歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

宗教経験に於ける「沈黙」と「語り」―西田幾多郎の宗教哲学を手引きとしてー

2012-10-30 |  宗教 Religion

西田幾多郎は、『働くものから見るものへ』の序文において次の如く云う。 

 形相を有となし形成を善となす泰西文化の絢爛たる発展には尚ぶべきもの、学ぶべきものの許多なるは云ふまでもないが、幾千年来我等の祖先を育み来った東洋文化の根柢には、形なきものの形を見、聲なきものの聲を聞くと云った様なものが潜んで居るのではなかろうか。我々の心は此のごときものを求めて已まない。私はかゝる要求に哲学的根拠を与へて見たいと思ふのである。[i]

この文章は、「東洋的に形而上的なるもの」[ii] をヨーロッパの「キリスト教的形而上学」、とくに高次の意味での「有」として「神」を捉える「有-神論(Onto-Theologie)」と対比させるときにしばしば参照される。その場合、仏教は、根源的な「無神論」(久松真一)として、あるいは宗教以後のニヒリズムをみずから克服する「絶対無」として有-神論を越える高次の「空の立場」(西谷啓治)として語られる。しかしながら、これにたいして、私は以下のことを主張したい。

「形なきものの形を見、聲なきものの聲を聞く」ことは、大乗仏教とそれに影響された日本的霊性の基本的な特徴であるというにとどまらず、「泰西文化」の源流にあるユダヤ教の聖書的伝統、原始キリスト教の信仰のうちにおいても重要な契機として内在しているものである。[iii] したがって、このような聖書的伝統、ないしキリスト教信仰に配慮しつつ、東洋/西洋の二元的図式を越えた普遍性を持つ宗教哲学的思惟を展開することは可能であり、また必要である。

西田幾多郎の宗教哲学は、単に西洋思想にたいして東洋思想を哲学的に基礎づけるものであったのではなく、東西の対立を越えた普遍性をもつ宗教哲学の先蹤であった。そのような究極の普遍性を志向する思索は、当然ながら一度に形成されたわけではなく、キリスト教思想との対話を重要な契機として自己形成されたものである。

『善の研究』に代表される初期の西田は、一切の思慮分別を越えた「純粋経験」に立脚し、主観と客観の二元論、感性と悟性の二元論、事実と意味の二元論など一切の二元的立場を超出ることを志向していた。したがって、それは「純粋経験」を唯一の実在とする一元論(『善の研究』)、ないしは「絶対自由意志」(『自覚に於ける直観と反省』)を究極の立場とする神秘主義的一元論ないし発出説(純粋経験の自発自展)として特徴付けられることができよう。

しかしながら、中期以降の西田の宗教哲学はそのような神秘主義の立場をも越えていくような哲学的なロゴスの探求として解釈することができる。「不二」の宗教的立場は、決して実体的な一元論ではなく、それは同時に「不一」の立場でもある。「絶対矛盾的自己同一」の論理とは、鈴木大拙の云う「即非」の大乗仏教思想に示唆されたものであったが、西田の場合は、単に禅宗や浄土真宗の伝統だけが念頭におかれたのではない。それは、東洋や日本というローカルな種的存在を越える普遍性、究極の普遍的・超越論的なる述語の場にほかならぬ「絶対無」の場に立つものであった。西田の云う「場所的論理」とは、最も普遍的なる場所において、最も個別的かつ実存的である個人を主題とするものであった。それは東西の宗教的伝統の差異を超えて適用され、とくに聖書やキリスト教的プラトニズムの伝統の中において形成された宗教経験にも適用され得る普遍的なロゴスを志向したものであった。

西田六二歳の時の著作、『無の自覺的限定』の宗教論は、まさにキリスト教論であると言ってもよい。滝沢克己はこの著作を読み、後に西田のすすめによりカールバルトの神学を聴講したときに、非キリスト者である西田がバルトと同じ問題を論じていることに驚き、後年、「西田哲学はこのときに生まれ、この国の言葉をもって語られたる真(まこと)の神の証言(あかし)としての悔改(メタノイア)の哲学である」[iv]と書くことになったが、それはある意味で西田がキリスト教的な経験の事実にそれだけ肉薄したことを意味している。

