平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

丸亀から高松へ

2010-07-27 21:32:16 | Weblog
 昨日は神戸の三宮に降り立ち、真っ先に郵便局を探したのですが、店員さんに教えられたところは見つけられず、かなり歩いて小さな郵便局にたどり着きました。ビジネスホテルを検索して予約したのですが、これも駅から遠いところ。<;`Д´> 変ニダ。

 ところが、あとで住所を確認したら納得。どちらも御幸町の一角だったのです。僕の名前と同じですが、こちらは「ごこう」と読みます。そういえば、名古屋の地下鉄で遠回りになったときも、御幸ビルとかの近くを通っているはずです。やはり、僕の旅行は、御幸(みゆき)をもたらす公務のようです。

 今日は、芸大の二人の後輩が先生をしている、丸亀市と高松市の学校を訪れたのですが、丸亀の方は高校野球の準決勝で高松に遠征。タクシーを呼んで、駅に戻り高松に向かいました。高松の球場は駅から遠く、でも時間がないのでタクシーで乗り付け、先生らしき人に探してもらったら、タオルを被っている後輩に無事に出会えました。卒業以来ですから、向こうも驚いた様子。でも、予備校から一緒だったので、すぐに誰彼の消息確認となりました。

 炎熱の下、先制点を取られ、しかも時間がなかったので、早々と次の目的地に向かうことにしたのですが、学生が食べているうどんの屋台が目に入りました。それで、冷やしキツネうどんを注文して食べていると大きな歓声。どうやら逆転したみたいですが、帰ってから調べてみると、球場を離れた直後に再逆転されたようです。残念。

 それで、タイミング良く、女子高生二人組を球場に乗せてきたタクシーに乗ることができたのですが、女子高生がお金が足りなかったのでサービスしたという話。話し好きの運転手さんだったのですが、目的地の聾(ろう)学校を盲学校と聞き間違えた様子。盲学校でタクシーを呼んでもらいました。こちらも運良く出会えたのですが、やはり思い出すのに時間が少し。

 聾学校の先生をしている後輩は声楽出身なので、以前は学生合唱コンクールの常連でした。ところが、検索してみたら昨年から聾学校に転勤となったので、ちょっと気になっていたのです。自分の意志なのか、それとも上からの指示なのか。話の流れから、自分の意志ではなく、太鼓を授業に取り入れるという難しい仕事なので、どうもベテランの先生に白羽矢が立ったようでした。

 骨振動で音楽を知ることができる事から、打楽器は聴覚障害の生徒に教えやすいはずですが、打楽器はリズム感が必要なので、誰がやっても難しいのは自明です。でも、前のように合唱コンクールに携わっていたら、会って話す時間がとれなかった時期だと言ってました。やはりラッキーだったのです。

 今日は、懐かしい大学時代を知る先輩の突然の来訪ということで、二人の後輩は見る見る若返ったようでした。人生で一番楽しかった頃の記憶が、マンネリ化の地層から掘り起こされたようなものですね。今から考えると、僕には結構、人と人を結びつけるバッファー(緩衝材)のような役割があったと思います。性格の合わない人と人も、僕が間に入ると仲間となるのです。

 僕は、『万葉集』の歌は、各地に離れ離れとなっている、原始キリスト者を繋ぐアイテムではないかと考えています。四国という万葉の地で、迷える子羊を探すイエスのように、僕は懐かしい友人を捜したのかもしれません。神様はいつも御覧になっていて、何処にいても使いを遣わして、人と神との絆を確かなものにする。

 神から離れた人は孤独(孤立)となり、あろうことか神の使いを遠ざけてしまう。弟子が言いました。僕は全然変わらないと。そう、僕が変わったように感じる人は、自分の方が変化しているのです。僕は学生時代と変わらないし、これからも変わることはないでしょう。純粋で無欲な者は変わることを知らない。晩ご飯に讃岐うどんを食べながら、僕は少しばかり高尚な言葉を紡ぎ出したくなりました。



      エフライム工房 平御幸
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