歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

全生園祭にて

2005-11-02 | 日誌 Diary
  


11月3日まで、全生園祭が開催される。今日(2日)午前中は、コミュニティセンターのハンセン病図書館企画「極限を生きた療友達の記録」の会場係を務めた。この企画は、図書館主任の山下道輔さんの仕事の内容(製本や各地の療養所の資料収集など)を一般に紹介するとともに、困難な時代を生き抜いた療養所の人々の記録を伝えるのが目的である。友の会の会員の方が作成されたどのパネルも工夫があり、素晴らしいものであった。12時半に、橋本さんと係を交替して、昼食をとり、前田先生と合流。講演会の筆記原稿など拝見した。その後、自治会長の平沢さんとかなり長い間、立ち話。松本馨さんの思い出など、個人的な興味深い話を伺った。午後は図書館の展示室の「松本馨写真展」と田中文雄・神谷美恵子の「資料展」の展示係。こちらも盛会であった。

写真左は、コミュニティ・センター会場、恵泉女子大の荒井英子先生が女子学生達とともにこられた。写真右は、図書館展示室。何時もと違って大勢の来館者で、スリッパの数が足りなくなるほどであった。朝日新聞の記事をみて来館された方が多かったようである。
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ハンセン病図書館を存続させよう

2005-10-09 | 日誌 Diary
全生園のハンセン病図書館は、松本馨さんが自治会長を務めていたときに、設置された。その後、二十年近く経って、新しく高松宮ハンセン病資料館が設置されると、その中にも図書室が設けられたので、それと間違える人もいるが、ハンセン病図書館は園の宗教地区の一角にあるコンクリートの建物で、資料館が増築工事のために閉鎖されている今も開館中である。(11月3日まで、松本馨写真展を館内の展示室にて開催中)

藤野豊氏の「いのちの近代史」、荒井英子氏の「ハンセン病とキリスト教」、瓜谷修治氏の「柊の檻」など、このハンセン病図書館の資料を利用して書かれた研究書は多い。らい予防法阻止にむかう動きの中で書かれた研究書は、療養所の中の入所者自身の手によって書かれ、蒐集され、編集され、そして保存された膨大な文献を抜きにしてはあり得なかっただろう。ハンセン病図書館を保存することは、その意味で、予防法廃止へといたる人権のための闘いにとって記念碑的な施設を残すという意味を持っている。

これに対して、ハンセン病資料館のほうは、現在の段階では、この闘争を経験された世代の方が「語り部」として参加されている御陰で、来館者に人権のための闘いの足跡を伝えることが出来るが、次の世代になって、この施設が厚生労働省とか、あるいはその外郭団体の管理下に置かれた場合、はたして、入所者の歴史をありしままに後世に伝えることが出来るかどうか、不安がある。

「高松宮記念」ハンセン病資料館の展示を見れば判るように、それは、かつての藤楓協会の影響が残っており、皇室関係の展示が最初に来る。そして、強制隔離の推進者光田健輔と、強制隔離に反対して闘った小笠原登の展示が同じ部屋にある。つまり、戦前・戦後の「救癩政策」への批判的な視点によって貫徹されているとは言い難い所がある。私は、資料館の図書室に、現在のハンセン病図書館が吸収合併されることには反対である。

資料館の増設には厖大な国費が投ぜられる。そのことは一見すると良いことのようであるが、反面、管理が、国家の指導体制に置かれるということを見る必要がある。国に全てを委せるのは危険であるーなぜなら国家が過つとき、それを正すことは容易ではないから。これこそ、らい予防法の廃止と、国賠法訴訟の歴史が我々に与える教訓ではないだろうか。
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小笠原登と圓周寺

2005-10-04 | 日誌 Diary
9月30日朝、名古屋での懇話会の帰りに、小笠原登にゆかりの寺である円周寺に立ち寄りました。名古屋より30分ほど電車に乗って甚目寺で下車。これは観音様で有名なお寺の門前町が、そのまま駅名になっています。電車を降りて、車の往来のない古びた参道を暫く歩きましたが、途中に花屋さんがあったので、秋の草花を一式買いました。こういうことは、まったく予定していませんでしたが、小笠原登のお墓に献花したいという気持ちが突然に起きたのには自分でも驚いた。

