平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

鹿児島から熊本へ

2010-09-09 20:52:15 | Weblog
 朝6時に電車に乗り、宮崎の隣駅の宮崎神宮に参拝。ここも鶏が出迎えてくれました。

 規模は大きくはないですが、流石に由緒ある神社で、とても気に入りました。以前の熱田神宮のように、屋根を葺き替えるための銅板奉納を募集していましたので、訪れる方は一口2千円で名前を記してはいかがでしょうか。

 今日は、読者からの推薦で霧島神宮にも赴きましたが、駅からの往復ともバス(1時間に1本)にドンピシャ。ということは、これは公務にはあたらない、普通の観光なのです。実際、遠くに桜島が見える以外に印象はなく、特別なものは感じませんでした。

 僕の最初の公務は11才の時で、天理教の「おぢば帰り」という子供達の体験学習に参加させられ、帰りに国会議事堂で迷子になったときでした。これは、聖書に記される「イエス12才の迷子」を倣った感じで、イエスは宮、僕は議事堂と、どちらも法を論じる場所である事も一致しています。また、年齢もイエスは数えなので、同じ年齢なのです。

 古代ユダヤでは、11才(数え12才)の時に最初の通過儀礼が行われ、次が19才の儀礼が待っています。どちらも、神に選ばれるための通過儀礼なのですが、天理教では建設現場での釘拾いというボランティア(今から考えるとヤラセですが)をさせ、それを適当にさぼった兄は失格し、馬鹿正直に拾った弟の僕が選ばれたのです。

 迷子になったら心細くなるはずですが、足の向くままに歩いたら皇居に出ました。ミンミンゼミを初めて見て、ここが皇居かと納得していたら、前からタクシーがやってきます。当時としては贅沢にグロリアなどの中型車です。僕はタクシーに一人で乗ったことはなかったのですが、自然に手を挙げて止め、行く先を訊ねられ、そこで初めて、宿泊先の旅館をメモした紙がお守りに入っていたのを思い出したのです。

 このように、神に選ばれて公務となるとき、タクシーなどの後席に座るのが宿命付けられているのです。ですから、タクシーに乗ったら公務。バスに乗ったら観光なのです。今回の旅行でも、運転手さんに古代史の話をしても嫌がられませんでした。高砂でも宇佐でも、むしろ興味を抱いたようです。

 実は、ビデオカメラのACアダプタを無くし、予備のバッテリーを使い切ったら撮影できません。でも、何処で無くしたかも分からないので、おそらくは宇佐から別府に降りたときではないかと思います。僕は、豊前長洲を地図で調べていて、結局は行かないで別府に向かったことが気に掛かっていたのです。ACアダプタを無くしたのも、神の導きなのです。長洲未来ちゃんと古代史の接点になるかもしれない長洲神社。そう思っていたら、今日も発見がありました。

 今日は、霧島から鹿児島経由で伊集院に行き、予備校と芸大で一緒だった藤村君を訪ねました。清水君と三人で、真っ黒に描き込んだ方が勝ちというような、先生の指示を無視した競争をして切磋琢磨した間柄です。阿吽の呼吸で話せる友人ですが、何十年ぶりかで会って家紋を訊いてみたら、やはり下がり藤でした。以前に、下がり藤は契約の箱のケルビムだと解き明かしたことがありましたね。藤村君は祭司レビ族の血統なので、僕が活動するときに一緒になるのです。

 それで、藤村君に会って鹿児島を離れ、幣立神社も視野に入れた熊本まで新幹線に乗りました。その名もツバメ号。でも、新八代から熊本までは在来線なので、僕は特急券を購入していませんでした。焦って路線図を見直し、時刻表を調べていると、熊本から10個目の長洲という駅が目に入りました。ポケット時刻表では、中央よりやや上の豊前長洲と同じくらいの位置にあります。もしかして、最初に予定した幣立神社は本命ではなく、神様は最初から長洲に向かわせていたのか?しかも長崎の読者から何度もメールが来ます。

 そのように気が付き、「長洲・フェリー」で検索したら何と、長洲港から出ているフェリーがあります。更に、長崎側のフェリー乗り場は多比良なのです。読みはタヒラではなくタイラ。長洲とタイラのコラボは、このように神の予定調和に過ぎなかったのです。やはり、長洲にはマリアの謎が隠されているのです。幣立神社で釣られた僕は、明日の長洲港発フェリーで多比良に向かいます。

 なお、車で幣立神社に行くことができる方があれば、長崎の後で(福岡などから)幣立神社に立ち寄ることも可能です。でも福岡から三時間らしいので、気軽にホイホイとは行きませんね。


宮崎の「地鶏キューピー」&熊本の「からしれんこんケロロ」

      エフライム工房 平御幸
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 復活する宮崎 | トップ | 長崎の呪い »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ご公務お疲れ様です (kmn-anh)
2010-09-09 23:06:37
先生、ご公務お疲れ様です。長洲の謎。興味深々です。
さて、先生の旅とタイミングを合わせたかのように、こんなニュースが。。。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100909/acd1009092025003-n1.htm

文武天皇も、天武・持統天皇も八角形のお墓みたいですね。

それでは、お邪魔いたしました。良い旅を続けられますよう、お祈りいたしております。
返信する
kmn-anhさんへ (平御幸)
2010-09-10 07:17:44
kmn-anhさん今晩は。

情報ありがとうございます。忙しくて記事を知りませんでした。

斉明天皇の娘が合葬された間人皇女で、間人は「マート」でマリアを指します。ここらあたりに、ユダ族系天皇が消えた理由が見えてきそうです。

台風9号で、天智天皇(斉明天皇の子)に縁が深い三井寺で木が倒れました。
返信する
弊立神宮 (平季基)
2010-09-10 09:34:51
平様
ご無沙汰しています。以前、古代史CDをお譲り頂いた熊本在住の者です。覚えていらっしゃれば光栄です。もし、週末、日程があえば、熊本駅まで迎えに参り、弊立神宮や岩戸神社等ご案内いたしますが、いかがでしょうか?
天智天皇の話題が出ましたので、ついでに申し上げますと、私の姓の発祥の地が鹿児島県志布志なのですが、その辺りは、天智天皇に纏わる話が多いのです。
そこの安楽山宮神社が天智天皇を祭神としておりますし、すぐ近くの安楽神社は天智天皇の后の捼姫、第2后の玉依姫が祀られています。
先日、安楽神社にお参りした時のことですが、鳥居の前からお宮の方向に向けて写真を撮ったのですが、鳥居の右上の方向に、鳥居が消える程の考えられない大きな強い光が写りました。雨降りでしたので、太陽は出ておりませんでしたし、フラッシュの光が雨粒等に反射したものとは考えられません。(何故ならそのあと別の物を写した2枚は何も以上がなく、再度鳥居を写した写真にも同様の強い光が写っていました。)
志布志と言う地名の由来にも天智天皇に纏わる話があります。
話が長くなりました。
弊立神宮にご一緒できることを楽しみにしております。もし、残念ながら、叶いませんでしたら、いつの日かご案内いたします。
良い旅を!
返信する
平季基さんへ (平御幸)
2010-09-10 13:38:46
平季基さんこんにちは。

とりあえずメールをお願いします。古いメールから探すのが結構大変なのです。アドレスが分かれば検索できます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事