよね。宣教師向きです。近くにいると疲れるタイプかも。
先程読了しました。
私は、自分の仕事に似ていたブロック積の場面が大好きです。
アリョーシャの台詞では、「あなたがたまにしか、それもいい加減に不熱心にお祈りするからですよ」にドキッとしました。
どれも耳に痛い台詞でしたが、彼の無邪気なキャラには惹かれます。
http://www.roy.hi-ho.ne.jp/susumu-itou/zenyokukyo/
強制収容所のラーゲルとは別に、グラーグというノルマ制のタコ部屋もあったようです。↓を見ると、ラーゲルやグラーグの異常さが伝わってきます。
http://ona.blog.so-net.ne.jp/2012-06-06
ラーゲリの画像を探しましたが、見切れていましたorz↓
http://www.roy.hi-ho.ne.jp/susumu-itou/zenyokukyo/1
言われてみると、神社とか、教科書に載ってる邪馬台国の集落みたいです。。。
ガルパンでは25日間の補習でしたが、25は25年間の刑期を暗示する数字ですね。
祈るは「示+斤」ですから、神が愛を示すパンの一斤のために祈るのは理に適っています。斤は斧でもあるので、これが独り歩きすると金の斧の話になります。おそらく、キンからの連想ではないでしょうか。
シューホフたちは収容所に帰ってくる時に薪を拾って来ますが、薪にも斤が入っています。金は祭司に付帯する言葉なので、斤(きん=おの)も薪もパンの一斤も、古代イスラエルの祭司が管理したものかもしれません。
収容所の全景を写真で見ると、随分と寺社の敷地に似ていると感じます。サタンの教会も捉えて帰さないので収容所と同じです。
本が届き読みました(木村浩訳のです)。
「この世の、はかないものについては、ただ日々の糧についてだけ祈れと神さまは教えられているので。」のところと、「お祈りというものは、小包を送ってほしいとか、野菜汁を一杯余分に貰いたいとか、そんなことをお願いするもんじゃありません。人間にすばらしいものでも、神さまのお目には卑しいことなんですから!精神的なことをお祈りしなければいけないんですよ、主が私どもの心から怒りのおりをとりのぞいて下さるようにと」の部分に納得のいく気持ちになりました。
中佐に「食べなさい、食べなさい」と粥をあげる場面は凄く印象に残りました。
夕食のあと、耐え抜こう!神さまの思召ですべてが終わりを告げる時まで、耐え抜こう!とイワンは言っていますが、今の私はあんな環境で、日の当たらない教室で補習なんて耐えられそうにありません・・・orz
ホームレスは、寝て食べること以外に簒われる時間はありません。神や信仰や魂について考える時間は山ほどあるのに、その時間を無駄にしてしまいます。
主は、高慢な者の頭を低くし、逆らう者の頚木を重くする。それでも彼らは主に立ち返らない。
獄、病院患者、船乗り、これらには時間があり、宣教師が船に乗ってくるわけですね。
アリョーシュカが言った言葉で印象的なのは、
「・・・精神的なことをお祈りしなければいけないんですよ、主が私どもの心から怒りのおりをとりのぞいて下さるようにと・・・」と「いや、あんたは監獄にいることを、かえって喜ぶべきなんですよ!ここにいれば魂について考える時があるじゃありませんか!」
何故か今の私の心に響きます。
ジークレーは了解しました。
>「他人や世のために有意義」ではない
これを判断するのは神の領域です。神を失業させないように。
神が読ませようとする本は、たった一冊だけ本屋にあることが多いです。それにしても、ロシアの隕石には驚きました。
1908年のツングースカ大爆発ほどではありませんが、ロシアで政変が起こる前触れかもしれません。
本日ジークレーの振込みをしました。
到着を楽しみにしています。
その帰りに本屋に寄ったら、件の本があったので購入。
今までソルジェニーツィン作品なんて置いてなかった店なので、驚きました。
そして、ロシアの話が出ている時に、現地で隕石被害のニュース。怖いです。
コメントをさぼっていてごめんなさい。
コメントは毎回浮かぶのですが、「他人や世のために有意義」ではない…と思って眺めていました。
この点について答えが出ていません・・・。
ジークレーはまだ大丈夫です。
日曜日に届くので発送は月曜以降になります。
ジークレーの注文をおねがいしてもよろしいでしょうか?