甚目寺は真言宗の大きなお寺ですが、円周寺は浄土真宗で、目立たぬ場所にありました。幸い、ご住職(小笠原登さんの甥)の奥様がいらしたので、小笠原登の墓を教えて貰いました。実は、墓と云っても、小笠原家の墓碑があるわけではなく、多くの無縁の人と同じ場所に埋葬されることを望んだ故人の遺志で、お寺の墓地の一角のお地蔵様の側が、いうならば合同の墓所。そこに、小笠原医師のことを思いながら、献花しました。

私は、大谷藤郎先生が語られたエピソードを思い出しました。それは、ある患者が、「先生、なんで私だけがこんな業病を背負わなければならんのでしょうか」と訊ねたのに対して、小笠原さんは、「今は、あなたは患者で、私は医者だけれども、死ねば皆同じ所に行くのです」と云われたとか。浄土真宗で云う「倶会一処」と言う言葉の意味がすこしだけ分かったような気がしました。

       飄々として病なし草の花
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松本馨追悼講演会

2005-09-13 | 日誌 Diary
松本馨の信仰と闘い
ー世俗の中の福音ー


追悼講演会(入場無料)


日時: 平成17年10月1日(土) 13:30-16:00 開場 13:00

場所:国立療養所多磨全生園 コミュニティ・センター



講演会のパンフレット(PDF) 松本馨さんのメッセージ
今年の5月23日に逝去された松本馨さんは、「世俗の中の福音」を信じる無教会主義キリスト教の信徒として伝道活動をされる傍ら、多磨全生園入所者自治会を再建し、1974年から1987年まで自治会長としてらい予防法に抗して人権のための闘いを続けられました。当時の厚生省医務局長であり、後にらい予防法の廃止に向けてご尽力された大谷藤郎先生、故人の古くからの友人である野上寛次先生をお招きして、ここに追悼講演会を開催致します。


講演1:松本馨の闘いーらい予防法に抗して

講師:大谷藤郎(高松宮記念ハンセン病資料館館長)

講演2:松本馨の信仰ー信仰と受難

講師:野上寛次(多磨誌元編集長)

司会:森田外雄


講演はそれぞれ30-40分位 休憩を挟んで1時間程のセッションを予定しています
主催:ハンセン病図書館友の会
協力:国立療養所多磨全生園入所者自治会
会場までの地図など、詳しくは、講演会の案内HPをご覧下さい
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東西宗教交流学会のことなど

2005-07-22 | 日誌 Diary
7月19日から21日まで京都のパレスサイドホテルで東西宗教交流学会に出席。
テーマは「絶対者の人格性と非人格性をめぐって」

        発表者    応答者
7月19日 花岡栄子   森哲郎     
        八木誠一   カール・ベッカー
7月20日 竹村牧男   河波晶
        田中裕    延原時行
7月21日   総括    

7月18日に風邪をこじらせ、喘息の発作がでてしまい、体調は最悪であったが、自宅療養してもホテルで寝ていても同じことと思い、欠席せずに京都に直行。発表者は私を入れて4名。一人当たり2時間が割り当てられ、セッションの間はホテルの自室で休養できるので実にゆったりとした時程であった。通常の学会であったならば、出席できるような状況ではなかったかもしれないが、この学会のゆとりをもった時程のおかげで、開催中に体調も回復し、無事に7月20日の発表を済ますことができた。

東西宗教交流学会終了後、23日から石川県かほく市の西田幾多郎記念館で開催される「西田哲学会」の第三回全国大会も、当初は出席できそうにも思えなかった。しかし、ここでも東京に帰るのも、金沢のホテルで静養しながら学会に出ても同じ事と思い直し、北陸線にて京都から金沢へ。現在、当地のホテルにてこの記事を書いている。

