歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

福音歳時記 キング牧師記念日

2025-01-20 | 福音歳時記

福音歳時記 キング牧師記念日

 
  眞實は夢にこそあれ一月のキング牧師に捧ぐ月曜
 
 キング牧師は1963年にリンカーン記念堂の前で「私には夢がある」という言葉で知られる演説を行い、人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を訴えた。彼は、ガンジーから学んだ非暴力不服従運動を展開したが、1968年に狂信者によって狙撃され、39歳の若さで帰天した。
 米国では、キング牧師の誕生日(1929年1月15日)に近い1月の第3月曜日がキング牧師記念日として祝日に定められている。彼はプロテスタントのバプテスト派の牧師であったが、その理想は人種や宗派の違いを超えて多くの人々の共感を呼んだ。
 教皇フランシスは2018年の記念日にキング牧師の末娘、バーニス・キング牧師にメッセージを寄せ「キング牧師が非暴力と平和という手段を通して追求した共通善の実現や、すべての人の間の調和と平等という夢を妨げる、社会の不正義・分裂・対立が、今日の世界に拡大している」と述べている。
 社会の不正義・分裂・対立に苦しむ現代世界に対して、キング牧師の言葉に含まれる眞實の重さは依然として変わらない。
 
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福音歳時記 西坂の丘で殉教した聖パウロ三木

2025-01-19 | 福音歳時記

福音歳時記 西坂の丘で殉教した聖パウロ三木

 迫害を加へし者の救済を祈る侍(さむらい)主の十字架に


1597年2月5日に長崎西坂の丘で処刑された二十六人のひとりパウロ三木の言葉がフロイスによって記録されている。

 処刑されたキリシタンの罪状書きには、「これらの者はルソンから来た者で、禁制の教えを説いた者である」と記されていた。パウロ三木は処刑のときに、かれが侍として仕えていたイエスに倣い、十字架の上から次のように語った。

 「私はルソン人ではなく、れっきとした日本人で、イエズス会の修道士です。私は何の罪も犯してはいませんが、ただ主イエス・キリストの教えを説いたために殺されるのです。私はこのような理由で死ぬことを、主がわたしに与えた大きな恵みであると思っています。 今この時にあたって、私はあなたがたを欺こうとはしていないことを信じていただきたいのです。私の願いは皆さんがキリシタンとなって救われることです。私は自分の処刑を命じた人と処刑に関わったすべての人を赦します」(「日本二十六聖人殉教記」
(ルイス・フロイス 著、結城了悟 訳)より

1597年2月5日、三木パウロ33歳のとき、十字架上からの信仰の証しであった。

下の絵は長谷川路可の描いたフレスコ画 「St Paul M.I.K.I

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福音歳時記 パウロの回心とダマスコからの脱出

2025-01-18 | 福音歳時記

福音歳時記 パウロの回心とダマスコからの脱出

  顕現のイエスの光り聖パウロ闇夜に墜ちて死人のごとく
  三日目に眼より鱗の落ちにけり按手洗礼満つる聖霊
  伝道に旅立つパウロ籠に入り真夜に城壁降りて去りぬ


 シリアのダマスコには、キリスト教を迫害してきたサウロ(パウロ)に洗礼を施したアナニアにちなんだ教会が建てられている。写真は聖堂の絵図で、使徒行伝9章の叙述に従って、「サウロの回心(イエスとの邂逅)」「サウロの受洗」「ダマスコからのパウロの脱出」の三場面が描かれている。

 

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福音歳時記 1月19日 聖トマス小崎巡礼の日

2025-01-17 | 福音歳時記

福音歳時記 1月19日 聖トマス小崎巡礼の日

 

 心臓を貫く十字イエズスにならふ少年母を気遣ふ

 

