歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

福音歳時記 2月の読書と黙想ー儒教からキリスト教へーその2

2025-02-07 | 福音歳時記
福音歳時記 2月の読書と黙想ー儒教からキリスト教へーその2
     萬物に及ぶ仁愛説く藤樹 儒教に伝へし隠れたる神

 中江藤樹の儒教思想にキリスト教の影響があった可能性を最初に指摘したのは、日本に於けるキリシタン研究の開拓者の一人でもあった宗教学者の姉崎正治である。姉崎は、1626年のイエズス会年報(ミラノ版)にもとづく、レオン・パジェスの「日本切支丹宗門史」の次の記載に注目した。

「四国には、一人の異教徒がいて、彼は支那の哲学とイエズス・キリストの教えとは同じだと信じ、ずいぶん前から、支那の賢人の道を守ってきたのであった。彼は、キリスト教の伝道師に会って、おのが誤りを知り、聖なる洗礼を受け、爾来優れたキリシタンとして暮らした。」
 当時藤樹は、近江の父母の元を離れて、学問研鑽のために四国の伊予で仕官していた祖父と共に暮らしており、祖父の後を継いで郷里の近江に帰ったのが1634年であったから、姉崎はここの記事を手がかりとして、英文の著作'History of Japanese Religion' (1930)のなかで、中江藤樹が切支丹の医者と交友があったという物語伝承に基づいて、「支那の哲学とイエズス・キリストの教えとは同じだと信じ、キリシタンのある伝道師から洗礼を受けた儒者とは中江藤樹であったかもしれない」と指摘したのである。

 イエズス会年報の記事だけでは、キリスト者になった当該の儒者を藤樹と同定するのは単なる仮説の域を出ないが、秀吉による宣教師追放令と二十六聖人の殉教後ではあっても、四国伊予の大洲に、キリスト教の洗礼を受けた儒者がいたと云うことは、明確な歴史的事実として認められよう。

 中江藤樹について、海老名弾正は「キリストの福音を聞かずして已にキリスト教会の長老なり」(「中江藤樹の宗教思想」、六号雑誌217、1899)と書いている。姉崎正治の仮説の信憑性を史実に即して検証するという課題を賀川豊彦から与えられた清水安三は、戦後間もない頃、その研究成果を「中江藤樹はキリシタンであったー中江藤樹の神学」という著書(桜美林学園出版部1959)に纏めている。
 海老名弾正は同志社大学の第8代総長、清水安三は桜美林大学の創立者・初代学長であるから、二人ともキリスト教を建学の精神とする大學の教養教育に関係しており、中江藤樹の思想の中に,日本の宗教的文化的伝統の中にあって、もっともキリスト教に密接している教育思想を見いだしたという点が共通している。

 中江藤樹の宗教思想がいかなるものであったのか、とくにキリスト教と関連のある箇所を『藤樹全集』のテキストに即して確認しておきたい。

◎中江藤樹の宗教思想の特徴ー「隠れたる所にいます まことの神」

資料-1 「大上天尊大乙神経序」(藤樹三十三歳ころの作)

趣旨:全知・全能・全善の完備なる徳を備えた唯一の神を礼拝すべき事―その神は本来、名を持たないが、昔の聖人は、それを「皇上帝」とか「大乙尊神」という名號で呼び、万物に生命を与え育み養ってくださるそのかたのご恩に報い、感謝を捧げるために、地上の天子以下すべての衆生にこの神を祀ることを教えられた。

(原文):大乙尊神は、書の所謂皇上帝なり。夫(か)の皇上帝は、大乙の神靈、天地萬物の君親にして、六合微塵・千古瞬息照臨せざる所なし。蓋し天地各々一徳を秉(と)つて、而して上帝の備れるに及ばず。日月各々時を以て明らかにして、上帝の恒なるに及ばず。日月晦なれども明虧けず。天地終れども壽竟らず。之を推して其の起を見ず。之を引いて其の極を知らず。之を息むれども其の機を滅せず。之を發して其の迹を留めず。一物として知らざるなく、一事として能くせざるなし。其の體太虚に充ちて聲なく臭なく、其の妙用太虚に流行して至神至靈、無載に到り無破に入る。其の尊貴獨にして對なく、其の徳妙にして測られず。其の本名號なし。聖人強ひて之に字して大上天尊大乙神と號して、人をして其の生養の本を知つて敬して以て之に事へしむ。夫れおもんみるに、豺獺は形偏氣を受くと雖ども、一點の靈明なほ昧(くら)からずして、獣を祭り魚を祭る。しかるを況んや人は萬物の靈貴なるをや。是を以て先聖報本の禮を修め、以て天下後世を教ふ。

(現代語訳-田中):大乙尊神は、『書経』で云う皇上帝である。その皇上帝は偉大なる唯一の神靈、天地万物の主君であり親であって、六号微塵(天地四方の大宇宙と微細なる小宇宙)、千古瞬息(永劫の時間と瞬間)において照臨しない場所がない。天地はそれぞれ一つの徳をとってはいるが、その完備なる徳には及ばない。太陽も月もそれぞれ輝くときがあるが、その永遠なる輝きに及ばない。太陽と月は暗くなるときがあるが、その明るさに欠けるときがなく、天地には終わりがあるが、その寿命は無限である。時間を遡ってもその生起はなく、時間を進めてもその終局を知らない。活動をやめてもその作用は滅びず、活動を始めても、その痕跡を留めない。(至上神は)一つとして知らない物はなく、一つとして出来ない事はない。(至上神の)本体は虚空に充ち、無声無臭、その徳は太虚に遍在し、至神至靈、それよりも大なるものを載せず(無載)、それよりも小なるものによって破られない(無破)。その尊く高貴なること、独り並ぶものなき絶対者である。その徳は測ることができない。その本体には名前がない。聖人は強いてそれに字(あざな)をつけて「太上天尊大乙神」と呼び、人々に命をあたえ養ってくださる根源を知らせ、この神を敬い、この神に仕えさせるのである。考えてみると、(獲物をならべて祀る)豺(やまいぬ)や獺(かわうそ)は、(正通の気を受ける人とちがって)偏塞の気を受ける劣った生物ではあるが、それでも一点の靈明が暗くないので、獣を祭り魚を祭るのである。まして人間は万物の靈貴(霊長)ではないだろうか。このゆえに、昔の聖人は、報恩感謝の礼法を修め、天下後世の人々に教えたのである。

資料-2中江藤樹の神道(唯一神の道)における神の礼拝の意味

〇感覚によっては捉えられない「至上至靈」の超越神やさまざまな鬼神を、目に見える「靈像」として礼拝することができるか、それは迂遠で人を欺くものではないかという問に対して、藤樹は、聖賢ならぬ凡俗の身であっても、明徳の心の眼によって靈像を視るならば、「仮真一致」すなわち「有形の仮像によって無形の真の本体を視ることができる」と主張する。

或人問ふ。「詩に曰く上天の載は聲も無く臭も無し。中庸に曰く、鬼神の徳たるや其れ盛んなるかな。これを視れども見えず、これを聴けども聞こえず。體物遺すべからず。かくのごとくならば、即ち上帝鬼神は形色無かるべし。而るにその形を図画する者、迂にして誣ならずやと。」

 曰く「上帝鬼神は形色の言うべきもの無し。無形色をもって神妙にして不測なり。万変に通じ万化に主たること明々霊々たり。是をもって聖賢は畏敬して違わず。....一旦豁然として開悟すれば則ち明徳をもって無形の神を視ること、猶ほ瞽者の昭明にして有形の尊者を見るがごとし。有形の仮像に依て無形の真體を見得れば則ち仮真一致しその別を見ざるなり。(『靈符疑解』)

資料3ー藤樹の摂理論:誠敬の心によって、先天的あるいは後天的な宿命を人は此の世で変化させ消滅することができるし、かりに此の世できなくとも来世で必ず幸福を受ける。

禍福壽夭皆一定の命有って、人を以て変ふべからず。然れども正あり変あり而して又始生の初に受けたる者有り、生后の行に由って受くるものあり。…天定の禍災と雖も、亦変消すべし。もし変消すること無ければ、必ず身后の幸あり」(『靈符疑解』)

資料4ー藤樹の「陰隲(いんしつ)」論―隠れたる神の仁愛の働き

 心を無聲無臭の仁に居(をき)て毛頭の盲心雑念なく、真実無妄に人を利し物をあはれむことを行ふを陰隲となづく。たとひ人を救ひ物を助くる行ありとも、心を仁にたてず、妄心雑念あらば誠の陰隲にあらず。故に心を仁にをくを陰隲の大本とす。遇に随ひ感に応じ分の宜をはかって民を仁し物を愛するのことを行ふを陰隲の末とす。本末一貫真実無妄なるが陰隲の正真なり。この陰隲は百福の基本にして、禍を転じ福となすの妙術なり。(全集2巻ー藤樹書簡集より)