東西宗教交流学会は来年で25周年になるとのこと。今は転換期であるのかもしれない。総会では今後のことが主として話し合われた。私が、この学会にはじめて出たのは、西谷啓治、玉城康四郎、両先生が発表されたときであった。秋月龍老師も参加され、両大家を前に、ウイットに飛んだ、しかしかなり辛口のコメントをしていたのを記憶している。つい先日のような気もするが、考えてみればそれはもう20年も前のことであった。今は、両先生も秋月老師も鬼籍に入られた。

私の発表に対しては、発表時にレスポんデントの延原時行氏と討論できたこと、また、最終日での総括でも、さまざまな方々からコメントを頂いたので、再び、場所的神学の可能性や、人格と普遍との関係を機会を与えられた。

学会を終えて再確認したことのひとつは「人格」という概念自体がキリスト教に由来するものであるがゆえに、日本では、その言葉自体が何を意味するか、それがいかなる世界観に由来するかが理解されておらず、「人格の尊厳」「人格への配慮」ということが教育や政治の場面でいわれても、単なるヒューマニズムに基づく「建前」としてしか理解されておらず、この概念がわれわれの実践に十分に生かされていないということであった。

一個の人格は、歴史的世界(自然と社会)の全体を、その都度含む、それを超越する存在であるということ、それゆえに一個の人格は、自然の全体や社会の全体が、そのためにあるところのものであり、かけがえのない貴重な存在であるという世界観ーそれは人格を抽象的に考えるということではなく、もっとも具体的に考えることの結果なのであるが-こそが、キリスト教が人類に与えたもっとも貴重な思想的遺産である。しかしう、それと同時に、西欧社会で発達した人格概念は、まだ完全なものとは思えない点がいくつかある。そのひとつは、人格が閉ざされた個的実体として、また理性的実体として捉えられたことにあろう。実体とは、存在するために他を必要としないものであり、本質的に自我中心的な存在、私的利害と他者の抑圧と支配を志向する存在である。

今回の大会、またそれに先行したIHARの国際学会のテーマである「絶対者における人格性と非人格性」は八木誠一氏によるものであった。八木氏は「人格主義」の思想を、西欧において発達したキリスト教的文明のもつ排他性、独善性、権力性と結びつけ、これにたいして仏教のもつ「非人格的」な「絶対者」にもとづく東洋社会の寛容性、他者受容性、平和性を対比させ、場所論によって、キリスト教の中にもあった非人格的な絶対者を再発見すべきだと考えたのであろう。

人格性に対する私の考えは八木氏とは異なっていることを確認した。八木氏は、場所論にもとづく聖書神学は「非人格的」であると考えておられるようであったが、氏があげておられた実例は、すべて、「私と汝」「父と子」などの人格的な応答の中で語られたものである。したがって、場所論的思想と人格主義的思想を対比させて、キリスト教の欠陥を「人格主義的思想」に見出すのは間違いであると私には思われたのである。

一個の人格の尊厳よりも、全体を優先する社会、個が全体に埋没するがゆえに、責任の主体が曖昧化されやすい社会、私から見れば頽落した「場の調和を第一義とする」社会である(残念ながら日本社会にはこの傾向がある)。こういう社会は、他者に対して決して寛容とはいえず、異質な思考をするものを排除すると言う意味で、独自の「排他的構造」をもつということはいうまでもなかろう。しかし、この明白な事実は、八木氏のように、人格主義を排他性に、場所性を寛容性にパラレルに考えることの危険性を示すものではないだろうか。求められるものは、場所性と人格性の対比ではなく、その統合である。

一神教的な文明の中で生まれた人格性の概念から、暴力と非寛容を生み出したものは、聖書の中の人格概念に由来するものではない。そうではなくて、人格を自我中心的にかつ実体論的に捕らえる考え方であろう。それは起源において古代の専制政治に由来するものであり、「存在するために他を必要としない絶対者」の観念へと、人々の思想を導く原動力であった。

八木氏が「キリストにおいてある」とか「父が私のうちに、私が父のうちにある」というような場所的表現が聖書の中に多用される実例に注目されたことは大切である。キリストを場所として捕らえることの重要性は、私も自分の発表で指摘した。しかし、私の場合は、それらは徹頭徹尾、人格的なる物の中で、場所的に語られるのである。