 西田はまず「哲学史上自覚の深き意義に徹底し万物をその立場から見た人」としてアウグスチヌスの言葉を引用し、その「三位一体論」を神学的人間学として評価し、「我々が外物を離れて深い内省的事実のなかに自己自身の実在性を求めるとき、自ずから神に至らざるを得ない」と書く。[v] ここで注意すべきは、「自覚」を我々に促す神の働きを「創造」という言葉で西田が表現するようになることがあげられる。これ以降、創造という働きが、単に「自己が自己に於いて自己を映す」という写像作用の代わりに用いられると共に、自己の内に完結する自己内写像の作用を突破する「絶対の他」という用語が「無の自覺的限定」のなかに登場するようになる。

「無の自覺的限定」では、他者論とアガペー論、そして原罪論というキリスト教的テーマが集中的に取りあげられる。まず、「肉親」への愛、「我国人」への愛を越える愛が、エロースならぬアガペーとして位置づけられ、絶対に分離せるものの結合としてキリスト教的愛が考察される。[vi] 

次に自己知よりも「汝」の呼びかけ、「物のよびかけ」が先行することが指摘され、「過ぎ去った汝として過去を見ることから歴史が始まる」という歴史認識が示される。「自己自身の底に蔵する絶対の他と考へられるものが絶対の汝という意義を有するが故に、我々は自己の底に無限の責任を感じ、自己の存在そのものが罪悪と考へられねばならぬ」という立場からキリスト教的な「原罪」の意味するものが語られる。すなわち「自己自身の底に絶対の他を見るということの逆に絶対の他に於いて自己を見る」という意味に於いてのみ、真に自己自身の底に原罪を蔵し、自己の存在そのものを罪とする人格的自己」が考えられること、そこに西田はキリスト教の云うアガペーの意味を見出している。[vii]

西田にとって宗教の問題は、ある意味で彼の哲学的思惟のアルファであると同時にオメガでもある。しかし、その思惟は、アルファの以前、およびオメガの以後を限りなく追求するということを付記せねばならない。西田は、哲学的思惟の可能根拠を求めて、思惟の原理以前の経験、原理(アルケー)をさらに遡る無底の経験、ないし経験の無底へと下降する。この下降的な超越ないしケノシス的な超越こそが、西田の宗教哲学に於ける超越論的経験の基本的な特徴である。「有を存在せしめる根拠」を再び存在者として定立することはできない。したがって、(卓越した意味での)存在者、もっとも完全なる存在者を目指す「上昇的超越」、すなわち神的なエロースにもとづくプラトン的な超越は、下降的超越の経験無くしては成立しない。上昇的超越は、対象化しえぬものを対象化する「ノエマ的超越」に立脚する限りは、経験の裏付けを持たぬカント以前の形而上学的思惟として斥けられる。西田のいう場所的論理においては「ノエーシス的超越」という語が使用されたが、それは知的直観としてのノエーシスの立場をもって哲学的思惟の終結と見なす立場そのものの超越、すなわち「メタ・ノエーシス」の立場をも含意している。田辺の『懺悔道としての哲学』の立場は、ある意味に於いて西田のうちに既に存在していたものである。

最晩年の西田哲学のキリスト教論は、それ以前の西田哲学の行為論の要をなしていた「行為的直観」をも越えるものであった。そこでは、「神の言葉」が、聞くべくして見るべからざるものとして、主題化される。[viii]

「場所的論理と宗教的世界観」を執筆中に鈴木大拙に宛てた書簡に依れば、西田は第二次世界大戦に於ける日本の敗北と予感しつつ、その終末論的な意識のもとで、旧約の預言書を読み、おそらくはじめて旧約聖書に内在する預言者の精神に触れたと思われる。西田は大拙に向かって、バビロン捕囚時代のユダヤ民族の精神に学ぶべきことを指摘し、「民族の自信を唯武力と結合する民族は武力と共に亡びる」と述べる。それと同時に、鈴木大拙の言う『即非』の論理に共感し、その立場から、「人というもの即ち人格」というものを出し、それを現実の歴史的世界に結合することを自分の課題としていると述べる。[ix]

 西田の遺作とも云うべき『場所的論理と宗教的世界観』には、キルケゴールの『怖れとおののき』でとりあげられたアブラハムのイサク獻供の物語に対する西田の『即非的弁証法』による独特の釈義が含まれる。アブラハムのイサク献供について西田は次のように言う。