中江藤樹の儒教的な観点から再解釈され道徳化された神道は、八百万の神々を統合する唯一神、全知、全能、全善の至上至靈の神を、その隠された仁愛の働きに感謝しつつ礼拝するものであった。それは非人格的な宿命論から人を自由にする教えであり、天の仁愛のなかに自己の心につねに置くことによって、人と物(生きとし生けるもの)を愛することを教えるものであった。
 
 
画像は藤樹の自作の詩ー忍字に題す
これは「忍」という言葉に題した藤樹の詩であるが、人間にとって自然な感情(七情)を越える宗教的な徳として「忍耐」を説いている。
一忍七情皆中和 再忍五福皆駢臻 忍到百忍滿腔春 煕煕宇宙都眞境
ひとたび忍べば七情皆 中和す
再び忍べば五福皆駢(ならび)臻(いた) る
忍んで百忍に到 れば満腔の春
煕 煕 (きき)たる宇宙都(すべ) て真境
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福音歳時記  2月の読書と黙想ー儒教からキリスト教へ- 

2025-02-06 | 福音歳時記

福音歳時記  2月の読書と黙想ー儒教からキリスト教へ- 

  キリストに通ずる儒者の説きし道天を敬ひ人を愛する

「敬天愛人」という言葉を最初に使った日本人は中村敬宇(正直)(1832-1891)である。慶応二年(1866)幕府の命により英国に留学した当時の彼は昌平黌の主席教授(御儒者)であった。日本を代表する儒者であった敬宇が、なぜわざわざ外国に留学したのか、その志は「留学奉願候存寄書付」(志願して留学する中村の意見書)につまびらかに書かれている。
 
その第一段で「儒者の名義を正す」として、「天地人に通ず、これを儒といふ」とし、学問は支那一国に限らぬ普遍的なものであると再定義した
 第二段で、アヘン戦争後の中国の先例に触れ、西洋との交渉は通訳任せであってはならず、和漢の学に通じた者が留学すべきであると説いた。
 第三段で、中村の考えていた西洋の学問について次のように述べる。

(引用)
「西洋開化の国にては凡その学問を二項に相分け申し候様に承り申し候。性霊の学、即ち形而上の学、物質の学、即ち形而下の学、とこの二つに相分け申し候ふ。文法の学、論理の学、人倫の学、政治の学、律法の学、詩詞学律絵画彫像の藝などは性霊の学の項下に属し申し候。万物窮理の学、工匠機械の学、精錬点火の学、本草薬性の学、稼穡樹芸の学は物質の学の項下に属し申し候。」(/引用)


 これまで蘭学者達が西洋から学んできたものは、専ら科学技術(物質の学・形而下の学)であって、実用的な利益を上げるための手段智にかぎられてきた。学問の根幹をなす倫理道徳の道(性霊の学・形而上学)、人倫の学、政治学、法学を学ぶためには、少年生徒による留学生では不十分であり、西洋の倫理の善悪を熟慮考察し、その正邪得失を判断するためには、東洋の道徳の基礎に通じたものでなければならない、と論じている。
 いわゆる「和魂洋才」とか「東洋道徳西洋芸術」(佐久間象山)のごとき立場を越えて、西洋の物質文明の根底にある、人倫と政治の学問に関心を持った敬宇は、ミルの「自由論」(帰国後、敬宇はそれを「自由之理」として邦訳する)を読み、西洋民主主義の根本思想を学ぶ。
 帰国後(明治元年)に書いた西国立志編の『緒論』では、
「君主の権は、その私有にあらざるなり」と述べ、「君主の令するところのものは、国人の行んと欲するところなり。君主の禁ずるところのものは、国人の行ふを欲せざるところなり」と、君主を馬車の乗客、国民を馬車の乗客に譬えている。どちらに進むべきかは乗客の意向で決まるのであり、御者である君主は客の意向に従い車を走らせれば良いと云うのであ。

 敬宇は、英国下院(House of Commons)を「百姓の議会」上院(House of Lords)を「諸侯の議会」、国会議員を「民任官」と翻訳し、理想的な国会議員を、「必ず学明らかに行ひ修まれるの人なり。天を敬し人を愛するの心ある者なり。多く世故を更へ艱難に長ずるの人なり」と規定した。

〇「敬天愛人」とは、このように明治元年、中村敬宇によって、人民によって国会議員に選ばれた者の心得という文脈で、日本で初めて使われたのである。

 静岡の学問所で敬宇の講義を聴いた者の中に、薩摩藩士の最上五郎が居た。彼は敬宇の思想を西郷南州に伝え、西郷はそこにみられた思想に共鳴し、「敬天愛人」の書を多く遺すことになったのである。
 静岡時代に敬宇の書いた『敬天愛人説』では、はじめに儒教の伝統の中で「敬天」と「愛人」に関する諸説を引用したうえで、それをキリスト教の倫理にも通じる普遍的な道徳であることを論じている。

①「天は我を生ずる者、乃ち吾父なり。人は吾と同じく天の生ずる所なるは、乃ち吾兄弟なり。天それ敬せざるべけんや、人それ愛せざるべけんや。」
②「何ぞ天を敬すると謂ふ。曰はく、天は形無くして知る有り。質無くして在らざる所無し。その大外無くその小内無し。人の言動、その昭監を遁れざること論なし。乃ち一念の善悪、方寸に動く者、またその視察に漏れず。王法の賞罰、時に及ばざる所有り、天道の禍福、遅速異なると雖も、而モ決シテ愆る所無し。」
③「蓋し天は理の活者、故に質無くして心有り。即ち生を好むの仁なり。人これを得て以て心と為せば、即ち人を愛するの仁なり。故に仁を行へば、則ち吾心安じて天心喜ぶ。不仁を行ヘば、則ち吾心安ぜずして天心怒る。」
④「それ天は肉眼を以て見る可からず、道理の眼を以てこれを観れば、則ち得て見るべし。天得て見るべくば、則ち敬せざらんと欲するも、何ぞ得べけんや。」
⑤「古より善人君子、誠敬を以て己を行ひ、仁愛を以て人に接す。境地の遇ふ所に随ひ、職分の当然を尽す。良心の是非に原き、天心の黙許に合ふを求む。」
⑥「故に富貴を極めて驕らず、勲績を立てて矜らず。窮苦を受けて憂へず、功名に躓きて沮らず。禍害を被リ阨災を受くると雖も、快楽の心、為に少しも損せず。これ豈に常に天の眼前に在るを見るに由るに非ずや。天道の信賞必罰を信ずるに由るに非ずや。」
⑦「若しそれ天を知らざる者、人と争ふを知るのみ、世と競ふを知るのみ。知識広ければ、則ち一世を睥睨し、功名成れば、則ち眼中人無し。願欲違へば、則ち咄咄空に書す。禍患及べば、則ち天を怨み人を尤む。自私自利の念、心胸に填塞して、人を愛し他を利するの心毫髪も存せず。これ豈に天を知らざるの故に非ざるか。」
⑧「是に由りて之を観るに、天を敬する者、徳行の根基なり。国天を敬するの民多ければ、則ちその国必ず盛んに、国天を敬するの民少なければ、則ちその国必ず衰ふ。」

「天は我を生ずる者、乃ち吾父なり」以下の文では「天」は人格的な性格が顕著であり、儒教の「天」よりもキリスト教のHeaven(=God)に近い用法である。敬宇は、帰国途上で読んだSamuel Smiles のSelf-Help(自助論)をのちに「西国立志編」として邦訳したが、そこでの「天はみずから助くるものを助く」の自主独立の精神の根底にあるものは儒教的な語で書かれたキリスト教倫理ともいえるものであった。

 この「敬天愛人論」を呈された大久保一翁 は中村敬宇にあてた書簡のなかで、この言葉が、当時の蘭学者に知られていた聖書の漢訳に由来する者であることを指摘している。
 しかし、一翁 は、当時禁教であったキリスト教の聖書に由来すると云っても、そこに書かれていることは儒教の教えと変わりなきものだから、これを刊行しても一向に差し支えないとして、次のように云っている。

(引用)「旧新約書中の語にても御稿の趣にては聊か嫌疑も有之間敷候、何の書出候とも其辺は唐土二帝孔夫子も同様と存候、……既に敬天愛人と四字並候西洋物漢訳書中より鈔し置き事に候。且御文の趣にては何の嫌疑も有間敷存候。」(/引用)

 

「文明」とは何か:「南洲翁遺訓」より



 

 明治維新と共に「文明開化」の時代が始まるが、官軍に敗れた荘内藩士たちが、敗者に名誉を与えた西郷隆盛の遺徳を偲んで記録した文書「南州翁遺訓」には「まことの文明とは何か?」という根本的な問いが含まれている。