すなわち、聖書的な人格の概念は、近代の資本主義社会において成立した人格概念、とりわけキリスト教的な背景を捨象して移植された人格概念から区別されねばならない。自我の私的利害と所有(財産)を第一と考え、ここに人間の権利を求める思想は、近代的なヒューマニズムに基づく限りは欺瞞的であり、決して「人類普遍の原理」などではない。我々は、近代国家において単なる建前と化してしまた「人格」の概念を、いまいちど、聖書に根ざす人格概念によって再考する必要があろう。場所の論理は、私にとっては、まさにそういう文脈においてこそ意味があるのである。
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天龍寺にて

2005-05-16 | 日誌 Diary
5月8日、京都での研究会の後で、天龍寺の法堂の雲龍図を見る。加山又三の描いた「八方睨み」の雲龍とのこと。どこからみてもこの雲龍が自分を見つめているように見える。クザーヌスの de visione dei のなかで言及されている「神のイコン」の画像を思い出した。幸い好天に恵まれ、皐月に全山が燃えるような天龍寺の庭園を見た後、渡月橋を渡り嵐山を散策してから帰京。

  天龍の寺に紅吐く皐月かな


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青梅に寄せて

2005-04-24 | 日誌 Diary
昨夜はカント・アーベントで帰宅は深夜となったが、日曜日は好天気に誘われるように早朝に起床。いささか頭が重かったが、木々の緑と満開の躑躅を脇に見ながら、全生園へ。自転車を漕いでいるうちに次第に爽やかな気分になった。

    この頃の朝の目覚めや梅實る


      
           (photo by ガラクタ箱さん)
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カント・アーベント

2005-04-23 | 日誌 Diary
土曜日午後一時より本郷の東大山上会館・大会議室でのカントアーベントに出席。プログラムは
第一部「研究発表」が
  1. 懐疑論と運命論 -カルネアデスの議論を中心に  近藤智彦
  2. ドゥルーズ哲学に於ける「アフェクト」概念の内実と意義について  原一樹
  3. 「規範性」の解釈学的構造について-「了解」概念を手掛かりに  飯島裕治
第二部「講演」が
     ハーヤー(ヘブライ的存在論)と物語  宮本久雄

であった。宮本さんのhayathologyを研究テーマとする講演の聞くのが本来の目的であったが、午後一時からの三つの研究発表も聞いた。こちらは、いずれも博士課程を終えて間もない若手の研究者であったが、そのなかではカルネアデスにかんする発表を興味深く聞いた。

カルネアデスについてはキケロによる間接的な報告しかないのであるが、プラトンのアカデメイアの後継者達が、外部の人間から「懐疑主義」者と呼ばれたのはなぜであろうか。そういう疑問を私はかねてからもっていたが、司会の神崎さんも同じ趣旨の質問をされた。もしアカデメイアの懐疑主義者達が學祖の衣鉢を継いでいるのであれば、彼等の「懐疑主義」は、セクストス等の感覚的現象論のごとき、心の平静を保つための「判断留保」に終始する消極的なものではなく、独断論を否定の弁証法によって解体していく「高貴なる懐疑主義」であったのではないか-そういうことを垣間見るような議論が、カルネアデスによるストア派の論駁にある。

ドゥルーズ哲学にかんする発表は、そのアフェクトの概念がホワイトヘッドのいうFeelingの概念にあまりにも類似しているのに驚いた。ホワイトヘッドは、FeelingがFeelerを目指すといったが、自我や主体をアプリオリに前提しないドゥルーズの哲学的立場においても同様のことが言えるだろう。対象の生成と主体の生成が同時的であること、「私は馬を見る」というとき、それは「私」という「もの」と「馬」という「もの」の間に成り立つ二項関係なのではなく、私という場に於いて「馬」が生成し、同時に、馬を見るものとしての「私」自身が生成するということー言うなれば主客二元の成立以前の純粋経験から、ものとしての主客の二元的成立をいかに記述するかが問題なのである。