 1597年2月5日に長崎の西坂の丘で殉教した26人の記録をルイス・フロイスは同年3月17日に纏めた。そして、病身であったフロイス自身も、彼等の後を追うようにして7月8日に帰天した。イエズス会に入会して50年、東洋で49年、日本で34年を過ごした彼の最期の仕事が「二六人殉教記」であった。この記録には、日本では散逸してしまった殉教者の多くの書簡が残されている。

  トマス小崎について、フロイスは次のように記している。

「トマス小崎、修道者の同宿。16歳。伊勢出身で、フライ・マルチノと一緒に大坂にいた。彼の父ミゲル小崎も同じく十字架につけられた。この少年は、道中母に宛て手紙を書き、それを父に渡した。十字架につけられた後、一ポルトガル人が彼の懐から袋の中の手紙を一枚の御絵と共に見つけた。御絵には心臓の上に十字架を担う幼きイエズスが描かれていた。槍で刺された時の血にまみれたその手紙には次のように書かれていた。」

母に宛てたトマスの手紙

「神の御助けによってこの数行をしたためます。長崎で処刑されるためそこに向かう私たちは、先頭に掲げた宣告文の通り24人です。私と父上ミゲルのことについては御安心下さいますように。天国で近いうちにお会い出来ると思います。神父達がいなくとも、もし臨終の時、犯した罪の深い痛悔があれば、また、もし主イエス・キリストから受けた数多くの御恵みを考えそれを認めれば救われます。現世は、はかないものですから、パライソの永遠の幸せを失わぬように努めて下さいますように。人々からのどのようなことに対しても忍耐し、大きな愛德を持つようにしてください。私の弟たち、マンショとフェリペを未信者の手に渡さぬようにご尽力下さい。私は我が主に母上たちのためにお祈り致します。私の知人の皆様によろしくお伝え下さい。重ねて申し上げます。貴女が犯した罪について深い痛悔を持つようにしてください。これだけが大切なことです。アダムは神に背いて罪を犯しましたが、痛悔と償いによって救われました。
 安芸国三原の城から
                    12番目の月の2日(1597年1月19日)」

 

 

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福音歳時記  雪のサンタマリア

2025-01-15 | 福音歳時記

福音歳時記  雪のサンタマリア
   
 絵踏みせし罪におののくキリシタン雪の聖母に何いのるらむ

「雪のサンタマリア」とは、キリシタン時代の絵画の小断片を掛軸に表装したもので、現在は長崎の日本26聖人記念館にある。「雪のサンタマリア」の名称の由来は、諸説あるが、おそらく、日本布教の前にイエズス会の宣教師達が祈りをささげたサンタ・マリア・マジョーレ教会の伝承に由来するらしい。

昔、マリア聖堂奉献を考えていたローマのある貴族に、聖母ご自身が夢に示現され、建設すべき場所を(真夏であるにもかかわらず)雪で示されたという伝承である。

 姉崎正治の『キリシタン宗門の迫害と潜伏』(同文館 大正14年)に収録されている「宗門大要(北条安房守宗門改記録下巻)」のなかに「雪のサンタマリア」の記載がある。

  「宗門大要」は、岡本三右衛門ことジュゼッペ・キアラが、井上筑後守に替わって宗門改役について北条安房守の尋問に応じて明暦4年、1658年に宗門の大要を陳述したのを筆録したものである。内容は、宮崎道生校注『西洋紀聞』に収録されている「岡本三右衛門筆記」とほぼ同じであるが、それにはない文書も記載されており、そのひとつが「雪のサンタマリアと申すこと」という一九番目の文書である。

「雪のサンタマリアと申すことは、ロウマにてある侍(さむらい)、子を持ち申さず候(に)付きて、金銀取らせ申すべきものも之なき(に)付て、サンタマリアの寺を建て申すべき由、女房と相談申し候處に、其夜の夢にサンタマリア夢にまみえ給いて仰せられ候(に)付きて、夫婦ながら右の所へ参り見候へば、六月土用の中にて御座候へども、雪降り候て御座候。其處に即ち寺を建て申し候。夫れに就き雪のサンタマリアと申し候。」