 中村敬宇はすでに「西洋文明の倫理の善悪を熟慮考察し、その正邪得失を判断するためには、東洋の道徳に通じたものでなければならない」と論じていたが、佐藤一斎の『言志四録』を座右の書としていた西郷の文明論には、「文明開化」の名のもとに無批判的に西欧文明を模倣する明治新政府への批判と共に、西洋文明を支えてきたキリスト教倫理から学ぶべき積極的な「善」への評価がある。

 西郷によれば、文明とは普遍的な「道」が民によって実践されることを意味するのであって、物質的繁栄を意味するのではない。西欧諸国の文明も、その基準によって判断すべきであって、慈愛をもととして解明に導かず未開の国を暴力によって植民地化した西欧諸国は「野蛮」である。たとえば、遺訓第1条で、南州は、物質的な文明、すなわち経済的な繁栄のごとき「外観の浮華」は「文明」の名に値しないというという儒教の伝統にしたがいつつ、次の如く平易な言葉で西洋的「文明」の偽善を指摘している。

(引用)「文明とは道の普く行はるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やら些とも分らぬぞ。予嘗て或人と議論せしこと有り、「西洋は野蛮じや」と云ひしかば、「否な文明ぞ」と争ふ。「否な否な野蛮ぢや」と畳みかけしに、「何とて夫れ程に申すにや」と推せしゆゑ、「実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢや」と申せしかば、其の人口を莟めて言無かりきとて笑はれける。」(/引用)

 西欧列強が、非西欧諸国にたいして「未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利する」というのは歴史的事実であり、それこそ文明の対極にある「野蛮」に外ならないという西郷の指摘である。しかし、彼は、かかる西欧列強の植民地主義を非難するだけで終わっているのではない。西洋の「刑法」の人道的な性格について西郷は次のように述べる。

(引用)「西洋の刑法は専ら懲戒を主として苛酷を戒め、人を善良に導くに注意深し。故に囚獄中の罪人をも、如何にも緩るやかにして鑑誠となる可き書籍を与へ、事に因りては親族朋友の面会をも許すと聞けり。尤も聖人の刑を設けられしも、忠孝仁愛の心より鰥寡孤独を愍み、人の罪に陥いるを恤ひ給ひしは深けれども、実地手の届きたる今の西洋の如く有りしにや、書籍の上には見え渡らず、実に文明ぢやと感ずる也。」(/引用)

 西郷は、ここで、西洋の刑法は、我が国の儒教の教えを我が国以上に実践している物であり、真に文明の名に値する、と述べるのを忘れていない。
 犯罪人に対する過酷な取り調べと刑の執行の残虐さは、儒教の精神に反する物であるにもかかわらず、四書五経の訓詁注釈にかまけてきた儒者たちは、過酷な刑法を人道的なものとする努力を怠ってきた。これこそ、まことの文明として西欧から学ぶべきであるという指摘である。

 そして、西郷は、論語「子罕」編の「絶四(恣意・無理押・固執・我意の四つの執着を絶つ)」の言葉を引用し「敬天愛人」が天地自然の道に従って、我意を離れた講学の道なることを説いた後で、次のように述べている。

(引用)「道は天地自然の物にして、人は之れを行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。」「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し。」(/引用)

「天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也」に要約される西郷の思想と実践について、内村鑑三は、『代表的日本人』のなかで、預言者の精神とキリストの教えに合致する「偉大な西郷の遺訓」がどこから由来するのか、知りたいと思うものがいるだろう、とコメントしている。

 

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福音歳時記 ペトロの言葉ー詩編118の黙想

2025-02-05 | 福音歳時記

福音歳時記 ペトロの言葉ー詩編118の黙想

   家作り捨てたる石は不思議にも隅の親石使徒の誉れよ
 
 詩編118は、新約聖書のなかで繰り返し引用され、最初にイエスをキリスト(救世主)と宣言した信徒の心を如実に伝えてくれる詩である。
 まず、マタイ21: 9では、エルサレム入城のイエスを頌える歌として「ほむべきかな主の名によって来るもの(詩118: 26)」が引照され、おなじくマタイ21:49では「家造りの捨てた石が隅の親石となった(詩118: 22)」が、イエス自身の言葉として語られている。この言葉は、使徒行伝4:11ではエルサレムで祭司長や長老達の尋問に答えたペトロのキリスト証言として繰り返される。
その言葉の意味は、ペトロ書簡Ⅰ(2: 7)の「人々からは見捨てられたキリストが、神にとっては選ばれた尊い生きた石なのだから、あなたがたも生きた石として用いられ、霊的な家に造りあげられるようにしなさい」というペトロ自身の言葉に示されている。
 この詩にはまた「苦難のはざまから主を呼び求めると、主は答えてわたしを解き放たれた。主はわたしの味方、人間がわたしに何をなしえよう」「人間にたよらず、主をさけどころとしよう。君侯にたよらず、主をさけどころとしよう」のように、主にたいして一人称で語る「わたし」が、一切の地上の権威を恐れずに主に拠り頼む心意気も示されている。
 「全てのものの上に立つ自由な主人であって、いかなる人間的権威にも従属しない」と同時に「すべてのものに奉仕するしもべである」ところに、キリスト者の「自由なる奉仕活動」を見いだしたマルチン・ルターが、この詩編を愛唱したことはよく知られているが、プロテスタントではないわたしもまた、この詩編の言葉に鼓舞される。それは、もっとも個人的にしてもっとも普遍的なキリスト信仰のありかたを旧約聖書の中で預言した詩編のひとつだと思うからである。
詩編118は日本の典礼聖歌87番で(抜粋して)うたわれている。歌詞は次の通り。
答唱:きょうこそ神が造られた日 よろこび歌えこの日を共に
1 恵み深い主に感謝せよ そのあわれみは永遠   イスラエルよ叫べ 神のいつくしみはたえることがない。
2 神の右の手は高くあがり どの右の手は力を示す わたしは死なずわたしは生きる かみのわざを告げるために
3 家造りの捨てた石が 隅の親石となった これは神のわざ 人の目にはふしぎなこと
この歌詞の答唱(繰り返し歌われる箇所)の「今日こそ神が造られた日」とは、復活の主日、あるいは復活祭の第二主日(白衣の主日)を指している。
復活祭の時に受洗したひとが白衣を着けた故事にならって「白衣の主日」と呼ぶのであるが、女性の場合は白いベールを付けるという習慣もここに由来するのであろう。その心は、洗礼を受けた人は「新しい人として、キリストを着るものとなった」こと、「神の国の完成を待ち望みながらキリストに倣って歩む人」を力づけ祝福するためである。
 
 旧約聖書の時代にこの詩編がどのように歌われたかはよく分からないが、ヘブライ語で朗唱された詩編がどんなものであったかをある程度窺わせる朗詠がYoutubeにある。とくに、「家造りの捨てた石が 隅の親石となった これは神のわざ 人の目にはふしぎなこと」という詩をヘブライ語で聴くことができるのは有難い。
現代的な伴奏が付けられているにもかかわらず、受難と亡国の危機に抗して信仰を守り抜いたユダヤ教徒の心の歌が、現代に至るまで脈々と受け継がれていると感じた。

Psalm 118 in Hebrew, with Lyrics and transliteration

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福音歳時記 主の奉献の主日:詩編2の黙想

2025-02-04 | 福音歳時記
福音歳時記   主の奉献の主日:詩編2の黙想
 
   永遠と時間の両義「今日」といふ日の典礼詩編朗詠す
 
 新約聖書のなかで旧約聖書はギリシャ語で引用されるが、そのなかでも詩編2に由来する引用例は多い。
 共観福音書ではーマルコ(1:9-11)マタイ(3:17)ルカ(3:21-22)では、イエスの受洗の場面で、「天が開け、神の霊が鳩のかたちで下り」天から「これは愛する我が子、我が心にかなうものである」という声がしたとある。また山上の変容の場面-マルコ(9:7-8)マタイ(17-5)ルカ(9:29-36)では、光り輝く雲の中から「これは我が愛する子、我が心に適うものである。(ルカ傳では、「我に選ばれたものである」)彼に聞け」と言う声が聞こえたとある。
 また、使徒行伝(13:33)ではピシデヤのアンティオキアの会堂でのパウロの説教のなかで、復活後にイエスが神の子の栄光を受けたことを宣言するときに、詩編2の「あなたはわが子、わたしは今日あなたを生んだυἱός μου εἶ σύ, ἐγὼ σήμερον γεγέννηκά σε.= Filius meus es tu, ego hodie genui te.」を引用している。
 このように、イエスの生涯の重要な出来事ー受洗、山上の変容、十字架の死/復活の栄光ー
を物語るときにこの詩編2が引用されていることが分かる。
  
  詩編2は、元来は、イスラエルの王の即位式のために書かれた「王の詩編」と呼ばれるのが普通である。それは、
(1)イスラエルの新王に対して、諸々の国の王が空しい反逆をする (2)それに対する神(ヤーウエ)の嘲笑と怒り (3)諸々の国の王の上に立つ権威が神に由来するという新王の答え (4)新王に対する反逆は破滅をもたらし服従は幸福をもたらすのが神の摂理である
という構成から分かるように、隣接する国々の上に立つイスラエルの王の御稜威の由来を、父なる神(ヤーウェ)にもとめる詩であった。
 
