松本清張の出世作に『点と線』というものがありますが、新聞社でイラストを描いていた氏には、点と線は日常的な概念でした。しかし、一般の人は点と線を意識することは余りありません。
絵は錯覚で出来ている。これは点と線にも当てはまります。二つの点を離して描くと、観る人は二点間に描いていない線があるように感じられます。脳の補正作用による実に便利な錯覚ですが、花や植物は、この応用の連続で描く事もできるのです。例えば、葉を描く場合は、茎との付け根と葉の先端だけを描けば、途中は何となく描かれているような錯覚に陥ります。花弁も同じです。
この要領だけで芸大の日本画に入った男を知っていますが、入学させた方も入った方も馬鹿丸出しです。新作のバラの花のデッサン見てください。付け根と先端と中間の三箇所をきっちり抑えてあるでしょう。このように、抜けた部分を意図的に作ることで、空間や立体感や質感が表現できるのです。バカ正直に、上から下まで同じ手数で描いても、観ている方も息苦しくなるだけです。
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バラ 鉛筆デッサン
点と線にはタブーもあります。「矢印のように尖っている角の先端は、線に接してはならない」というものです。なぜかと言うと、尖った部分が線に接すると、目がそこに釘付けになるからです。新作のバラの絵では、一番上のバラの左下の萼の先端が、左のバラの花弁のラインに接しています。人の目はここに釘付けになるので、二つのバラが離れている感じがなくなるのです。
このようなタブーはデザインの基本中の基本なのですが、驚いたことにホンダの車(FIT SHUTTLE)にデザインされています。Cピラーの先端がルーフラインに突き刺さっています。これは酷い。デザインのデも知らない素人の仕事です。このデザインに疑問を持ったためか、改変しているサイトまでありました。
タブーのもう一つに、「並行する線は近接させてはならない」というものがあります。膠着して見えるからです。読者に寝かせた円柱を描かせているのですが、僕が考案した練習方法で、影と陰の部分にグラデーションをプリントした紙を貼り付けろと指示しました。円柱の一番暗くなる部分と、床の陰の部分です。
しかし、何を勘違いしたのか、影の中のグラデーションを寝かせた円柱の稜線と重なるようにしてあります。どこから稜線でどこからグラデーションをプリントした紙なのかわかりません。なぜ、わざわざ判り難い置き方をするのか?この読者は、カッバーラの問題でも難しく考えて間違うタイプです。見る人に分かりやすいように、形や陰影を具体的に説明するのがデッサンなのです。自分だけで分かったつもりの自己満足ではダメなのです。
今回のバラは、古い消しゴムを使ったために、分離した油分が水彩絵の具を撥ね退けてしまいます。それで苦肉の策として、小さな絵の具溜まりである点描を多用しました。点描は下地が見えるので、明るくて鮮度の高い色彩になります。日本画の岩絵の具で、粒子の粗い顔料を用いると、同じように下地が見えるので発色が良くなります。
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バラ 着彩 古い消しゴムを使ったら、油分が分離して絵の具をはじく orz
前回のバラは色が重くなりましたが、今回が点描だとすると絵の具を塗った感じです。水彩は、塗る感じではダメで、絵の具で描くか、絵の具を置く感じが良いのです。また、水彩の赤系は意外に暗く、モノトーンに変換すると真っ黒になります。下の絵は、プリントした時の誤作動で、赤が黒として出力されたものです。赤は明度が低いので、水彩に慣れないと黒っぽくなるのです。鉛筆の黒と相性が悪いのも当然です。
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エフライム工房 平御幸
絵は錯覚で出来ている。これは点と線にも当てはまります。二つの点を離して描くと、観る人は二点間に描いていない線があるように感じられます。脳の補正作用による実に便利な錯覚ですが、花や植物は、この応用の連続で描く事もできるのです。例えば、葉を描く場合は、茎との付け根と葉の先端だけを描けば、途中は何となく描かれているような錯覚に陥ります。花弁も同じです。
この要領だけで芸大の日本画に入った男を知っていますが、入学させた方も入った方も馬鹿丸出しです。新作のバラの花のデッサン見てください。付け根と先端と中間の三箇所をきっちり抑えてあるでしょう。このように、抜けた部分を意図的に作ることで、空間や立体感や質感が表現できるのです。バカ正直に、上から下まで同じ手数で描いても、観ている方も息苦しくなるだけです。