極めて背理の様ではあるが、眞に絶対的なる神は一面に悪魔的でなければならない。斯くして、それが眞に全知全能と云ふことができる。エホバはアブラハムに、その一人子イサクの犠牲を求めた神である(Kierkegaard, Furcht und Zittern)。人格そのものの否定を求めた神である。單に超越的に最高善的な神は、抽象的な神たるに過ぎない。絶対の神は自己自身の中に絶対の否定を含む神でなければならない、極悪にまで下りうる神でなければならない。悪逆無道を救ふ神にして、眞に絶対の神であるのである。最高の形相は、最低の質料を形相化するものでなければならない。絶対のアガペは、絶対の悪人にまで及ばなければならない。神は逆對應的に極悪の人の心にも潜むのである。[x]

これに対して関根清三は、「彼(西田)の神理解は正に旧約の記者が神話的にしか言表できなかったことの真意を言い当て、また現代の我々に到るまでの神経験の見事な解説になっているように見える」[xi]とコメントしているが、たしかに、戦前の日本の哲学者でここまで深く旧約聖書の神と切り結んだものは居なかったであろう。

ヘレニズムの世界における汎神論的な神概念やスピノザの哲学や、神秘主義のキリスト教に共感する日本の哲学者は多いが、もっとも非哲学的と見える旧約聖書の神に言及する哲学者は稀である。預言者イザヤの神経験について西田は次のように述べている。

相對的なるものが、絶對的なるものに對すると云ふことが、死である。我々の自己が神に對するときに、死である。イザヤが神を見た時、「禍なるかな、我亡びなん、我は穢れたる脣のものにて、穢れたる脣の民の最中に住むものなるに、我眼は万軍の主なる王を見たればなり」と云って居る。相對的なるものが絶對者に對するとは云へない。又、相對に對する絶對は絶對ではない。それ自身亦相對者である。相對が絶對に對するといふ時、そこに死がなければならない。それは無となることでなければならない。我々の自己は、唯、死によってのみ、逆對應的に神に接するのである、神に繋がると云ふことができるのである。[xii]

「善の研究」の西田哲学は汎神論的であったが、最晩年の西田は自己の宗教的立場を汎神論ではなく万有在神論(panentheism)だといっている。万有在神論とは、「万物(世界)が神に於いてある」ということ、世界が神の場所なのではなく、神が世界の場所であるという意味であり、それ自体は、クザーヌスなどキリスト教神秘主義の神観にも見られるものであるが、後期西田哲学においていわれている「場所の論理」は絶對否定を媒介とするダイナミックな即非の論理として展開されている点に特徴がある。すなわち、そこでいう「絶對の無」は、絶對の悪にまで下り得る神の「無」として、「死によってのみ逆對應的に接する」絶對の有として把捉されている。

旧約聖書では、言葉だけでなく沈黙も又主題となるが、旧約聖書列王記19:11-13は、神の言葉が沈黙において聞かれることをきわめて印象的に記している。

「見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

 新共同訳聖書で、「静かにささやく声」と訳されているヘブライ語を、旧約学者の関根正雄は「火の後で、かすかな沈黙の声があった」と訳したうえで次のような釈義を残している。

「神の不在の確認の後の「声」は、テリエン(旧約學者)の考えるような神の現在の自覺の準備云々という程度のリアリティではなく、すでにそれ自身神の霊的現実であったと我々は解する。だからこそ、この声ならざる声を聞いてエリヤはその顔をマントで覆い、出て行って洞窟の口に立ったのではないか。(中略)沈黙の声すら霊的に聞けないものに、神はどのようにして語り得たであろう。肉の耳をもってではなく、霊の耳をもって神の声を聞いた経験のない人が、「神は語られる」といってもそれはテキストをなぞっているにすぎない。(中略)エリヤの聴いた「沈黙の声」についてデイヴィッドソンが1970年の論文で記していることは我々には示唆的である。風や地震や火を通してという今まで受け入れられてきた信仰のカテゴリーが死に絶えるときに、神は新しく見出される、という意味のことをデイヴィッドソンは言っているのである。」[xiii]