 新約時代のキリスト者たちは、ここでいわれている「新しい王」こそ、十字架につけられたのちに復活したイエスその人であると主張するために、この「王の詩編」を引用したと考えられる。王を神の子として認める即位式の宣言が、イスラエルという民族のみを特権化するものではなく、異邦人を含めたすべての人類の救世主イエス・キリストの神の子としての権能を表すものであったというのが、使徒継承の初代教父たちの解釈であった。
 
 アウグスチヌスは、この詩編2のなかの「今日、わたしはあなたを生んだ」の「今日」と「生んだ」という言葉について次のような興味深い解釈をしている。
 
これは、イエス・キリストが人間として生まれた日が預言において語られていると思われるかも知れない。しかし、「今日」というのは現在を意味しているのであるし、しかも永遠に於いては、存在しなくなってしまったいかなる過去というものもなく、眞田存在していない未来というものもなく、そして永遠なるものはすべて存在しているのだから、現存するものだけが常に存在しているのである。それゆえ、「今日」というのは、「今日、わたしはあなたを生んだ」という言葉に従って、神に関することであると解される。この苦においては、この上なく純粋なカトリックの信仰が、独り子である神の力と知恵の永遠の誕生を宣告しているのである。
 
「今日わたしはあなたを生んだ」とは、神からの神、子なる神の父なる神からの永遠の発出を意味するのであるが、そのような神学に聖書的な根拠を与えるものが詩編2の該当箇所であったと言うことが出来よう。これはイエスキリストの神性にかんする事柄であるが、アウグスチヌスは、詩編2の次の箇所はイエス・キリストの人性、すなわち歴史的時間に関するものと解釈している。
 
「わたしに求めよ。わたしは異邦人をあなたへの嗣業として与えるであろう」(詩編2:8)。もはや、この句は受肉した人に関する時間的な意味を表している。その方はすべての犠牲に代わって自分自身を犠牲として献げたのであり、私たちの為にも執り成して下さるのである(ロマ書8:34)。それゆえ、「わたしに求めよ」という言葉は、人類のために定められた時間的な全統治そのものに関するものである。すなわち、それは、異邦人はキリストの名のもとに統合され、かくて異邦人は死から救われて、神に受け継がれることになるだろう、ということである。「わたしは異邦人をあなたへの嗣業として与えるであろう」とは、あなたが異邦人を救うために、異邦人を受け継ぎ、そして異邦人はあなたのために霊の実を結ぶであろう、ということである。
 
アウグスチヌスは、ここで、異邦人の使徒パウロの歴史的使命に言及すると同時に、神からの神、父なる神から子なる神の永遠の発出という出来事が、歴史的な「今日」ではなくと永遠の現在である「今日」をさすものであり、それはパウロに時代のみならず、あらゆる時代に当て嵌まる出来事であることを示しているのである。
 
以下のYoutube ビデオは「王であるキリスト」を歌う詩篇2をグレゴリオ聖歌風に英語で朗詠したもの。

Psalm 2 (English), Gregorian Tone 1D

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福音歳時記 2月3日 福者ユスト高山右近殉教者記念日 

2025-02-02 | 福音歳時記

福音歳時記 2月3日 福者ユスト高山右近殉教者記念日 

 侘数寄を弥撒に代へたる侍(さむらひ)の道はひとすじ殉教の旅

千利休以後に始まる濃茶の回しのみ(すい茶)は、カトリックのミサで司祭と信徒が一つの聖杯から葡萄酒を共に飲む儀式によく似ており、茶巾と聖布(プリフィカトリウム)の扱いも酷似している。これは、裏千家家元の千宗室氏の云われたように、キリスト教が日本の茶道にあたえた影響と見て良いであろう。



 利休には、高山右近をはじめ蒲生氏郷、瀬田掃部、牧村兵部、黒田如水などのキリシタン大名、あるいは、キリスト教と縁の深い門人(ガラシアの夫の細川忠興など)や、吉利支丹文化の影響をうけた茶人(古田織部など)が大勢いた。

 高山右近の父の高山飛騨守は、畿内のキリスト教伝道に大きな役割を果たした盲目の琵琶法師ロレンソ了斎の影響でキリスト教に帰依した。當時少年であった次男の彦五郎(右近)も飛騨守の一族の者とともに受洗した。右近は父親から家督を譲られた後、1573年から85年まで高槻城主を務め、1585年に明石に転封された。1587年、博多にいた秀吉は、突然に禁教令を出し、まず高山右近に使者を送って棄教を迫った。宣教師の書翰によると使者に対して右近は次のように答えたという。

「予はいかなる方法によっても、関白殿下に無礼のふるまいをしたことはない。予が高槻、明石の人民をキリシタンにさせたのは予の手柄である。予は全世界に代えてもキリシタン宗門と己が霊魂の救いを捨てる意志はない。ゆえに予は領地、並びに明石の所領6万石を即刻殿下に返上する」(「キリシタン史の新発見」プレネスチーノ書簡から)

 右近の強い意志を知った秀吉は時間を置かず第二の使者を出す。陣営にいた右近の茶道の師、千利休が使者に選ばれたのである。利休の伝えた内容は「領地はなくしても熊本に転封となっている佐々成政に仕えることを許す、それでなお右近が棄教を拒否するならば他の宣教師ともども中国へ放逐する」というものであった。右近はこの譲歩案も次のように謝絶したので、利休もそれに感ずるところがあって再び意見することはなかったという。(金沢市近世資料館にある『混見摘写』による)

「彼宗門 師君の命より重きことを我知らず。しかれども、侍の所存は一度それに志して不変易をもって丈夫とす 師君の命といふとも 今軽々に敷改の事 武士の非本意といふ。利休もこれを感じて再び意見に及ばずの由」。

  追放後、右近は、博多湾に浮かぶ能古島、小豆島など、右近を慕う大名達によって匿われたのち、金沢の加賀前田家の客将として、能登で二万石を与えられた。しかしながら、1614年の徳川幕府の吉利支丹禁令のさいに国外追放となり、翌1615年2月3日にマニラで死去した。国外追放されたとき、右近は十字架と共に、最後に利休と分かれたときに渡された羽箒(茶道具)を所持していた。また、右近が細川忠興宛にあてた書状が、細川家の永青文庫に残っている。



 近日出舟仕候 仍 此呈 一軸 致進上候
 誠誰ニカト存候 志耳
 帰ラシト 思ヘハ兼テ 梓弓
 ナキ数ニイル 名ヲソ留ル
 彼ハ向戦場命堕
 名ヲ天下ニ挙是ハ
 南海ニ趣命懸天名ヲ
 流如何六十年之苦
 忽別申候此中御礼ハ
 中々不申上候々々恐惶
 敬白
    南坊
 九月十日 等伯(花押)
 羽越中様 参人々御中
(細川忠興にあてた右近の自筆書簡。)

『近々、出航いたすことになりました。ところで、このたび一軸の掛物をさしあげます。どなたにさしあげようかと思案しましたが、やはりあなた様にこそふさわしいもの、私のほんの志ばかりでございます。

 帰らじと思えば兼ねて梓弓無き数にいる名をぞ留むる。

彼(正成)は戦場に向かい、戦死して天下に名を挙げました。是(私)は、今南海に赴き、命を天に任せた名を流すのみです。いかがなものでしょうか。六十年来の苦もなんのその、いまこそ、ここに別れがやって参りました。先般来の御こころ尽くしのお礼は、筆舌につくす事は出来ません。恐れながら申し上げます。  
  九月十日  南坊等伯(高山右近の茶人としての号)』

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福音歳時記 2月2日 聖母マリアの清めの祝日

2025-02-02 | 福音歳時記

福音歳時記 2月2日 聖母マリアの清めの祝日


 喜びと悲しみの伴侶(とも)聖マリア 蝋燭灯し祝ひまつらむ

2月2日の「聖母の清めの祝日」では(ルカ福音書に基づき)シメオンがキリストを迎えたように、蝋燭を灯して聖母とイエスに祈ります。次々と手渡しされる灯は、闇夜を照らす光ー信仰、希望、愛に導くキリストの象徴でしょう。

 この日に聖家族が従ったユダヤ教の儀式は、元来は、出産後の母親を清め、長男を主に捧げるというものでした。ユダヤ人たちは、律法の義務を果たすことで神への敬意を示し、母親たちは謙虚に清めを受け入れていました。
しかし、イエスを救い主と信じるキリスト教徒にとっては、この「清めの日」は、主の「奉献の神秘」という新しい意味を持つようになりました。