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バラ 鉛筆デッサン
点と線にはタブーもあります。「矢印のように尖っている角の先端は、線に接してはならない」というものです。なぜかと言うと、尖った部分が線に接すると、目がそこに釘付けになるからです。新作のバラの絵では、一番上のバラの左下の萼の先端が、左のバラの花弁のラインに接しています。人の目はここに釘付けになるので、二つのバラが離れている感じがなくなるのです。
このようなタブーはデザインの基本中の基本なのですが、驚いたことにホンダの車(FIT SHUTTLE)にデザインされています。Cピラーの先端がルーフラインに突き刺さっています。これは酷い。デザインのデも知らない素人の仕事です。このデザインに疑問を持ったためか、改変しているサイトまでありました。
タブーのもう一つに、「並行する線は近接させてはならない」というものがあります。膠着して見えるからです。読者に寝かせた円柱を描かせているのですが、僕が考案した練習方法で、影と陰の部分にグラデーションをプリントした紙を貼り付けろと指示しました。円柱の一番暗くなる部分と、床の陰の部分です。
しかし、何を勘違いしたのか、影の中のグラデーションを寝かせた円柱の稜線と重なるようにしてあります。どこから稜線でどこからグラデーションをプリントした紙なのかわかりません。なぜ、わざわざ判り難い置き方をするのか?この読者は、カッバーラの問題でも難しく考えて間違うタイプです。見る人に分かりやすいように、形や陰影を具体的に説明するのがデッサンなのです。自分だけで分かったつもりの自己満足ではダメなのです。
今回のバラは、古い消しゴムを使ったために、分離した油分が水彩絵の具を撥ね退けてしまいます。それで苦肉の策として、小さな絵の具溜まりである点描を多用しました。点描は下地が見えるので、明るくて鮮度の高い色彩になります。日本画の岩絵の具で、粒子の粗い顔料を用いると、同じように下地が見えるので発色が良くなります。
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バラ 着彩 古い消しゴムを使ったら、油分が分離して絵の具をはじく orz
前回のバラは色が重くなりましたが、今回が点描だとすると絵の具を塗った感じです。水彩は、塗る感じではダメで、絵の具で描くか、絵の具を置く感じが良いのです。また、水彩の赤系は意外に暗く、モノトーンに変換すると真っ黒になります。下の絵は、プリントした時の誤作動で、赤が黒として出力されたものです。赤は明度が低いので、水彩に慣れないと黒っぽくなるのです。鉛筆の黒と相性が悪いのも当然です。
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エフライム工房 平御幸
この絵画デッサン講座を楽しみにし、プリントアウトして製本するつもりで読んでいます。
私事ですが、私は高校生の一時期、美大を目指し研修所に通っておりましたが、小さい時からやっていた音楽との間で、うまくいかなくなり、受験をすることなく音楽の道に進みました。父が日曜画家で亡くなるその日まで小磯良平やドガの模写をしていたほど、絵が好きだったので、当時絵をやりたいという私のために大きなアリアスの彫像を買ってくれ、私は絵も描かないまま何十年も引越しのたびに運び続けています。もう少ししたら、このアリアスと向き合いたいと楽しみにしています。鉛筆で樹や花を描くのが大好きですが、まだしっかりと絵の具で絵を描いたことは高校以来ありません。デッサンの楽しみが取り戻せたらいいと常々思っておりましたので、今回の平様の講座はありがたいものです。宝物の中西利雄の『水絵の技法』や、父の遺品の『アトリエ』を大切にしていました。パノフスキーの遠近法に関しての本も好きで読んでたので、平様のこの講座がどれほど、本質的なことをわかりやすく伝えてくださっているかに感動します。しかし、基本的な、本質的なことほど理解することは易しくないというようにも思っています。楽しみにして読んでおります。
絵と音楽の両天秤の人は、音楽に行く人が多いですね。音楽のほうが、技術が確立されて分かりやすいからです。絵は、本当に教えることの出来る先生は、世界に3指もいないでしょう。
どんな複雑なものでも基本の積み重ねです。高度なことをやろうとして迷走している女子サッカーには教訓となります。