これは「雪のサンタマリア」に言及した文書の中で最も古いものであり、サンタ・マリア・マジョーレ教会の伝承とほぼ一致することが注目される。

この記事が、「宗門大要」に載っている理由については、姉崎博士自身は「この話を何のために出したのか聯絡不明、或は奇蹟の一證としてか」と述べるに止まっているが、一つの自然な解釈として、シドッチが「親指の聖母」像を持参して来日したのと同じく、ジュゼッペ・キアラも、ミサを立てるときに用いる聖像の一つとして、「雪のサンタマリア」の絵を持参したのではないかという仮説が考えられる。

 キアラが宗教画を持参したという直接的な証拠は未だ見いだせないが、「ジュゼッペ・キアラが日本に密入国したときに持参した「書物」については、「岡田三右衛門筆録」に次のような記載がある。

 一 ヒイデス、ノダイモク 壹冊 是ハ初テ切支丹ニイタシ、又ハサイゴノ時トナヘ候書物
一 ミイサ、ヲコナイノキヤウ 貳冊  是ハデウス、尊キタムケヲ捧ケ候時ノ経
一 身持ノ書物 壹冊
一 エキノ書  壹冊
一 ヲカボラリヤウ 但三右エ門自筆 壹冊 是ハ日本口ナラヒノ書
一 日本言葉集書  三冊壹結
一 勤三冊ノ書物控 貮冊
一 同下書共    壹結
一 同不審書控   貳冊
一 天地の図ニ有之国郡ノ名付 壹結
一 南蛮ユサンの書付    壹結
一 キリシト天下ル未来記  同
一 諸事アツメ書      同
以上

ここで「ミイサ、ヲコナイノキヤウ 貳冊  是ハデウス、尊キタムケヲ捧ケ候時ノ経」とある点に注意したい。宗門改めの役人にとってミサ聖祭の道具がどんなものであるかは理解できなかったと思うが、キアラがミサをおこなうための「経典」とともに、シドッチと同じくそのための祭具を持参した可能性はあると思われる。

 現在、二六聖人記念館に保管されている「雪のサンタ・マリア」がキアラが持参したものであるという直接的な証拠はないので、即断は禁物であるが、「雪のサンタ・マリア」は、その後様々に(日本のキリシタン説話として)変容された形で、隠れキリシタンの間に伝承されたことはよく知られている。その意味で、サンタ・マジョーレ教会の古い伝承にもっとも近いものが、キアラの言葉を収録した「宗門大要」に掲載されていることが注目されるのである。

遠藤周作の「沈黙」の主人公ロドリーゴ神父のモデルとなったジュゼッペ・キアラ神父の墓碑は2016年1月26日に調布市の有形文化財に指定された。当時のカトリック新聞に 「キアラ神父は(棄教)後にキリスト教の教えを説く本(現在行方不明)を書かされました」という記事があった。しかし、キアラ神父が「棄教」後に書いた本のすべてが行方不明なのでは無く、「岡本三右衛門筆記」という文書の抜粋が新井白石の「西洋紀聞」にあり、更に詳しい内容をもつ「宗門大要」が、姉崎正治の「切支丹宗門の迫害と潜伏」(大正14年刊行)にあった。

遠藤周作の引用した宗門改の役人の手記に基づく映画版「沈黙」の最後の場面は、仏教の葬儀儀礼に従って棺桶に入れられ薪で焼かれるロドリーゴ神父の胸に十字架が光り輝くシーンである。これはスコセッシ監督のこの映画にこめたもっとも重要なメッセージであろう。