 この日の様子を描いた西洋の聖画では、天使たちが登場し、驚嘆の念を抱きつつ、神殿がこれまでに目撃した中で最大の出来事であるかのように聖母子を見守っています。

 ルカ福音書によれば、誕生したばかりのイエスには十字架の受難が予定されています。そして、聖母マリアの苦しみと悲しみもまた予示されています。主の奉献は「喜びの神秘」に数えられますが、聖母の「悲しみの神秘」でもあります。

 聖霊に導かれたシメオンは、その神秘を理解し、マリアもまた理解しました。救い主を初めて目にしたときの喜びの感情が去ると、シメオンは彼らを祝福し、母に向かってこう言いました。「この子は、イスラエルの多くの者の倒れるべき時と復活の時、また、反対されるしるし、彼ら自身の魂が剣で刺し貫かれる時、多くの人の心の中の思いが明らかにされるでしょう」と。

この預言は、マリアが常にイエスの運命と結びついており、イエスと喜びと悲しみを分かち合う伴侶であったことを思い出させます。

この祝日の起源は古く、エルサレム教会が最初にこの祭りを祝い、コンスタンティヌス帝の時代にはバシリカへの行列も行われまたと言う記録があります。アルメニアでは今でも(古い暦にしたがって)2月14日にこの日を祝っており、「神の子の神殿入場」と呼んでいるということです。



In Purificatione Beatae Mariae Virginis - INTROITUS

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イグナチオ・デ・ロヨラの祈りの言葉

2025-01-31 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy

イグナチオ・デ・ロヨラの祈りの言葉

  Anima Christi  キリストの魂

Anima Christi, sanctifica me.    キリストの魂、わたしを聖化し、
Corpus Christi, salva me.       キリストの体、わたしを救い、
Sanguis Christi, inebria me.      キリストの血、わたしを酔わせ、
Aqua lateris Christi, lava me.    キリストの脇腹から流れ出た水、わたしを清め、
Passio Christi, conforta me.      キリストの受難、わたしを強めてください。
O bone Jesu, exaudi me.        いつくしみ深いイエスよ、わたしの祈りを聴きいれてください。
Intra tua vulnera absconde me.   あなたの傷のうちにわたしをつつみ、
Ne permittas me separari a te.            あなたから離れることのないようにしてください。
Ab hoste maligno defende me.   悪魔のわなからわたしをまもり、
In hora mortis meae voca me.     臨終の時にわたしを招き、
Et iube me venire ad te,      みもとに引き寄せてください。
Ut cum Sanctis tuis laudem te.   すべての聖人とともに、いつまでもあなたを
In saecula saeculorum. Amen     ほめたたえることができますように。アーメン (ホセ・ミゲル・バラ神父による日本語訳)

 イグナチオ・デ・ロヨラが自身の『霊操』の冒頭に記しているのこの祈りは、「イグナチオ・デ・ロヨラの憧憬」と呼ばれることもある。
「霊操」の初版にすでに言及され、第二版以後は全文が引用されているこの祈りは、様々な国の言葉に翻訳されてきたが、英語訳では、ニューマン枢機卿のものが良く知られている。ニューマンはこの祈りの終わりの部分を「汝の聖人と共に永遠に汝の愛を歌うことができますように」(’With Thy saints to sing Thy love,World without end.')と、単に「ほめたたえる」と訳すのではなく「愛を歌う」と意訳している。

「キリストの魂」という祈りの根本にあるものが、「愛の頌栄」であるということは、ロヨラの『霊操』がキリストの愛を主題とする点で、ヨハネの福音書や書簡と深い内的なつながりがあることを示すものである。『霊操」の最も新しい邦訳者である川中仁によれば、ヨハネ福音書と『霊操』は、「イエス・キリストの形姿を媒介とする神と読者との間の間主観的コミュニケーションの場」を開くという共通の構造があるという(「ヨハネ福音書とイグナチオ・デ・ロヨラの霊操」ー上智大学キリスト教文化研究所篇『さまざまに読むヨハネ福音書』所収、2011)。

また、臨済宗の室内の根本修行を通過(大事了畢)して参禅指導者の資格を得たイエズス会の門脇佳吉神父は、禅の接心の初めから終わりまでを貫く根本原理を「大死一番絶後に蘇る」というダイナミックな体験とし、『霊操』の第一週から第四集までを貫く根本原理を、「一粒の麦がもし地に落ちて死せざれば、ひとつにとどまる。もし死すれば多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書12-14)という「死と復活の」の経験としている。(岩波文庫の『霊操』門脇佳吉訳・解説参照)

 単なる神秘的観想にとどまるのではなく、さらに一歩進んで、さまざまな社会的な奉仕活動に積極的に参加するイエズス会の精神ー「愛の利他行」ーをささえるものが『霊操』であり、その冒頭に置かれた「キリストの魂」の祈りであろう。

Anima christi sanctifica me ( Chant Catholique )
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詩編65[66]に聴く:主の公現後第二主日の入祭唱 “Omnis terra adóret te, Deus”のグレゴリオ聖歌から

2025-01-30 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy

詩編65[66]に聴く:主の公現後第二主日の入祭唱 “Omnis terra adóret te, Deus”のグレゴリオ聖歌から

まず公現後第二主日で歌われるグレゴリオ聖歌の入祭唱“Omnis terra adóret te, Deus”を聴こう。

INTROIT • 2nd Sunday after Epiphany (“Omnis terra adóret te, Deus”)

Vulgata Text:
Omnis terra adoret te, et psallat tibi; psalmum dicat nomini tuo. Jubilate Deo, omnis terra; psalmum dicite nomini ejus; date gloriam laudi ejus.
English Text used by Orthodox Church in America: 
Let all the earth worship Thee, and chant unto Thee; let them chant unto Thy name. Shout with Jubilation unto the Lord all the earth; chant ye unto His name, give glory in praise of Him.

詩編[66]は、もともとは、民族としてのイスラエルの紅海における救い(6節)、捕囚からの救い(12-c節)を想起する「感謝の歌 מִזְמ֑וֹר שִׁ֣יר(šîr miz·mō·wr;)」であった。フランシスコ会聖書研究所訳に従うと、第1節から4節までは

1 すべての地よ、神に歓呼せよ 2 み名の栄えを ほめ歌い、はえある賛美を献げよ。3 「神よ、あなたのわざは恐るべきもの。敵はあなたの偉大な力の前に屈する。4すべての地はあなたを拝み、ほめ歌い み名をたたえて歌う」。

となっている。典礼では、順序が少し変わって、4節が歌われた後で、1-2節が歌われている。そして大切なことは、典礼で歌われていなくとも、この詩を初代のキリスト者が読むときにどのように解釈したかを知るために、16-19節を引用しよう。

16 いざ聞け、すべて神をおそれる者よ、神がわたしに何をされたかを語ろう。 17 わたしは口をもって神に呼び求め、舌をもって神をあがめた。18 わたしの心に よこしまがあったなら、主は聞き入れられなかったであろう。 18 まことに神は聞き入れて、わたしの祈りの声を心にとめられた。

ここでは、詩編記者は、詩の前半部分のように、イスラエル民族としての「我々」ではなく、一人称単数の「わたし」として、個人の救済を語っていることに注意したい。旧約の時代には、巡礼者の集まる民族的な祭儀ではまず団体的な感謝が行われ、次に個人的な感謝の奉献が行われたらしい。

新約の時代では、この詩編は、「キリストを信じる者の復活を喜ぶ」詩として歌われるようになった。それは、ギリシャ語訳の古い写本と、Vulgata訳では、この詩の表題が、ᾠδὴ ψαλμοῦ ἀναστάσεως Canticum psalmi resurrectionis (復活の頌栄)となっていることから知られるのである。

アウグスチヌスは『詩編注解」のなかで、この詩編65のキリスト者にとっての重要性を次のように説明している。

この詩編は表題として「終わりに、復活の頌栄」と書かれている。詩編が朗読されるとき、「終わりに」と言う言葉をあなたたちが聞くなら、「キリストにおいて」と理解しなさい。使徒は「というのもキリストは律法の終わり、信じる者にとって義となるものだからである(ロマ書10-4)」と述べている。だから、ここで復活がいかに語られ、誰の復活が語られているのか、主御自身が与え、啓示されることを嘉しとされる限りにおいて、聞きなさい。キリスト者の復活がわたしたちの頭(かしら)においてすでに成し遂げられたこと、また肢体においては将来起こることを私たちは知っている。教会の頭はキリストであり、キリストの肢体は教会である。頭において先行したことが、身体において続いて生じるのである。これはわたしたちの希望である。このことのゆえに、わたしたちは信じ、このことのゆえに、この世のかほどの悪意のなかで、忍耐し、堅忍するのである。希望が事柄として現実となる前は、希望がわたしたちを慰める。事柄が現実となるのは、わたしたちも復活し、天的な住まいへと変えられ、天使と等しき者にされる時である。真理が約束するのでなければ、誰が敢えてこれを希望するだろうか。

「終わりにin finem」とラテン語訳されたヘブライ語לַ֭מְנַצֵּחַ は、「(聖歌隊の)指揮者に」と訳されるのが普通であるが、七〇人ギリシャ語訳 εἰς τὸ τέλος に由来する in finem をアウグスチヌスは、単なる音楽上の指示などではなく、文字通り「終わりに(むけて)」と読み、終末における復活の希望に生きるキリスト者の希望を表現するものとしてこの詩篇を読んでいることが分かるのである。アウグスチヌスは、次に、マタイ傳22:23-30を引用し、復活を否定するサドカイ派に対するイエスの応答を引用し、死者の復活の希望をもっていたユダヤ人を励ますと共に、死者の復活が、キリストを信じる異邦人にも約束されていることを強調し、「一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでである」(ロマ書11-25)というパウロの言葉を引用している。

ーーーーーーーーーEnglish translation---------------

Let's listen to the Introit for the 2nd Sunday after the Epiphany, ‘Omnis terra adóret te, Deus’, from the Gregorian chant.