届いても飛ばし読みしないことです。ゆっくり読んでも数日で読み切れますから。
一見さん今晩は。
イスラエルの民は、自らの上に君臨する王を神に願った。これが頚木の始まりです。
頚木のない自由を放棄するほど人間は愚かなのです。自分たちを閉じ込める営倉を自分たちで作る。日本を滅ぼす民主党政権を自ら選ぶ。やってることは同じです。
本の言葉で印象的だったのは、
「自由の身になればあんたのひとかけらの信仰まで、たちまち、いばらのつるで枯らされてしまいますよ!」
・・・という言葉でした。
際限のない自由が人に与えられると、人はかえって堕落していくことに繋がり易く自らの魂と向き合おうとしなくなる、、、逆に、困難な環境の方が、自らの魂に向き合う事が出来るのかもしれませんね。
困難な状況下でも、物的欲求などを目的とした祈りではなく、精神的な祈りのみを捧げると言う点も、参考になりました。
日常の生活の中で神様を求めることを怠けていたのだと思いました。
安息日の大切さに気付かせて下さり大変感謝いたします。
再び怠惰に陥ることのないように心を改めたいと思います。
こんばんは
大変遅れてしまいましたが、先程Amazonに発注しました。
申し訳ありませんでした。
ヨセフは獄に入れられたけど神に守られた。強制収容所にいたから死なずに済んだロシア人も多いはずです。主のなさることは不思議です。
橘さん今晩は。
神への十分の一を取り返そうとすればすべてを失う。安息日はそのような人のためにあるのです。
hinoko2さん今晩は。
食パン400gは一斤ですね。他に食べるものがないと半日しか持ちません。聖書にはパンと水だけという描写もありますが、モーツァルトも同じような経験談があったはずです。
Keikoさん
安息日は神について考える日で、それが理解できた人は安息日に技をすることが許されるのです。安息日を私用に使ってはならないのは旧約以来変わらない真理です。
昨年から公私共に自分の許容量を超える忙しさで、頭も体もフリーズ状態で、余裕がまったくありません。
5月くらいになれば落ち着くと思っているのですが。。
発想を切り替えて、忙しい時こそ、神の言葉がちりばめられている本を読む時間を少しでもとるようにしたいと思います。心を亡くさないように。。
随分前に購入していたのに、昨日の時点で半分までしか読んでおりませんでした。
進歩の無い自分にとても情けなくなりました。
本当に申し訳ありません。
アリョーシカのセリフで印象に残るのは「地上の、死すべき運命をもったものの中では、ただ日々の糧のについてだけ祈るよう、主が教えておられます『われらの日用の糧を今日も与えたまえ!』って。」でした。これを聞いたシューホフは「配給のパン」の事かと尋ねますが、日用の糧を調べてみると、生きるために必要なすべての事を神に祈りなさいとありました。
生きる事すべてを神にゆだねなさいという意味なのかなぁと思いました。
本は届いていたものの忙しかったことを言い訳に冒頭部分で止まってしまっていました。 反省いたします。
今日は出エジプトの記念日だったと思いますが、それにちなんで今日から三日半で読破します。
最初『なぜ自由が~~甘んずるところなり!』のところかと思いましたが・・・
『イワン・デニースイチ!小包が~~くださるようにって・・・』のところでしょうか。
先生がおっしゃるとおり、冬に読んだことで収容所の過酷さが伝わってきました。自由であると信仰をなくす・・・胸に突き刺さる言葉でした。言い訳ばかりで何もしない自分を心から反省しました。
ここのブログは古代史と浅田真央がメインです。
06年2月に韓国と電通による真央潰しをいち早く警告し、その手口を明らかにして、ネットでの反撃によって浅田真央と日本を守る活動をして来ました。その一環として民主潰しやマスゴミ批判があるのです。今のスケート板は嫌韓一色ですが、僕はその草分けに位置します。
古代史は日本人が古代イスラエルの末裔であることを証明するもので、龍と戦うミカエルの化身としての浅田真央も書いています。
従って、公務として活動しなくてはならない者は、古代史の読者であり、浅田真央を日本を救う雛型として応援するメンバーです。メンバー外は基本的に公務にはなりませんが、他人や世のために有意義な書き込みは徳を高めます。
僕は、ローマ法王も知らない聖書の奥義を公開できる者として、日本が世界の雛形として復活することを預言しています。カソリックは基本的にイスラエルの奥義を知らない異端ですから、真の奥義は日本人にしか分かりません。
僕の活動は、預言者としてのものが多いので、メンバーも自然に預言の中に組み込まれます。昨年のワールドでは、直前に女性読者が作ったスピーカーのミスの数だけ浅田真央もミスしたのです。
このような驚くべきことの積み重ねがあって、僕は特別な目で見られ、また支持されているのです。ブログでは書けないこともあるのですが、SNSでは全米7位の長洲未来はメンバーが卒倒する出来事だったのです。
メンバーも自覚が足りませんが、メンバーが日本の雛型であり、メンバーのいる自治体に影響が出ます。
僕は盛岡出身ですが、前の参院選前に、小沢マンセーの弟(森林組合)に小沢に呪いをかけたと言ったら恐れていましたが、実際に小沢が凋落してガクブルしていると思います。ブログの過去記事を読めば分かりますけど。とにかく、初めから読みなおしてください。
2chやYoutube等、一々自分の名前を入れる習慣が
無かったのでそのままコメントしたら"名無し"状態でした(笑)
一つ質問ですが、ここでは一般の人がブログを閲覧した場合も、
"読者には、コメントするのが公務"なのでしょうか?