  浄土真宗の門徒として埋葬されたキアラ神父の墓碑は、1943年におなじイタリア人のタシナリ神父によって発見され、サレジオ修道会に大切に保管された。そのとき、この墓碑銘の「入専浄眞信士霊位」は、仏教の戒名から、キリスト教の「浄い真の信仰」を示す墓標に変容したのではないだろうか。墓標の上の司祭帽のような墓石と、キリシタン文字のように刻まれた梵字が印象的であった。

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正月の俳句

2025-01-15 | 福音歳時記

      正月の俳句

去年暮れより妻共々にインフルエンザに罹患して

  九度八分躰震はす寝正月

  有難き梅干し粥の二日かな

  三日には病床で聴くレクイエム

  妻も倒れ炊事洗濯、四日なり

病床で「福音歳時記」書き続くーいささか物狂ひめきて

  使命あるものの如くや初仕事

      福音俳句

  一碗の底にイエスの息吹く春

(上の写真は3年前に陶芸家の椿巌三さんから頂戴した茶碗です)

  元朝や驢馬に揺られし聖家族

  読初はフランシスコのさき花

  難病を生き延びし吾娘成人式

  七種を恵む福音喜寿過ぎぬ

  小正月ガザの平和を祈る夜半 

  冬薔薇ふゆそうび矛盾を生きるベネディクト 

  遊行期や春の小道にロザリオの歌 

   

下の写真は東久留米の聖グレゴリオの家(宗教音楽研究所)

 

ここではグレゴリオ聖歌による弥撒が主日の10時半より行われます。詳細は

https://st-gregorio.or.jp

をご覧下さい。

 

  

  

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福音歳時記 主の洗礼

2025-01-12 | 福音歳時記

福音歳時記 主の洗礼

 洗礼は光の神秘キリストに倣ひて祈る新(あらた)しき生

福音記者にとって、主イエスの洗礼は、キリスト者の洗礼の原型と言う意味があった。
 教皇ヨハネ・パウロ2世のさだめた、ロザリオの黙想「光の神秘」の第一番目は「イエス、ヨルダン川で洗礼を受ける」というテーマに想いを巡らすことである。 この一連を黙想しながら、洗礼の恵みを感謝し、聖霊に導かれて、新たな生を活きることを願うーそれは「主の洗礼」に倣うキリスト者の祈りでもある。

画像はアンドレア・デル・ヴェロッキオ、レオナルド・ダ・ヴィンチ《キリストの洗礼》1470-1475年

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福音歳時記 主の公現 前晩の祈り(Vesperae)

2025-01-11 | 福音歳時記

福音歳時記 主の公現 前晩の祈り(Vesperae)

    キリストの降臨恐るヘロデ王 天の御国を賜ふるかたは 滅びの国を奪うことなし

聖グレゴリオの家、献身者の集いのために来日されたベネディクト会ハヴィエル神父の司式「主の公現」前晩の祈り(Vesperae)に参列しました。はじめの祈り(deus in adjutorium intende)、賛歌(Hostis Herodes impie) 、詩編唱和、神の言葉、マニフィカト、AntiphonaAdmonitu Magi)、共同祈願、主の祈り(Pater Noster)、結び(Benedicamus Domino)の順番で、福音書朗読と共同祈願は日本語で、あとはグレゴリオ聖歌で歌います。


賛歌 Hostis Herodes impie の歌詞が福音の精神をよく表しているので、その日本語訳を以下に記します。


1 残酷なヘロデ王、キリストの来臨をなぜ恐れるのか。天の王を与ふる御方、死すべき国を奪うことなきに。
2 博士達は、見たる星に導かれ、その光によって光を探し、贈り物もて神を讃へむ。
3清い流れの河のほとりに天の子羊は立ちたまふ、罪を犯さぬ身にてありながら人の罪を引き受けたまふ
4 新しい力の不思議、主が一言のたまへば、水は葡萄酒に変わり、主は御栄えを現したまふ
5 諸国の民に現れ、イエス御身に栄えあれ、父と聖なる御霊にも、世々永久に、アーメン。