Vulgata Text:
Omnis terra adoret te, et psallat tibi; psalmum dicat nomini tuo. Jubilate Deo, omnis terra; psalmum dicite nomini ejus; date gloriam laudi ejus.
English Text used by Orthodox Church in America:
Let all the earth worship Thee, and chant unto Thee; let them chant unto Thy name. Shout with Jubilation unto the Lord all the earth; chant ye unto His name, give glory in praise of Him.

Psalm 66 was originally a ‘song of thanksgiving’ (מִזְמ֑וֹר שִׁ֣יר, šîr, miz·mō·wr;) recalling Israel's salvation at the Red Sea (v. 6) and deliverance from captivity (vv. 12-c). Following the translation of the Franciscan Institute of Biblical Studies, verses 1-4

1. All the earth, sing to God with joy! 2. Sing to God with praise, and give him glorious praise. 3. ‘God's deeds are awesome. The enemy is defeated before his great power. 4. All the earth worships and praises him, and sings his name.’

In the liturgy, the order is slightly different, and verses 1 and 2 are sung after verse 4. And, importantly, even if it is not sung in the liturgy, let us quote verses 16-19 to see how the early Christians interpreted this poem when they read it.

16 Listen, all you who fear God, and I will tell you what he has done for me. 17 I called to God with my mouth and praised him with my tongue. 18 If my heart was wicked, the Lord would not have listened. 18 Surely God has listened and heard my prayer.

Here, the psalmist is speaking of personal salvation, using the first person singular ‘I’ rather than the ‘we’ of the first half of the psalm. In Old Testament times, it seems that at national festivals where pilgrims gathered, group thanksgiving was offered first, followed by individual thanksgiving.

In the New Testament era, this psalm came to be sung as a psalm of ‘rejoicing in the resurrection of those who believe in Christ’. This is known from the fact that in the Greek translation of the Old Testament and in the Vulgate, the title of this psalm is ᾠδὴ ψαλμοῦ ἀναστάσεως, Canticum psalmi resurrectionis (Hymn of the Resurrection).

In his ‘Commentary on the Psalms’, Augustine explains the importance of this psalm 65 for Christians as follows

This psalm is entitled ‘For the end, a resurrection hymn’. When you hear the words ‘for the end’ when the psalm is read, understand them to mean ‘in Christ’. The Apostle says, ‘For Christ is the end of the law and the righteousness of those who believe (Romans 10-4)’. So listen to what is said here about the resurrection and whose resurrection is being talked about, as far as the Lord himself is pleased to give and reveal. We know that the resurrection of the Christians has already been accomplished in our heads, and that in the members it will take place in the future. The head of the church is Christ, and the members of Christ are the church. What has preceded in the head will continue to occur in the body. This is our hope. Because of this, we believe, and because of this, we persevere and endure in the midst of the world's evil. Before hope becomes a reality, it comforts us. The reality will come when we too are resurrected, transformed into heavenly dwellings, and made equal to the angels. Who would dare hope for this if truth did not promise it?

The Hebrew word יִזְקַנְתִי, which is translated in Latin as ‘in finem’, is usually translated as ‘(choir) conductor’, but Augustine, who derived the word ‘in finem’ from the Septuagint Greek translation εἰς τὸ τέλος, read it literally as ‘towards the end’, and not as a mere musical instruction, and we can see that he read this psalm as expressing the hope of Christians living in the hope of the resurrection at the end of time . We can see that Augustine reads this psalm as expressing the hope of Christians living in the hope of the resurrection at the end of time. Augustine then quotes Matthew 22:23-30, Jesus' response to the Sadducees who denied the resurrection, and emphasises that the resurrection of the dead is also promised to the Gentiles who believe in Christ, while encouraging the Jews who had the hope of the resurrection of the dead, and quoting Paul's words that “it was because of the hardness of some of the Israelites that the whole Gentiles reached salvation” (Romans 11-25).

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福音歳時記 1月28日 聖トマス・アクィナス司祭教会博士記念日

2025-01-28 | 福音歳時記

福音歳時記 1月28日 聖トマス・アクィナス司祭教会博士記念日

  超自然なる聖体賛歌造りたるトマス博士の信知を想ふ

日本語版の新しい聖務日課「教会の祈り」では1月28日をトマス・アクイナスの記念日とし、「読書」としてhttps://inori.catholic.jp/doc/show/3/2025/01/28
聖トマス・アクィナス司祭の『使徒信経講解』を第二朗読で読む。

 「神学大全」や「対異教徒大全」の著者としてだけでなく、トマスが司祭であって、聖書の釈義もしていたことを記念しているわけであるが、私は、トマスが、聖体賛歌 Tantum Ergo をはじめとする賛美歌の作者でもあったことを強調しておきたい。
 トマスは当時最先端の哲学であったアリストテレスの注解を通じて自然なる理性の働きを学び、擬ディオニシウスの注釈を通じて、一者から発出して一者へと帰還する新プラトン主義の形而上学を学んだが、それ以上に重んじたのは、ギリシャ思想に欠けていたキリスト教信仰の「神秘」であった。彼の明晰判明なる一切の言説は、この神秘への配慮なくしては理解されないだろう。
 トマスの聖体賛歌はグレゴリオ聖歌で歌われるのが伝統的であるが、そのほかにも、チェザレ・フランクによる「天使のパンPanis Angelicus」もよく演奏される。
 古き時代のカトリックの聖体拝領では、今日では「私たちの日ごとのパンを今日もください」 と唱えている「主の祈り」を、マタイ傳6-11のラテン語訳「panem nostrum supersubstantialem da nobis hodie (我等の超自然的な麺麭を今日も与へ賜へ」と唱えていたことに由来している。「天使のパン」とは、自然的な糧である日常的なパンではなく、聖体として拝領する超自然的なパンのことである。

Tantum Ergo Sacramentum

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福音歳時記  1月26日 吉満義彦・垣花秀武両先生を偲ぶ会

2025-01-26 | 福音歳時記

福音歳時記  1月26日 吉満義彦・垣花秀武両先生を偲ぶ会

            実存の深みより説く哲学は永遠(とわ)の詩人の命溢るる

 1月26日に、四谷のサレジオ会管区長館で、吉満義彦(1904- 1945)と垣花秀武(1920 - 2017)両先生を偲ぶ会があり、サレジオ会の阿部仲麻呂神父の司式で追悼ミサが行われた後に茶話会があり、両先生のゆかりの方々とお話しをすることが出来た。

以前上智大学の宗教哲学フォーラムで、道元と吉満義彦を取り上げたことがあった。そのとき私は、二人のそれぞれに独特な文体のもつ奇妙な類似性に驚いた記憶がある。

永平清規にみられるような修道の実践面に於いては、道元の指示は驚くほど明晰である。しかし、正法眼蔵のような主著の思想の根幹部分は、仏道修行者にとってもっとも大切な「語り得ぬこと」を今此処に顕現させるための工夫辨道が様々な言語使用を駆使して為されている。それは、現代風に言えば、記述言語ではなく、様々な「言語ゲームの使用」によって、言説出来ない実在に覚醒させることを目指している。
 吉満義彦も、キリスト教にとってもっとも大切な「信仰の神秘」を体験することを第一義としており、それに気づかせるために新トミズムから学んだ明晰な哲学的言説を使用している。それは神秘体験の後に神学大全の筆を折ったトマスから、神学大全のテキストを読み直すような試みである。

二人の思想には、勿論、時代や宗教的文化的背景の違いがあるのは当然であるが、ともに個的実存の深みから紡ぎ出される個性的な文体というところが類似しているのである。


写真は「偲ぶ会」に招待して下さった石上麟太郎氏の案内状から転載しました。

追記(1月29日)