「規範性」の解釈学にかんする発表は後期ヴィトゲンシュタインの規則に関する懐疑論をテイラーの所説を手掛かりにしつつ解釈学的に論じたものである。このような論点は既にアリストテレスやトマスによって習慣の概念によって考察されたものであるが、それを現代哲学の言葉であらためて論じ直したという印象を持った。ただし、ヴィトゲンシュタインは、「我々は規則に盲目的に従う」などと云っているが、これは「盲目的」という言葉の誤用である。規則はいつでも必要とあれば我々は分節化できるのであり、そのかぎりで「暗黙の了解」は決して盲目的ではないのだから。

講演終了後、ハヤトロギアの可能性について宮本さんとしばし歓談。ヘブライの存在論としてだけではなく、たとえば日本の美学や文学にも適用可能なものとして考えていくという点で、意見が一致した。私は、hayathologyを、道元の正法眼蔵の用語をつかい「現成論」と訳すつもりである。生成消滅の意味での「生成論」から区別したいからである。
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尹東柱の詩を読む

2005-03-10 | 日誌 Diary
                          序詩
  死ぬ日まで空を仰ぎ
  一点の恥辱なきことを、
  葉あいにそよぐ風にも
  わたしは心痛んだ。
  星をうたう心で
  生きとし生けるものをいとおしまねば
  そしてわたしに与えられた道を
  歩みゆかねば。

  今宵も星が風に吹き晒らされる。(伊吹郷訳)


   死ぬ日まで空を仰ぎ
   一点の恥辱なきことを、

二行目の読点「、」は、ハングルのテキストにはっきりと表記されているから、重要な意味があると思う。
    
    一点の恥辱なきことを(誓う・願う・祈る)

というように動詞が省略された祈願文、宣誓文のようであるが、それだけではなく、作者には、そのような理想を宣言するだけでは尽くされない思いがあって、それが、読点「、」に込められている。

    死ぬ日まで空を仰ぎ
    一点の恥辱なきことを、
    葉あいにそよぐ風にも
    私は心痛んだ。

のように、「私は心痛んだ」まで続く思いがある。つまり

    死ぬ日まで空を仰ぎ
    一点の恥辱なきことを(誓う私ではあるが、そうではあっても)
    葉あいにそよぐ風にも
    私は心痛んだ。

「空」は「天」とも訳されているが、超越的なるものの象徴である。韓国語のHaneulは「神」の意にも用いるというし、中国では、キリスト教は「天主教」と訳されていた。「天にたいして恥じるところがない生涯」とか「天が知る、地が知る、我が知る、秘密に悪を行うことは出来ない」というような言葉は、東洋の古くからの格言である。これに対して、「風」は、相対的な関係性のなかに生きる現実の困難さを象徴しているようだ。

この詩を、作者はいつ書いたのだろうか。

茨のり子さんの解説によると、日本に留学する前の作らしい。しかし、この詩は、彼のその後の運命を予言しているような響きを感じる。彼自身の中に自分の将来歩むべき道への予感の様なものがあったのではないか。

私は韓国語のことは良く分からないが、伊吹郷さんが「生きとし生けるもの」と訳した行は、直訳すれば「死に行くものすべてを」という意味だという。ここは両義的なのだ。生きることと、死すべき定めにあることは同じ事なのだから。そして、それだけではなく、もうひとつ「死ぬことのできるもの」あるいは、「いつでも、死を選らぶことのできるもの」という意味もあると思う。そうであるがゆえに、死の定めにある人間には、「生きとし生けるものすべて」を、掛け替えのない「いのち」として「いとおしまねば」という思いが生まれてくるのではないか。

「私に与えられた道を歩みゆかねば」というとき、その道がどんなものであるのか、神ならぬ我々には分からない。しかし、作者が、その道を、自己の死への予感と共に、すべての生あるものをいつくしみながら、また自己の弱さを見つめながら、「義の道を歩み行かねばならない」といっていることに間違いはないと思う。

(ハングルテキストの写真はてじょんHPからの転写です)
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共生と創造 2

