平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

学生相撲亡国論

2006-03-20 10:23:17 | Weblog
 学生相撲亡国論

 大相撲春場所が始まって、大関取りの白鵬が元気ですね。でも、日本人力士は相変わらず低調で、外国人力士ばかりが目に付きます。このように、角界が外国人に席巻された理由は何なのでしょうか。

 実は、筆者は中学の時に相撲部にいました。中二の運動会の当日、運動会そっちのけで相撲を取っていたら誰にも負けない。とうとう相撲部に在籍している同級生が出てきて、ようやく負けた訳です。それで、相撲部に来ないかと勧められたのですが、体重が40キロもないので流石に大変でしたね。それでも、まわしを取ると簡単には負けません。何と言っても、相撲の基本は四つ相撲なんですから。

 相撲はアジア人に特有のものですが、これは先祖のヤコブの故事から来ているからです。ヤコブは神と相撲を取り、それからイスラエルと名前を変えたのです。聖書ではこれを組み討ちと書いているように、広大な草原での、お互いが四つに組んでの戦いだったのです。ところが、相撲が土俵という限定したエリアで戦われるようになると、押し出しという姑息な戦法が編み出されます。相撲における最大のルール変更が、土俵によって戦いの場が限定された事なのです。

 押し相撲が何故姑息なのかというと、基本的に体の大きい者に有利だからです。特に体重を利用した圧力で押し込むので、不必要に体を大きくする事が優先されます。それにより、厚さ10センチの筋肉の上に、分厚い脂肪が被さった体型が出来上がったのです。ところが、大きいだけの体は故障の原因となります。自らの体重で自らを痛める自爆型の故障も多く、押し相撲力士は包帯だらけとなります。これが又みっともないのです。

 押し相撲が相撲の基本を外しているのは、名横綱が四つ相撲ばかりだという事で証明されています。双葉山、初代若乃花、栃錦、大鵬、輪島、北の湖、千代の海、二代目貴乃花、短命ではあった玉の海、などなど、朝青龍も含めて皆四つ相撲です。柏戸や曙を名横綱と評価する人はいないでしょう。琴欧州の師匠であった琴桜だって、横綱になってからは、猛牛と評された突き押しから四つ相撲に変身したのです。これは、相撲の基本が四つである事の決定的な証拠なのです。

 しかし、それなのになぜ、日本人力士は押し相撲一辺倒なのでしょうか?その理由は、学生相撲にあります。大相撲に大量に力士を供給しているのは学生相撲です。それは仕方ないのですが、学生相撲の指導者の大半が押し相撲出身者であり、学生に「まわしを取るな」と教え込むのが問題なのです。特に体の大きい学生は、体力だけで勝つ事が出来ますから、短期の促成栽培に押し相撲は有効なのです。それで、体の小さかった舞の海などは例外的に四つ相撲を磨く事が出来たのです。

 「悪貨は良貨を駆逐する」という名言の典型が押し相撲であり、それが日本の相撲を弱くし、また観ていてつまらないものにしているのです。昔は、吊り出し、出し投げ、うっちゃり、という思わず力の入る相撲が多かったのです。今はほとんど幻の技になりました。押し出しと叩き込みで勝負が付く今の相撲は、もう相撲ではありません。これが、モンゴル相撲やレスリングという、組み合う下地を持つ外人力士の台頭を許している理由なのです。

 大相撲では呼び出しも音痴になりました。昔は、民謡の名人のような名調子の呼び出しが多かったのです。ところが、呼び出しも年功序列ですから音痴でも出世できます。それで、一度物凄い音痴の呼び出しが立て行司ならぬ立て呼び出しになるや、右に倣えでことごとく音痴になってしまったのです。今、名調子の呼び出しは一人もいません。相撲協会は、昔の名調子を復活させる努力が必要です。また、160キロ以下(学生相撲は120キロ以下)という体重制限を採用し、促成栽培の押し相撲が増えないようなシステムを考えるべきです。160キロ以上の人はプロレスに行けばよいのです。それが、日本の精神を取り戻す一つの契機となるでしょう。

      エフライム工房 平御幸


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