以前に、予備校レベルでのセンスについて否定的な書き方をしました。経験で克服できるものを、センスという言葉を使って、最初から無いものと決め付ける指導者には気を付けたいものです。しかし、音楽に音感やリズム感が必要なように、絵画にも色感や造形感覚は必要です。問題は、訓練によって後天的に身に付けられるかどうかなのです。僕は、合理的で効率の良い、その訓練方法を説明しているわけです。
さて、このような感性の一つにリズム感があります。絵画でのリズム感とは何か?それは、バランス感覚に近いものです。ミケランジェロのピエタで説明しましょう。デッサンにカラーで描きこんでいるものは、ミケランジェロが刻む時に重視した流れです。
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青は、ベールが流れ落ちるなどの垂直のリズムを表しています。ベージュは、首から上のムーヴメント(動き)の柱です。この斜めの力だけだと単調なので、それに交差する緑色のムーヴメントで顔の動きを強調しているのです。黄色は、鼻に焦点が来る構造を表しています。これはもう少し説明が必要です。
石膏デッサンの前に、小さなスケッチブックでエスキース(esquisse)というスケッチをします。簡単なメモで、目鼻口は暗示程度です。この段階で構図や大まかな構想が出来上がるのですが、僕はエスキースで独特の表現をしていました。それは、石膏像の顔を、鼠小僧次郎吉の手ぬぐいで頬被りのように描くことです。マルスを見ていて閃いたのですが、人の顔というのは鼻に力が集まるのです。ミケランジェロの彫刻では、ブルータスがそのように意図されています。
このように、ピエタの顔も鼻に力が集まるように彫刻されているのです。こめかみから眼球を一つの塊として見る。眉間から髪の生え際も一つとして見る。このような見方ができてくると、自然にムーヴメントは理解できてくるのです。
しかし、実際に描く段になると、音楽のリズムのように木炭や鉛筆を走らせるのは大変です。僕は絵を描くときは音楽はかけません。シーンとしている方が集中力が高まるからです。だから、頭の中で音楽を思い出しながら、それにリズムを合わせて描いているのです。音楽が感じられるる絵には、必ずリズム的な構造が隠されています。それだけを抽出すると、ミロとかカンディンスキーのような作品になるのです。
エフライム工房 平御幸
さて、このような感性の一つにリズム感があります。絵画でのリズム感とは何か?それは、バランス感覚に近いものです。ミケランジェロのピエタで説明しましょう。デッサンにカラーで描きこんでいるものは、ミケランジェロが刻む時に重視した流れです。
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青は、ベールが流れ落ちるなどの垂直のリズムを表しています。ベージュは、首から上のムーヴメント(動き)の柱です。この斜めの力だけだと単調なので、それに交差する緑色のムーヴメントで顔の動きを強調しているのです。黄色は、鼻に焦点が来る構造を表しています。これはもう少し説明が必要です。
石膏デッサンの前に、小さなスケッチブックでエスキース(esquisse)というスケッチをします。簡単なメモで、目鼻口は暗示程度です。この段階で構図や大まかな構想が出来上がるのですが、僕はエスキースで独特の表現をしていました。それは、石膏像の顔を、鼠小僧次郎吉の手ぬぐいで頬被りのように描くことです。マルスを見ていて閃いたのですが、人の顔というのは鼻に力が集まるのです。ミケランジェロの彫刻では、ブルータスがそのように意図されています。
このように、ピエタの顔も鼻に力が集まるように彫刻されているのです。こめかみから眼球を一つの塊として見る。眉間から髪の生え際も一つとして見る。このような見方ができてくると、自然にムーヴメントは理解できてくるのです。
しかし、実際に描く段になると、音楽のリズムのように木炭や鉛筆を走らせるのは大変です。僕は絵を描くときは音楽はかけません。シーンとしている方が集中力が高まるからです。だから、頭の中で音楽を思い出しながら、それにリズムを合わせて描いているのです。音楽が感じられるる絵には、必ずリズム的な構造が隠されています。それだけを抽出すると、ミロとかカンディンスキーのような作品になるのです。
エフライム工房 平御幸
いつもながら、頭に沁み込む講義ですね。高校時代の美術部での、遠い感覚が蘇ります。
あの頃、こういう事を教えてくれる人がいたなら、まあ当時の自分の頭で、どれほど理解できたか分かりませんが、きっと違っていただろうと思います。
美術部に入って、たった一つ良かったことは、石膏像の名称を幾つか覚えたことです。
「ブルータス」の文字を見たら懐かしく、その姿を思い浮かべることが出来ました。唯一の杵柄です。
他に、ラボルト・マルス・ヴィーナス・モリエール、がありました。胸像ばかりですが、美術部の少ない人数の割りには、揃っていたのかなと、いま思います。
(アバタ面のラボルトは、先輩達が代々、粗雑に扱ったから、アバタになったんだと思いこみ、そのアバタが嫌だったので、卒業まで一度も描きませんでした。なんか申し訳ないです)
しかし、この胸像を部室で描くのではなく、授業の終わった教室に運び、晴れた日も曇りの日も、嵐の日も、自然光の下で描く、というのは、どうだったのでしょう。
1日で描き終えるなら問題ないでしょうが、最初から、何日もかけないと終わらないと分かっているのなら、必ず同じ方向から光がくる、つまり電気を付けた状態で描くのが正解だったのではなかろうかという疑念が、ふつふつと湧いてきています。
僕は美術部に属したことがないので、美術室は授業と教育実習の時だけです。教育実習で描いた木炭デッサンは、担当の教師が欲しがったのであげました。今はどこにあるのか?
自然光で描くのは、試験を想定したのなら実戦的です。芸大の試験でも自然光なので、光はどんどんと変化し、最後は西日で赤くなります。
デッサンを勉強するときは、短時間で仕上げる訓練と、正反対に極限まで描きこむ訓練の両方が必要です。極限まで描くときは、光が一定している方が良いので、窓を閉めて人工照明のほうが良いかもしれません。でも、陰影の柔らかさは自然光ですね。