これは私の先入観ですが、2chやYoutubeではコメントをするも
しないも自由ですし、コメント者に別の人が返信することも
聞き流すことも自由です。
また、少なくともYoutubeでは番組制作者が一々コメント者に
返事をする習慣はないと思っています。
どうもその辺りの事が良く分からなかったので教えてください。
尚、余談ですが、Youtubeの番組の内容にもよりますが、
内容のレベルが高い場合は視聴者のコメントのレベルも上がる場合が
あります。
番組の内容+視聴者のコメント内容により更に情報の付加価値が一層
上がり、次の視聴者にとってより良いコンテンツになります。
主が誤解されているようでしたら恐縮ですが、私はそういった
コメントをしていきたいと思っています。
以上です。
北は冬が長いから暫くは大丈夫。
訓(kmn-anh)さんおはようございます。
そうですね。付け加えるなら、ロシアの貴族と思われる老人も印象的です。
うずしおさんおはようございます。
その言葉も印象的ですが、もっとズンと来る言葉があります。最も、まだ読んでいない人のためにはぼかしておくべきでしょうが。
急いで読みましたorz
アリョーシカの「そら、イワンデニースイチ、あなたの魂が、神様にお祈りしたいといってますよ。なぜ魂の求めるままにしてあげないんです、え?」
のセリフでしょうかorz
寒い収容所生活で、少ないパン、スープを、五臓六腑
に染み渡り、今日も営倉で寝ずに済んだと感謝する、、、自分は、まだまだだと思いました、、、orz
こんばんは。
自分に負けていました。
「それはこうですよ、イワン・デニースイチ、
あなたの祈り方がたりなくて、いい加減に、
心をこめずに祈っているから、
だから願い事もかなわないんです。
お祈りは根気よくつづけなくちゃ!
そうやって信仰が得られれば
山に向かって「動け!」というと、
その山が動いてくるんです」
あと、そのもう少し後の、
「なぜ自由が~ところなり!」
の部分も、グサッと来ました。
先生がおっしゃりたいことを別の言い方で
表現してると思います。
日本の冬はロシアの冬とは比べ物になりませんが、
冬に読むのにぴったりの作品だと思います。
江川卓訳で読みましたが、翻訳も自然で、
とても勉強になりました。
夜分に失礼します。
先生、申し訳ありません。
取り寄せていた本がまだ手元に届いていなくて読めておりません。
読み次第改めてコメントさせて頂きます。
ジークレーは了解。まだ数に余裕あり。
ロシア文学に限らず、文学書を読んでいる人は、難しいことを言いたいとかの変な欲はなくなります。自分の言葉で表現することの第一歩は、良い文体に親しむことです。文学は文体の世界ですから。
お寒いですが、お元気ですか。
私もご紹介の本をまだ読んでいなかったので、購入して読みます。
また、ジークレーを注文していなかったのですが、送って頂いてもよろしいでしょうか。
アニメを見るときも、そのストーリーの背景が理解できないと、ただ眺めているに等しい。
ガルパンだって、ロシア文学を読んでいれば見え方が違ってくる。
ロシア文学は寒い冬に読んでこそ、その情景がリアルに感じられます。ボルシチにパンを浸して食べれば完璧。
申し訳有りません。
先生が紹介してくださった本を買わないと、とメモをしておいて、まだ買ってもいません。
スピーカー製作が終わってからずっと浮かれておりました。。。本当にごめんなさい。
聖書と共に読みます。そして、またコメントいたします。