2005-03-06 | 日誌 Diary
「共生と創造」の展示から、枯蓮の写真と、それによせて詠まれた短歌を紹介します。下の写真をご覧下さい。







一茎の蓮の中に込められた履歴の重さを感じました。この蓮の表情の中に人格的なるものを直観します。蓮は生物学的には人ではありませんから、それを人格的存在と呼ぶのはおかしいと思われるかも知れませんが、一個の人格である我が汝と呼びかけうるものは、すべて人格的なるものであると思います。この蓮は、そういうものとして沈黙の中に祈りつつ、無言の言葉を語ります。

      蓮の實の蓮物語耳澄ます
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共生と創造

2005-03-05 | 日誌 Diary
御殿場で開催されたイベント「共生と創造」展を見てきました。このイベント、「国立駿河療養所・入所者自治会」主催ですが、「ハンセン病をもっと知って下さい」という啓蒙活動の一環ですが、作品展の中で、「共生と創造」をテーマにした次の展示がとくに印象的でした。


右側の写真の枯れ蓮が活けてある花器の奥のパネルに書かれた詩を拡大したものが左側の写真です。

「共に生きる」ということ、これは人と人だけでなく、人と生きとし生けるものすべてにも及びます。一茎の枯蓮にも、悠久の時の流れの中で生かされてきた履歴があります。それは、私達に沈黙の声で語っています。その声に耳を澄ませ、応答するときに、人は過去と未来のすべての存在と「共に生きている」というメッセージを受け取る-この展示からそんなことを感じました。
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菅野淳さんのことなど

2005-03-01 | 日誌 Diary

     白梅の御堂や風は何処から

   photo by ガラクタ箱さん 

昨年の9月4日に全生園の愛徳会聖堂で東條耿一詩集の朗読会を開催してからもう半年近く経過した。その後、晩年の東條の晩年の手記を戦前の雑誌「聲」で発見したこと、また昭和9年代の詩誌に投稿した東條の詩群が幾つか見出されたので、村井澄枝さんとともに彼の作品集をあらためて編纂中。遺漏のない様に校正の作業を充分にしたあとで、今年の9月までには何とか編集を終えたいと思っています。

日曜日の愛徳会のミサのあとで、おもいもかけず東條耿一の妹の渡辺立子さんとご縁のあった菅野淳さんの消息を伺いました。渡辺立子さんのエッセイにはF神父とあるので気が付きませんでしたが、菅野さんは典礼聖歌の作詞者の一人です。菅野淳とはペンネームですし、しかも典礼聖歌の楽譜には作詞者KJと書かれているだけなので、私はその名前を全く存じ上げませんでした。

現在全生園の資料館に展示されている北條民雄日記(昭和12年度)は、菅野さんから寄贈されたものです。これは、もともと自筆本が検閲によって没収されることを危惧した東條耿一が保管していたものでした。東條の数少ない遺品でしたが、それが渡辺立子さんを通じて菅野さんのもとに送られていたという事情があります。東條耿一詩集朗読会の時にもお話し頂いた新井さんが、その自筆本に基づいて復刻本を出されたのが昨年のことでした。

菅野さんの書かれた文章は、東條耿一の義弟の渡辺清二郎さんの遺稿集でも読ませて頂きましたが、戦後間もない頃の全生園のこと、信仰と人権の狭間で苦しまれた司祭のこころの偲ばれるものでした。そのご菅野さん御自身は還俗されましたが、菅野さんの作詞された「風はどこから」(作曲高田三郎(MIDI)や「ごらんよ空の鳥」は、いまも教会でよく歌われています。