Youtube にもこのグレゴリオ聖歌がアップされていますので、それを参照します。

Hostis Herodes | Canto Gregoriano | Gregorian Chant

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神殿での少年イエス

2025-01-11 | 福音歳時記

福音歳時記  博士達のなかの少年イエス

  我が父の家にこそ居る少年に博士も親も驚きあやしむ

エスの両親は律法に従い、毎年過越の祭りの時にエルサレムに上京していたが、イエスが12歳になり、律法を守る義務の生じる年齢になったとき、イエスを同伴してエルサレム神殿に出かけた。ルカによる福音書はそのときのエピソードを語っている。都への上京中、巡礼者は詩編120-134篇を歌った(これらの詩編には「上京の歌」という表題がある)。普通、巡礼者の先頭には女子、そのあとに男子が従ったが、おそらく、マリアはイエスがヨセフと共に居ると思い、ヨセフはイエスがマリアと共に居ると思っていたので、イエスがエルサレムに残っていたことに気づかず、二日間さがした後に、エルサレムに戻り、神殿の中でイエスが博士達(律法学者)と問答をしているのを発見したのであろう。そのときのイエスの言葉ー何故われを尋ぬるか、我はわが父の家に居るべきを知らぬかーは、福音書に記されているイエスの最初の言葉である。

(画像は、ハインリッヒ・ホフマンによる「博士達の中のイエス」(1884))

ルカ傳3:40-52(聖書協会 文語訳聖書-大正改訳)

幼兒は漸に成長して健かになり、智慧みち、かつ神の惠その上にありき。かくてその兩親、過越の祭には年毎にエルサレムに往きぬ。 イエスの十二歳のとき、祭の慣例に遵ひて上りゆき、 祭の日終りて歸る時、その子イエスはエルサレムに止りたまふ。兩親は之を知らずして、道伴のうちに居るならんと思ひ、一日路ゆきて、親族・知邊のうちを尋ぬれど、 遇はぬに因りて復たづねつつエルサレムに歸り、三日ののち、宮にて教師のなかに坐し、かつ聽き、かつ問ひゐ給ふに遇ふ。 聞く者は皆その聰と答とを怪しむ。 兩親イエスを見て、いたく驚き、母は言ふ『兒よ、何故かかる事を我らに爲しぞ、視よ、汝の父と我と憂ひて尋ねたり』 イエス言ひたまふ『何故われを尋ねたるか、我はわが父の家に居るべきを知らぬか』 兩親はその語りたまふ事を悟らず。かくてイエス彼等とともに下り、ナザレに往きて順ひ事へたまふ。其の母これらの事をことごとく心に藏む。イエス智慧も身のたけも彌まさり、神と人とにますます愛せられ給ふ。

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福音歳時記 正月の読書始め

2025-01-08 | 福音歳時記

福音歳時記 正月の読書始め

迫り来る「死」を「姉妹」とぞ呼びし人フランシスコの伝記読み始(そ)む

フランシスコについてもっとも信頼できる伝記のひとつは、彼から直接の教えを受けた弟子の一人であるチェラノのトマスの書いた伝記「敬慕する魂の追憶」であろう。

「(師父フランシスコは)仲間の兄弟たちの中でも特に愛していた兄弟たちに、自分と一緒にキリストを賛美するように願い、その帰天まで残されていた僅かな日々を讃美のうちにすごしたのでした。

(師父)自身は、その力の限りを尽くして、次の詩編を唱え始めました。「私は声を限りに主に叫び、私は声を限りに主に願います」云々と。また、嘗て(師父)自身が、神の愛を頌えるように励ますために作り上げた言葉を用いて、神を賛美するように、すべての被造物を招いたのでした。