詩人哲学者、吉満義彦とその時代」を読む

    柩撃ち生死を問ひし預言者の聲あらためて聴く敗戦日本 

「吉満義彦・垣花秀武両先生を偲ぶ会」の席で垣花理恵子さんから、『永遠の詩人哲学者 吉満義彦とその時代ー帰天五〇年に寄せて』(ドン・ボスコ社)のなかの垣花秀武の回想記「詩人哲学者、吉満義彦とその時代」のコピーを頂いた。「偲ぶ会」終了後、この回想記を読み、吉満義彦という稀有の「詩人哲学者」と彼の生き抜いた時代に思いを馳せた。
 この告別式の受付を務めていた垣花秀武は、晩年の三谷隆正の弟子の一人であり、その平和主義、倫理性に響鳴していたという。しかし、彼は、三谷の無教会主義キリスト教には飽き足らず、吉満義彦のもとでカトリックの研究を本格的に始めたばかりの頃であった。そして、三谷隆正の告別式開始直前に、吉満義彦本人が「極めて緊張した面持ちで足早に現れ、丁寧に一礼した後、私(垣花)を見出し「君も此処に来ているの」とうれしげに微笑を投げかけ、ふりかえりざま「あなたの無教会主義からカトリックへの道はどうなったの」と言って、そのまま会場の中に消え去った」という。

 「詩人哲学者、吉満義彦とその時代」の冒頭、1944年2月20日、女子学院講堂で行われた三谷隆正の告別式についての垣花秀武氏の回想はとくに興味深いものであった。日本の敗戦のほぼ半年前、この告別式の司会を務めた矢内原忠雄の式辞、南原繁の『三谷隆正君を弔す」という別辞が、ほぼ全文収録されている。


 矢内原忠雄は、三谷隆正を「静かなる真理を学ぶ者としての僧侶の役目に加うるに、初代教会の熱烈なる信仰の証明者としての使徒の役目を兼ね備えた人」として紹介したあとで、
「我が三谷君は国を真の安全と興隆に導くべき義人でありました。君の生涯はうちに熱烈なるものを湛えた静けさであります。静かのなかに力の籠もったもの、熱さの籠もった静かさでありました。・・日本の義人を日本に返せ! 生命の所有者に生命を返せ! 私はそう言って喚きたいのであります」
と、文字通り怒号し、三谷隆正の柩を揺さぶって号泣したという。いかにも矢内原の人柄を彷彿とさせる記述である。


 南原繁もまた、抑制した口調ではあったが、
「国家は実に君の如き至誠にして真理に忠実なる隠れた預言者的哲人によって真に栄え、その存立を堅固にし得るであろう。・・世界史的転換の偉大なる決算のこの歳にあたり、君はその愛する祖国の将来と人類の運命とを思うて、これが終局をその眼で親しく目撃したかったであろうし、又それを叶へしめなかったことは何としても吾等の恨事である。しかし、新しき日本と世界の曙光は既に見えつつある。君が生涯を賭けて闘った正義と道徳の勝利は確実であろうから。君の播いた真理の種子は将来の日本に必ずや成長し・・・」
と軍事国家日本の敗北崩壊を予想し、三谷隆正が生涯を賭けて闘った正義と道徳の上に立って新しい日本と世界の曙光が見えると聴衆に訴えたのであった。


 私は、南原繁が、東京大空襲の時に詠んだ短歌
「けふよりは詩編百五十 日に一編読みつつゆけば平和来なむか 」に触発されて、「詩編に聴くー聖書と典礼の研究」という連続講義を聖グレゴリオの家で今年の復活祭の後から一年かけて行う予定である。その南原繁が三谷隆正に献げた別辞はまことに心にしみるものがあった。
 また、「初代教会の熱烈なる信仰の証明者としての使徒」を三谷隆正のうちに見出す矢内原の言葉に大いに共感すると同時に、「静かなる真理を学ぶ永遠の詩人哲学者」としての吉満義彦への関心を新たにしたのである。

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福音歳時記 1月25日 日本語オペラ「細川ガラシャ夫人」初演の日

2025-01-25 | 福音歳時記

福音歳時記 1月25日 日本語オペラ「細川ガラシャ夫人」初演の日

      天上の花は散るべき時を知るガラシア夫人の殉教の歌 

  上智大学の学長でもあったヘルマン・ホイベルス神父は、イエズス会に保存されていたガラシャのキリスト教信仰を伝える貴重な書簡をはじめとする一次資料をもとに、キリスト者としてのガラシャの歴史研究に多大な貢献をしました。演劇や音楽を重視するイエズス会の教育の伝統にもとづいて、ホイベルス神父御自身も「細川ガラシャ」をヒロインとする戯曲を書かれました。この戯曲は、サレジオ会の神父、ヴィンセント・チマッティによってオペラに編曲され、1940年1月25日に東京の日比谷公会堂で上演されました。チマッティ神父によるオペラ版は、能楽の「序破急」に倣った三幕構成になっています。
  第一幕 「蓮の花」(序)第二幕 「桜の花」(破)第三幕 「天の花」(急) 
このオペラは、十五世紀の日本の能楽師、世阿弥に由来する「花の美学」をキリスト教的精神に基づき摂取したもので、「蓮の花」は「汚水に染まらない純粋な美」、「桜の花」は「散り際の潔さ」、「天上の花」は「悲劇を越えた栄光」を象徴しています。また、それは、ガラシャの辞世の歌 「散りぬべき時知りてこそ世の中は花も花なれ人も人なれ」を踏まえたものでもありました。 

この作品は、「日本語で歌われた最初のオペラ」として評価されるのが普通ですが、より適切に、そして作品の精神に即して云えば、それは日本文化の土壌に根ざした最初の「キリスト教的受難劇」と呼べるでしょう。

画像は玉造教会壁画の細川ガラシャ像(堂本印象)

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ダニエル書の「アザルヤと三人の若者の賛歌」

2025-01-24 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy

聖書と典礼の研究:ダニエル書の「アザルヤと三人の若者の歌」

聖務日課の先唱、「主よ、私の口を開いて下さい」という祈りの言葉の背景には、旧約聖書によってキリスト者に伝えられたどのような状況が想定されていたのだろうか? 祈りも我々の身勝手な欲求からするものではなく、神の先導による受動から始まり、神の賛美に終わるという教えがそこにあると思われるが、それだけであろうか?

この問いに対するひとつの答えは、聖ベネディクトに由来する荘厳朝課で歌われる「アザルヤと三人の若者の賛歌」(ダニエル書3:24-90)にある。

 この賛歌は、七〇人ギリシャ語訳やVulgataラテン語訳の旧約聖書に含まれる「ダニエル書」(3:24-90)にあり、カトリック教会と東方正教会の典礼の歴史の中では非常に尊重された賛歌である。

「アザルヤと三人の若者の賛歌」では、異教徒の残忍な王ネブカドネザルによって燃えさかる炉に投げ込まれたアザルヤが、

今や、私たちは口を開くことができません。恥と屈辱が、あなたの僕ら、あなたを礼拝する者たちに降りかかりました

と「火の中で」語る。彼は、イスラエルの民の不信を痛悔したあとで、「罪の故に異教徒の王の手にかかり、今日、全地で賤しい者となりはてた民が、<打ち砕かれた魂とへりくだる心によって>神に受け入れられること」を祈るのである。

 アザルヤの祈りに続いて、ダニエル書は、主によって奇跡的に救済されたことを感謝する「三人の若者の詠頌(Benedictiones)」を記録しているが、それは、この世界のすべての被造物に呼びかける賛歌となっている。

 Benedicite omnia opera Domini, Domino:

Laudate et superexaltate eum in saecula・・・

    主の造られたすべてのものよ、主を賛美せよ

 世々に主をほめ頌え、崇めよ・・・・

カトリック教会でも東方教会でも典礼で重視してきたこの「三人の若者の詠頌」は、ユダヤ教のマソラ本に従うプロテスタント教会の旧約聖書には欠落しているので、その内容を更に詳しく確認しておきたい。それは、詩編の最後におかれた詩編148-150の「ラウダ(宇宙賛歌)」や、後で論じるアッシジのフランシスコの「太陽の歌」の賛歌の背景にあるものを理解する上で必要だからである。

「三人の若者の詠頌」は、ありとあらゆる被造物―天、天使、天の上の水、万軍、太陽と月、天、星、雨と露、風、火と熱、寒暖、露と霜、夜と昼、光と闇、氷と寒さ、霰と雪、稲妻と雲、大地、山と丘、地にはえるすべてのもの、海と川、泉、海の巨大な生き物と水中に動くすべてのもの、空のすべての鳥、地のすべての獣と家畜、人の子ら、イスラエル、祭司たち、僕たち、義人たちの心と魂、聖なる心の謙虚なものーに呼びかけ、Benedicite (賛美せよ)とLaudate (ほめ頌えよ)の交唱のなかで祈り続けた後で、

主が私たちを陰府(よみ)から救い、死の手から救い出して下さった。また燃える炎の炉から解放し、火の只中から解放して下さった

と救済の奇跡を伝え、

Laudate et confitemini ei : quia in omnia saecula misericordia eius

(ほめ頌え、感謝せよ、主の憐れみは永遠)と感謝の言葉でこの詠頌を終えている。

 

Benedicite (Latin chant, with translation)

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詩編とグレゴリオ聖歌:(Liturgia Horarum- 時課の典礼-から)

2025-01-23 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
詩編とグレゴリオ聖歌:(Liturgia Horarum- 時課の典礼-から)
 
Dómine, lábia mea apéries.
℟. Et os meum annuntiábit laudem tuam.
Deus in adiutórium meum inténde.
℟. Dómine, ad adiuvándum me festína.
Glória Patri, et Fílio, * et Spirítui Sancto.
Sicut erat in princípio, et nunc, et semper, * et in sǽcula sæculórum. Amen.
Allelúia.
 