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春の雪

2005-02-25 | 日誌 Diary
    いのちあれ我が足下の春の雪

   (photo by ガラクタ箱さん  今朝の東京は、珍しく雪。昨日はそんな気配もなかったので驚かされた。直ぐに消える儚さとともに、新しいいのちの鼓動が大地より伝わる。三島由起夫の小説では、226事件の事が念頭にあるのか、行動すべき時期を逸した心情と重なる-このように、「春の雪」には様々な想いが込められているようだ。
 昨日、駿河療養所のあるかたから「共生と創造」というイベントの案内状を戴いたので、幾つかの掲示板に転載させて頂いた。
 「共生と創造」この二つの言葉は、私自身がもっとも惹かれる言葉だ。人によっては、なんでいまさら「ハンセン病を知ってください」なのか、と思うかも知れない。あまりにも時期が遅すぎる。遅くとも昭和30年代に、すでにこのような運動が療養所の内部からの声に呼応して、起こるべきであったのだ。寧ろ、「私はハンセン病について、もっとはやく知るべきであった」と思う。それと同時に、自分なりに一個人の視点から、昭和10年代、20年代に療養所で書かれた文藝作品、療養所で書き続けられた様々な記録を蒐集・編集し、それから学びたいと思う。
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来見縫衣子さんの詩画集「ほぅら、ね♪」から

2005-02-25 | 日誌 Diary
句会桃李の「樂子」さんこと来見縫衣子さんの詩画集「ほぅら、ね♪」(文芸社、2005年1月刊行)から、「自画像」という詩を紹介したい。

      自画像

  三人で同じ日 同じ場所で
  同じシクラメンを描いたのに
  こんなに違ってしまいました

  花も葉も
  踊っているような
  夫のシクラメン

  ありのまま
  見たまんまの
  息子のシクラメン

  テーブルや
  椅子まで描いて
  ちょっぴり気取った
  私のシクラメン

  自画像のような
  シクラメンを描きあげたのは
  息子がもうすぐ中学生になる
  三月の桃の咲く頃でした

===================

来見縫衣子(くるみぬいこ)さんのこの詩、ご主人と息子さんとそして御自身の描いた三つのシクラメンの繪が添えられている。 私は、来見さんにも、ご主人にもご子息にもお目にかかったことはない。句会桃李で、何度か俳句を投稿されたことがご縁となって、この詩画集をご恵送頂いたのであるが、この詩画集を通読して、なぜか作者の世界がまざまざと見えてきた。一度もお会いしていない作者とご家族の姿が生き生きと実感できるのだ。たとえば、この「自画像」というタイトルを有つ作品では、同じシクラメンの花の繪が、三者三様に描かれている。花を見るまなざし、それを描くという表現の中に、それぞれの人の個性が素描されると同時に、一つの調和ある世界を現出している。この絵画と言葉の醸し出すハーモニーが私を惹き付ける。

 画廊桃李や武蔵野の画帳を制作しているときに感じる物と同質のハーモニーが実感できる。詩画集、俳画集の目指すところもそこにあるのだろう。

 来見さんは、若いときから詩を書かれていたが、平成5年から岡本眸主宰の俳句結社「朝」にも入られたとのこと、「それからは明けても暮れても俳句の本を読み、俳句を作り」「日本の四季の美しさにを瞠り、知る喜び。作る楽しみを覚えました」と書かれている。岡本眸主宰の寄せられた前書きに依れば、「闘病生活のなかをほんとうによく頑張って佳句を発表し続け」、平成13年には「朝」の新人賞を受賞されたとのこと。今回のこの詩画集には俳句は含まれていないが、次は句集も出されるご予定とか。今後のご活躍を祈ります。

   (来見さんのシクラメンの詩に唱和して)

      聖家族くれなゐの花舞ひ立ちて     

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WEB出版目録

2005-02-24 | 日誌 Diary
1996年12月に桃李歌壇を開設してから満8年が経過しました。詩・和歌・連歌・俳諧のHPとして始めましたが、現在では、毎月俳句の句会もおこなっっています。句会桃李の登録会員は2005年1月現在で126名です。数多くの作品が寄せられましたので、それを編集してPDFファイルに纏めました。

連歌作品集

和歌連作作品集

句会桃李披講の部屋

桃李俳句集(PDF)

2004年度6月より、村井澄枝さんと共に「東條耿一作品集」のWEB出版を開始しました。

東條耿一詩集(第一版)(PDF)

種まく人達:東條耿一の手記(1941)(PDF)

東條耿一詩集朗読会の記録(2004年9月)(PDF)


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