ある意味で、聖書自体がそのような「沈黙の声」に満ちているようにさえ思われる。たとえば、神の創造された世界は「沈黙の声」を語る。「話すこと」なく、「語ること」なく、その「声」も聞こえないのに、「天は神の栄光を語り、大空は御手の業を示し、昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る」(詩編19)このような栄光に満ちた沈黙だけでなく、試練のなかでの沈黙もある。沈黙を破る言葉があるだけでなく、言葉を破る沈黙というものもある。聖書の中で示される「沈黙」を理解することによって、はじめて我々は聖書の言葉を理解できるということがあるだろう。やかましく響き渡る声よりもはるかに我々の心に響く沈黙というものがある。そして聖書自体、様々な箇所でそういう「沈黙の声」を主題としている。このような「沈黙の声」はアウシュビッツ以後のユダヤ人のなかでとりわけ重い意味を持つようになったことは言うまでもない。

アンドレ・ネエルは『言葉の捕囚-聖書の沈黙からアウシュビッツの沈黙へ』のなかで、問題になっている列王記の箇所について次のように言っている。

「神は嵐の中にも、つむじ風のなかにも、火の中にも(カルメルの火)おられない。かれは<ささやくような小さき声>コル デママー ダッカー(19-12)のなかにおられるのだ。この表現もまた、きわめて皮肉な表現である。というのは、それは、神の唯一の声は「その沈黙」であることを、人間に教えているからである。こうして、二度の逆転がカルメルとホレブの継続場面の結合の中で同時に行われる。言葉の観念は価値を失い、沈黙の観念は積極的な価値に達する。神の言葉は自動的ではない。それは無価値であることを表明しうるし、失敗をももたらしうるのである。また、沈黙はもはや神の怒りないし神の拒否のしるしではない。それは言葉と同様、またそれ以上に、神の「現在」を表現する。この二枚織りの絵を通して、神の沈黙は象徴を変える。不活動の水準から、生命の水準に達する。カルメルの場面の夕べ、民は声を揃えて、「言葉」と「応答」の神こそ、生ける神と叫んでいた。そして今、ホレブの場面の夕べ、預言者エリヤは孤独のなかで理解する。生ける神とは「沈黙」と「引退」の神であることを。(中略)聖書は、たといそれがか細くとも、「沈黙の声」を語るとき、聖書自身が我々に聴くように招いているのではないだろうか」[xiv] 

嘗ては「言葉」と「応答」という雄弁なる対話の(政治的)世界にいた預言者も、孤独の中で、生ける神の「沈黙の声」に耳を澄ませる-「沈黙」と「引退」のただなかで、彼も又、自らの沈黙の言葉を語るであろう。

 晩年の西田が「場所的論理と宗教的世界観」において旧約聖書を取り上げた背景には、当然、この著作を執筆していた頃の西田の於かれていた時代背景を見る必要があるだろう。西田の日記を見れば分かるように、この論文は大日本帝国の崩壊の予感のなかで書かれており、当時、西田は旧約聖書の預言書、とくにイザヤ書を読んでいた。亡国の危機に直面していた預言者のもつ終末論的自覚は、西田にとって決して他人事ではなかったろう。

西田の云う「即非の弁証法」は、キリスト教論に適用されることによって、日本化された仏教の典型である天台本覚論などの「煩悩即菩提」「生死即涅槃」のごとき絶対否定を含まぬ「即」の融通無碍の立場とは質的に異なる論理となっている。そこでは、「人間の根柢に堕罪を考えるということは、きわめて深い宗教的世界観である」ことが認められる。

絶対矛盾的自己同一は、抽象名詞として理解してはならず、それ自身が動詞として理解すべきであり、そこでいう神は「神性」のごとき働きのない抽象的な属性ではない。神と人との関係はあくまでも逆対応的であり、我々の宗教心は、我々の自己から起こるのではなく、神または仏の呼び声であり、神または仏の働きであり、自己成立の根源からである以上、それは自己同一性を基軸とする有-神論の形而上学のもっともラジカルな批判を内に蔵している。

 

 

[i] 西田幾多郎全集(岩波書店 1979)6:6 

[ii] 「形而上学」とは、アリストテレスのmetaphysicaの日本語訳であるが、「形而上」という言葉自体は、易經の「繋辞傳」のなかの「形而上者謂之道 形而下者謂之器」に由来し、東アジアの霊性の伝統においては元来は「道」を意味する言葉である。 アリストテレスの「形而上学」という書物は、「自然学」の「後に」編集配列された著作であり、内容から言えば「自然学」を前提しつつも、その「背後にあるもの」を問い、自然的存在の究極原因となる「実体」とは何かを理論的に問うものであった。これに対して、易經の自然哲学にいう「道」は、自然の背後にある超越的な有=実体ではなく、万物を産みだす能産的自然であり、それ自体はいかなる「形」にも限定され得ぬという意味で「形而上」なるものであり、「形」を産み出す創造活動である。「道」は、人間が自己の目的のために使用できる道具(器)ではなく、何かの「ために」存在するようなものではない。