聖ベネディクトに由来するカトリック典礼の朝の祈りは、
Domine, labia mea aperies, et os meum annuntiabit laudem tuam
(主よ、私の唇を開いてください。そうしたなら、あなたの賛美を唱えましょう)という先唱から始まる。
これは、詩編50(新共同訳では詩編51)のダビデ王の痛悔の後に続く讃美の言葉(17節)である。
 
夕の祈りは
Deus in adiutórium meum inténde. ℟. Dómine, ad adiuvándum me festína.
(神よ、私を救いに来て下さい、主よ、急いで助けに来て下さい)という先唱から始める。
これは詩編69(新教同訳では詩編70)の「ダビデの歌」冒頭である。
 
 どのような深刻な嘆きや悩み、病めるものの苦しみが歌われていても、ヘブライの詩編は、基本的に「賛美の詩編」であるという性格を持っている。そしてキリスト教徒が詩篇を歌うときには、「ダビデの歌」のうちに含まれていた旧約の預言が主キリストによって成就したことを讃えるために、三位一体の神への頌栄が歌われる。

 

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福音歳時記  2025年1月ガザ停戦

2025-01-21 | 福音歳時記

福音歳時記  2025年1月ガザ停戦

   難民の帰還待ちたるガザの朝 瓦礫のなかに光る十字架

 ガザ地区の聖家族教会は、イスラエル軍の空爆で、教会の屋根にある貯水タンクやソーラーパネルが破壊され、自動車や小教区の建物も被害を受けた。ガザ地区のキリスト教徒のほとんどが避難したという。状況は非常に厳しいが、修道女たちは戦争による深刻な苦難の中で人々の世話を続けている。そうしたなかで、イスラエルとハマスとの間に捕虜交換、ガザ地区からのイスラエル軍の撤退などいくつかの段階をへて実施される停戦協定が漸く結ばれた。これに対してエルサレム・ラテン総大司教庁は「ガザ停戦に関するカトリック司教団の宣言」を1月16日に発表した。https://www.kirishin.com/2025/01/17/71175/

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キング牧師記念日に寄せてーそのキリスト教的世界観の由来

2025-01-20 |  宗教 Religion

キング牧師記念日に寄せてーそのキリスト教的世界観の由来

 今年の Martin Luther King Jr.記念日は、トランプの大統領就任式と同じ1月20日であった。人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を訴えたキング牧師は、1968年に狂信者によって狙撃され、39歳の若さで帰天したが、米国では彼の誕生日後の第三月曜日を、国民的な祝日としてきたのである。

キング牧師の非暴力不服従運動は、実践に於いてはガンジーから学んだとされてきたが、彼のキリスト教的世界観・人間観は具体的にはどのようなものであったのだろうか。

 私は最近、米国で、ホワイトヘッドのハーバード大学での講義録を編輯・出版しているBrian G. Henning氏によって、キング牧師がボストン大学やハーバード大学で神学と哲学を学んでいたときに、ティリッヒとホワイトヘッドから影響を受けていたという事実を知らされた。
 たとえば、キング牧師のノーベル平和賞受賞講演(1964年12月10日)の冒頭には「公民権運動は、如何に重要なものとはいえ、米国だけに限られた現象なのではなく、「世界的な発展の比較的小さな一部」として見ることの重要性を指摘する次のような発言がある。

『最初に挙げたい問題は人種的不正義です。人種的不正義という悪を排除するための闘いは、現代における主要な闘争のひとつです。米国の黒人たちの現在の盛上がりは、自由と平等を「今、ここ」で現実のものとするという深い情熱的な決意から生じたものです。ある意味では、米国における公民権運動は、米国の歴史を踏まえて理解し、米国の状況に照らして対処すべき、特別な米国の現象ですが、しかし、より重要な別の観点から見ると、今日米国で起こっていることは、世界的な発展の比較的小さな一部です。「文明の基本的な見方が変化しつつある時代に私たちは生きている。社会が構築される前提条件が分析され、厳しく問われ、そして大きく変化する歴史における大きな転換点である」と、哲学者のアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは述べています。・・・・歴史的な動きは、数世紀にわたって西欧の国家や社会がさまざまな「征服」を試みて、世界の他の地域へと進出していったものであった。植民地主義の時代は終わりを迎えています。」

 キング牧師がボストン大学に提出した博士論文「パウロ・ティリッヒとヘンリー・ネルソン・ウィーマンの思想における神の概念の比較」では、個人と宇宙との相関関係の重要性、人が社会的な活動と参加によってのみ十全な意味で「人間」となるという思想が強調されているが、キング牧師は、そこでライプニッツ、ホワイトヘッド、マルティンブーバーを、思想的な先達として引用している。

『存在することは個別化することである。しかし、人間の個別化は絶対的でも完全でもない。それは、参加との極性関係においてのみ意味を持つ。ライプニッツは、モナドの小宇宙構造について語る際に、この点を強調している。ホワイトヘッドは、活動的生起による全体の「抱握」について語るときに、この点を明確にしている。マルティン・ブーバーは、「私」の発展における「汝」の役割について述べるときに、個別化のプロセスにおける参加の役割を強調している。 これらの思想家のそれぞれが、ティリッヒが言わんとしていることを裏付けている。すなわち、個別化には参加が伴うということである。人間は、理性的な心と現実の構造を通じて宇宙に参加する。個体化が「人」と呼ばれる完全な形に達すると、参加も「交わり」と呼ばれる完全な形に達する。人は社会に参加することによってのみ「人」となる。人は個人的な出会いの交わりにおいてのみ成長することができる。参加は個人にとって不可欠である。』

神の永遠性と時間性の区別と関係性は、ティリッヒとホワイトヘッド、そしてホワイトヘッドの影響を受けたウィーマンにとって中心的な課題であるが、キング牧師の博士論文もこれに触れている。

『ウィーマンの強調点は、神の永遠性よりもむしろその時間性にある。実際、彼の神の概念は「極端な時間的有神論」と称されている。彼の神の定義、「成長」、「創造的出来事」、「プロセス」は、永遠性よりもむしろ時間的で過ぎ去るものに焦点を当てている。成長の出来事やプロセスは、持続する実体でも永続する現実でもない。それは、永遠に「なること」の状態にあるものである。ウィーマンの「プロセス」や「創造的出来事」としての神の性格づけは、実体としての存在というスコラ学的な概念を放棄したいという彼の願望によるものであることは明らかである。ホワイトヘッドと同様に、彼は動的な用語を好む。彼は、静的な「必然的存在」である絶対的な存在とは対照的に、神の活動を強調しようとしている。 そのため、ティリッヒとは異なり、ウィーマンは神を時間的な現実として確固として位置づけようとするあまり、神の永遠性をほとんど完全に無視している。私は、ウィーマンがミード、デューイ、ホワイトヘッドと共有する『動的』用語へのこの好みを歓迎する。しかし、実体的な存在というスコラ哲学の概念からの独立を宣言することによる利益があるとしても、正確性が大きく損なわれる危険性がある 。これらは、抽象的な形や理想に対する神の実在性、静的なens necessarium(必然的存在)や絶対的な存在に対する神の活動性を示すために、ウイ-マンが用いた用語である。』

 キング牧師は1955年春に博士号を取得した後に、1957年12月、米国キリスト教協議会(NCC)の年次総会における2つ目の講演「人間関係におけるキリスト教的生活」のなかで、次のように述べている。

『私は、非暴力の信奉者の中には、人格的な神の存在を信じるのが難しい人々がいることを知っています。しかし、そうした人々も、私たちがそれをホワイトヘッドの「具体性の原理」、ヘンリー・ネルソン・ウィーマンの「統合のプロセス」、パウロ・ティリッヒの「それ自身である存在」、ヒンドゥー教の「非人格的なブラフマー」、あるいは「無限の力と無限の愛を持つ人格的な存在」と呼ぶかどうかは別として、調和を求める創造的な力の存在を信じています。この宇宙には、現実の断片を調和のとれた全体へと導く創造の力が存在すると信じなければなりません。 創造の力は、巨大な悪の山々を低くし、途方もない不正の丘を崩壊させるために働いています。 これが、非暴力抵抗者が直面せざるを得ない緊張や苦悩を乗り越え続けるための信念なのです。』

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