福音歳時記 主の公現の祝日に寄せてーすべての兄弟姉妹たちへ
ムスリムに主の平和説くフランシス 今甦る十字架の愛
キリスト教信仰の核心には、人種、国境、文化、風習、そして宗教の違いを超える普遍性があること、異邦人や寄留の民にこそ向けられたものであることを強調した教皇フランシスコの2020年の回覧書簡「すべての兄弟姉妹たちへ」は、イスラム・スンニ派のイマーム(指導者)、アフマド・アル・タイーブ師との対話を機縁として生まれたものであった。前年の2019年は、十字軍の時代にイスラム世界との対話を望んだアッシジの聖フランシスコが、スルターン・マリク・アル=カーミルをエジプトに訪問してから丁度800年目に当たる年であった。教皇フランシスコは次のように言っている。
(アッシジの)フランシスコの人生には、出自、国籍、肌の色、宗教の違いを乗り越えることのできる、隔てのない心を示す出来事があります。それは、エジプトでのスルターン・マリク・アル=カーミル訪問です。彼の貧しさ、わずかな手持ち、隔たり、そして言語、文化、宗教の違いゆえに、訪問には多大な労力を要しました。あの十字軍の時代に、この旅は、すべての人を抱きしめたいと切望し、彼が生きたいと願ったその愛の壮大さを、いっそうはっきり示したのです。主に対する彼の忠実さは、兄弟姉妹への愛と比例していました。困難と危険から目をそらさずに、聖フランシスコは、弟子たちに要求したのと同じ態度でスルターンに会いに行きました。つまりそれは、「回教徒や非キリスト教徒の間」に行く際の、自らのアイデンティティは否定せずに、「口論や争いをせず、神のためにすべての人に従う態度です。..........このようにして彼は、兄弟姉妹的な社会という夢を呼び覚ます、創意あふれる父となったのです。「自身の動きに他なる存在が加わるのを受け入れる人だけが、しかも他者を自分のもとにとどめるためではなく、その人がよりいっそう自己を実現するのを助けるためにそうする人だけが、真の父となる」からです。(教皇フランシスコ回覧書簡「すべての兄弟姉妹たちへ」から)
今日の日本でも、ミサ聖体拝領の前に「主よ、わたしは、あなたをお迎えするにふさわしいものではありません。おことばをいただくだけで救われます」という言葉が、会衆によって唱えられるようになった。これは、マタイ傳8:8に登場する百人隊長の言葉である。ローマの異邦人の兵士の信仰がキリスト者の共同体に受容されていたことを示すものであり、この言葉が、聖体拝領前の信仰告白として、これまで日本のミサで使われてきた使徒ペテロの言葉(ヨナネ傳6:68)と並んで唱えられるようになったことは意議深い。異邦人や寄留の民を大切にすることは、すでにイエスの生きていた時代から始まっていたのであるから。