前回の宇佐八幡ラインですが、長崎県人から長崎県で豊玉姫神社に至ると指摘がありました。なるほどと思って調べてみたら、いろいろと再発見がありました。画像の下のリンクをクリックして大きな画像で見てください。
宇佐八幡宮-長屋親王墓-本厚木
まず、豊玉神社から本家の宇佐神宮を結んだ線は、高松の宇佐神社を通り本厚木に、奈良県では何と、あの長屋親王墓の真上を通過します。それで、先の長崎県人は、長屋親王でググッて有間皇子に行き着いたそうです。何の関係もなさそうですが、念のために調べてみました。
幣立神宮-藤白神社-本厚木
有間皇子は、和歌山の牟婁(むろ)の湯に連行され、帰りに藤白の坂で処刑されたのですが、この藤白には皇子を祀った神社があり、これが幣立神社-本厚木ラインの上にあるのです ((((゜Д゜)))) gkbl。しかも、以前のコメントで桜島が出てきたのですが、桜島の中心から四国の足摺岬と室戸岬を通過するラインがあるのです。そして、このラインが伊豆の三嶋大社に至るのです。
桜島-牟婁の湯-三嶋大社
三嶋大社は個人的に因縁があり、大学3年の夏に訪れたことがあります。その時、ちょうど浦安の舞が奉納されていたのですが、その中の一人(三島北高)が美人で好みの顔立ち。今で言う萌えーの心境が理解できる時でした。しかも、境内には湧き水の池があるのですが、小さな橋を渡るときに、水の中を潜水する白いネズミを見ました。一瞬だったのですが、ネズミは景教(ネストリウス派キリスト教)の教典ではイエスのこと。白いイエスを見たわけです。
実は、この年に上石神井の芸大寮は立て直され、それまで上野にあった女子寮と合同になりました。それで、上野から引っ越して来た女子生徒の中に、三島出身の邦楽(山田流箏曲)の才女がいたのです。草間さんと言いますが、色白の美人で、寮祭では仲間とピンクレディーの歌を披露する現代っ子(当時)でもありました。モデルをしてもらったこともあるのですが、話を聞くと、先の浦安の舞の踊り手に選ばれたことがあるとのたまいます。やはり、三島の女子高生の間では名誉のようです。
それで、4年の夏休みに京都に行く用事があり、三島に帰っていた彼女に三島を案内してもらったのです。三嶋大社にお参りし、植物園の楽寿園を散策していたとき、僕は京都行きの乗車券を無くしていることに気が付きました。当時の値段で8千円くらいだったと思います。どうも、三島の神様が、三島に足を留めるように悪戯をしたようです。でも僕は鈍感ですから、そのまま京都に向かいましたが。このように、三島は少なからぬ因縁があり、僕にとってはパワースポットのようなものです。
さて、鹿児島の桜島と、四国の二つの岬を舐めて三嶋大社に至るラインですが、このライン上に牟婁の湯があるのです。またしても有間皇子ですね。実は、有間をアルマと読むと、救世主出現を預言した、イザヤ書7:14の「乙女」を意味するのです→こちら。原文では「ヘクタール アルマ ハラ」で、「ハラ」は「妊娠=孕む」の語源です。腹や孕むはヘブル語だったのです。
そして、牟婁の湯の牟婁とは景教では「マリア」を指すのです。だからこそ、このライン上の室戸岬がムロと呼ばれるのです。要するに、聖母のラインが「桜島-三嶋大社」のラインなのです。有間皇子は、やはり原始キリスト教の信仰故に殺されたのでしょうか。
ということで、三嶋大社を先にお参りし、それから九州に向かうことにします。明日はスピーカーを梱包するので、明後日以降に出かけたいと思います。
幣立神宮-外宮-三嶋大社
エフライム工房 平御幸
宇佐八幡宮-長屋親王墓-本厚木
まず、豊玉神社から本家の宇佐神宮を結んだ線は、高松の宇佐神社を通り本厚木に、奈良県では何と、あの長屋親王墓の真上を通過します。それで、先の長崎県人は、長屋親王でググッて有間皇子に行き着いたそうです。何の関係もなさそうですが、念のために調べてみました。
幣立神宮-藤白神社-本厚木
有間皇子は、和歌山の牟婁(むろ)の湯に連行され、帰りに藤白の坂で処刑されたのですが、この藤白には皇子を祀った神社があり、これが幣立神社-本厚木ラインの上にあるのです ((((゜Д゜)))) gkbl。しかも、以前のコメントで桜島が出てきたのですが、桜島の中心から四国の足摺岬と室戸岬を通過するラインがあるのです。そして、このラインが伊豆の三嶋大社に至るのです。
桜島-牟婁の湯-三嶋大社
三嶋大社は個人的に因縁があり、大学3年の夏に訪れたことがあります。その時、ちょうど浦安の舞が奉納されていたのですが、その中の一人(三島北高)が美人で好みの顔立ち。今で言う萌えーの心境が理解できる時でした。しかも、境内には湧き水の池があるのですが、小さな橋を渡るときに、水の中を潜水する白いネズミを見ました。一瞬だったのですが、ネズミは景教(ネストリウス派キリスト教)の教典ではイエスのこと。白いイエスを見たわけです。
実は、この年に上石神井の芸大寮は立て直され、それまで上野にあった女子寮と合同になりました。それで、上野から引っ越して来た女子生徒の中に、三島出身の邦楽(山田流箏曲)の才女がいたのです。草間さんと言いますが、色白の美人で、寮祭では仲間とピンクレディーの歌を披露する現代っ子(当時)でもありました。モデルをしてもらったこともあるのですが、話を聞くと、先の浦安の舞の踊り手に選ばれたことがあるとのたまいます。やはり、三島の女子高生の間では名誉のようです。
それで、4年の夏休みに京都に行く用事があり、三島に帰っていた彼女に三島を案内してもらったのです。三嶋大社にお参りし、植物園の楽寿園を散策していたとき、僕は京都行きの乗車券を無くしていることに気が付きました。当時の値段で8千円くらいだったと思います。どうも、三島の神様が、三島に足を留めるように悪戯をしたようです。でも僕は鈍感ですから、そのまま京都に向かいましたが。このように、三島は少なからぬ因縁があり、僕にとってはパワースポットのようなものです。
さて、鹿児島の桜島と、四国の二つの岬を舐めて三嶋大社に至るラインですが、このライン上に牟婁の湯があるのです。またしても有間皇子ですね。実は、有間をアルマと読むと、救世主出現を預言した、イザヤ書7:14の「乙女」を意味するのです→こちら。原文では「ヘクタール アルマ ハラ」で、「ハラ」は「妊娠=孕む」の語源です。腹や孕むはヘブル語だったのです。
そして、牟婁の湯の牟婁とは景教では「マリア」を指すのです。だからこそ、このライン上の室戸岬がムロと呼ばれるのです。要するに、聖母のラインが「桜島-三嶋大社」のラインなのです。有間皇子は、やはり原始キリスト教の信仰故に殺されたのでしょうか。
ということで、三嶋大社を先にお参りし、それから九州に向かうことにします。明日はスピーカーを梱包するので、明後日以降に出かけたいと思います。
幣立神宮-外宮-三嶋大社
エフライム工房 平御幸