そして、すべてのものにとって恐ろしく厭わしい死さえも賛美へと鼓舞し、喜び迎え、自分の客に加わるように招いて、「ようこそ、おいでくださいました、わたしの姉妹なる死よ」と言いました。医者に対してはこう言いました。「兄弟なる医者よ、勇気をもって、死が間近になったことを知らせて下さい。死は私にとって命の戸口となるのですから。」
(チェラノのトマスの、アッシジの聖フランシスコの第二伝記(小平正寿・フランソワ・ゲング共訳(あかし書房)257頁より引用)

下図はアッシジの聖フランチェスコ聖堂に描かれたジオットによるフレスコ画の連作「聖フランシスコの生涯」から「小鳥に説教するフランシスコ」

 

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東西文化交流の足跡ーザビエルの旅

2025-01-08 |  宗教 Religion

東西文化交流の足跡

裸足にて立つザビエルの辻説法   
        雪の比叡に大學望みて

 上智大学がザビエルの遺志にもとづいて建学されたという話をよく聞きましたが、これは、彼の書簡や当時のイエズス会宣教師の記録に基づくものです。
 スペイン出身の司祭で日本に帰化された結城了悟師の「ザビエル」史伝には、時代を隔てて受け継がれた宣教師の精神と日本の文化を大切に思う気持ちに溢れています。この本の表紙のザビエル像は、結城了悟師が館長をつとめておられた日本26聖人記念館にあるものですが、いかにも東洋の使徒にふさわしいイメージだと思いました。
 都を目指したザビエルの目的のひとつは比叡山に行くことでした。このときの彼は貧しい托鉢僧の身なりで(アッシジのフランシスと同じく)裸足で雪道を歩くという苦行を自らに課していました。そのときの乞食同然のザビエルの姿は、布教許可を獲得するという彼の目的には全くかなわないものでしたが、それでも堺の商人たちとの出会いと彼らの助力が後の日本布教に大いに手助けとなりました。
 時の権力者に贈呈する高価で珍しい進物や、西欧の王侯の使節と見まがうばかりの豪奢な装いをする南蛮の宣教師のイメージとは程遠い、このときのザビエルの乞食姿のほうに、私は惹かれます。

 

 

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福音歳時記  歌始めーラフマニノフの「晚禱」によせて 

2025-01-07 | 福音歳時記
福音歳時記  歌始めーラフマニノフの「晚禱」によせて   
 
   大地より昇る歌声響き合ふラフマニノフの晚禱を聴く
 
   夜を徹し祈れば初日昇り来るアレルヤこそは歌の始まり
 
   主は共にましますマリアのみならずヨセフも汝も永遠の伴侶に
 
   今日我は汝を生めり主の言葉霊にて受けよ生誕の御子
 
   無限小揺らぐ月日の生れしより百代過客御身も旅行く
 
徹夜祷 3番 悪人の謀 「東京トロイカ合唱団」
 
 
{歌唱は東京トロイカ合唱団ーラフマニノフを歌うために結成された合唱団とのこと。「晚禱」は宗教・宗派の壁を越えて響き渡るようです。歌詞は旧約聖書詩編第一篇に由来します。)

 

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福音歳時記 主の公現の祝日に寄せてーすべての兄弟姉妹たちへ

2025-01-05 | 福音歳時記
福音歳時記 主の公現の祝日に寄せてーすべての兄弟姉妹たちへ
 
  ムスリムに主の平和説くフランシス 今甦る十字架の愛 
  
 キリスト教信仰の核心には、人種、国境、文化、風習、そして宗教の違いを超える普遍性があること、異邦人や寄留の民にこそ向けられたものであることを強調した教皇フランシスコの2020年の回覧書簡「すべての兄弟姉妹たちへ」は、イスラム・スンニ派のイマーム(指導者)、アフマド・アル・タイーブ師との対話を機縁として生まれたものであった。前年の2019年は、十字軍の時代にイスラム世界との対話を望んだアッシジの聖フランシスコが、スルターン・マリク・アル=カーミルをエジプトに訪問してから丁度800年目に当たる年であった。教皇フランシスコは次のように言っている。  
 
 (アッシジの)フランシスコの人生には、出自、国籍、肌の色、宗教の違いを乗り越えることのできる、隔てのない心を示す出来事があります。それは、エジプトでのスルターン・マリク・アル=カーミル訪問です。彼の貧しさ、わずかな手持ち、隔たり、そして言語、文化、宗教の違いゆえに、訪問には多大な労力を要しました。あの十字軍の時代に、この旅は、すべての人を抱きしめたいと切望し、彼が生きたいと願ったその愛の壮大さを、いっそうはっきり示したのです。主に対する彼の忠実さは、兄弟姉妹への愛と比例していました。困難と危険から目をそらさずに、聖フランシスコは、弟子たちに要求したのと同じ態度でスルターンに会いに行きました。つまりそれは、「回教徒や非キリスト教徒の間」に行く際の、自らのアイデンティティは否定せずに、「口論や争いをせず、神のためにすべての人に従う態度です。..........このようにして彼は、兄弟姉妹的な社会という夢を呼び覚ます、創意あふれる父となったのです。「自身の動きに他なる存在が加わるのを受け入れる人だけが、しかも他者を自分のもとにとどめるためではなく、その人がよりいっそう自己を実現するのを助けるためにそうする人だけが、真の父となる」からです。(教皇フランシスコ回覧書簡「すべての兄弟姉妹たちへ」から)
 
 今日の日本でも、ミサ聖体拝領の前に「主よ、わたしは、あなたをお迎えするにふさわしいものではありません。おことばをいただくだけで救われます」という言葉が、会衆によって唱えられるようになった。これは、マタイ傳8:8に登場する百人隊長の言葉である。ローマの異邦人の兵士の信仰がキリスト者の共同体に受容されていたことを示すものであり、この言葉が、聖体拝領前の信仰告白として、これまで日本のミサで使われてきた使徒ペテロの言葉(ヨナネ傳6:68)と並んで唱えられるようになったことは意議深い。異邦人や寄留の民を大切にすることは、すでにイエスの生きていた時代から始まっていたのであるから。

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福音歳時記 エジプトの聖母子

2025-01-04 | 福音歳時記

福音歳時記  エジプトの聖母子

 

 難民となりし聖母子エジプトに憩わず目指すは夢の父祖の地

 

「主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしは告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探しだして殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしはエジプトから私の子を呼び出した」と、主が預言者を通じて言われていたことが実現するためであった。」(マタイによる福音書2:13-15)

 エジプトはギリシャやローマ帝国よりも遙か昔から存在した豊かな文明国。創世記にはファラオの夢を解いたヨセフの物語があり、出エジプト記には、自由を目指すユダヤ人同胞を叱咤激励して約束の地に向かうモーゼの物語がある。マタイは、預言者ホセアの言葉を引用し、イエスが「新しいイスラエル」として神に呼び出されていること、彼こそが約束されたメシアであることを暗示している。

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福音歳時記 岩窟の聖母

2025-01-03 | 福音歳時記
福音歳時記 岩窟の聖母
 
   洗礼者ヨハネ聖母に寄り添ひて十字架の悲を分つ岩窟
 
西欧の聖画には、聖母マリアと幼児の姿で描かれた洗礼者ヨハネとイエスを共に描いたものが多い。レオナルドダヴィンチの岩窟の聖母はその代表的なものの一つであるが、彼はこの主題で二つの作品を残している。ルーブルにある作品は、全体的に明るい印象を与えるが、ロンドンにあるものは、洗礼者ヨハネの持つ十字架と聖母の衣装の悲しみの青色が特徴的である。ロンドンのナショナルギャラリーにある方が後から書かれた作品であるらしい。私はこのロンドン版の方に惹かれた。洗礼者ヨハネも聖母マリアも十字架の悲愛を分有しているからである。
 
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