[iii] 「神の言葉」は「啓示された神(deus revelatus)」を特徴付けるものであるが、その同一の神が、預言者によれば「隠れたる神(deus absconditus)」でもある。イザヤ書45:15と45:19参照。尚、クザーヌスの小品「隠れたる神について」を西田は『善の研究』の宗教論で消極的神学の必然性を論じる文脈で論じて、神は有(aliquid)でも無(nihil)でもなく両者を超越するというクザーヌスの言葉を引用している。

[iv] 「西田哲学の根本問題」こぶし書房刊、214頁、2004(法蔵館「滝沢克己著作集第一巻」は1972)

[v] 「場所の自己限定としての意識作用」西田幾多郎全集6:116 

 哲学史上自覺の深き意義に徹底し萬物をその立場から見た人はアウグスチヌスであったと云ひ得るであらう。その「三位一體論」の一篇は一種の神學的人間學と云ふことができる。我々が外物を離れて深い内省的事實の中に自己自身の實在性を求める時、自ら神に至らざるを得ない。彼は「懺悔録」の始に
Thou awakest us to delight in Thy praise; for Thou madest us for Thyself, and our heart is restless, until it repose in Thee
と云って居る。彼は我々の自覺的實在の根抵を神に求めた。メーン・ドゥ・ビランの「人間學」といふ如きものも我々の精神的生命の基を神に帰して居る。

 [vi] 「自由意志」

汝の隣人を汝自身の如く愛せよといふキリスト教的愛は、絶対に分離せるものの結合でなければならぬ。我親なるが故に、我子なるが故に、愛するのではない。又我国人なるが故に愛するのでもない、否、何等の価値のために愛するのでもない、唯、人なるが故に愛するのである(西田幾多郎全集6:319)。

[vii] 「私と汝」

道徳的にはわれわれは有限なる自己の中に無限の当為を蔵することによつて人格と考へられ、宗教的には罪の意識なくして人格といふものは考へられないと云はれる。併し我々の人格的自己は何故に斯く考へられねばならぬのであろうか。それは我々の自己自身の底に絶対の他を蔵するといふことを意味するに外ならない。自己自身の底に蔵する絶対の他と考へられるものが絶対の汝といふ意義を有するが故に、我々は自己の底に無限の責任を感じ、自己の存在そのものが罪悪と考へられなければならない。我々はいつも自己自身の底に深い不安と恐怖とを蔵し、自己意識が明となればなる程、自己自身の罪を感ずるのである(西田幾多郎全集6:419-420)。
自己自身の底に絶対の他を見るといふことの逆に絶対の他に於て自己を見るといふ意味に於てのみ、真に自己自身の底に原罪を蔵し、自己の存在そのものを罪とする人格的自己といふものが考へられるのである。そこにキリスト教の所謂アガペの意味がなければならない(西田幾多郎全集6:424

[viii] 「哲学の根本問題」

現実が現実自身を限定する世界を絶対否定の肯定として絶対弁証法的世界の自己限定と考へるならば、自己自身を限定する現実の世界の底に、我々は行為的直観を越えて、無限なる表現に対すると考へなければならぬ。それは唯何処までも我々の行為的直観を越えるもの、行為的直観によつて達することのできないものと云ふだけでなく、行為的直観を否定する意味を有つたものでなければならない、道徳をも否定する意味を有つたものでなければならない。それがキリスト教徒の所謂神の言葉と考へられるものである。それは聞くべくして見るべからざるものである。絶対の彼方にあるのである。(西田幾多郎全集7:428)

キリスト教を度外視した西田哲学釈義では「行為的直観」をもって西田の最終的立場とするものが多いが、上のテキストは、それが適切ではないことを示している。

[ix] 鈴木大拙宛書簡(西田幾多郎全集19:399、19:426)

私は今宗教のことを書いています。大体従来の対象論理の見方では宗教といふものは考へられず、私の矛盾的自己同一の論理即ち即非の論理でなければならないと云ふことを明にしたいと思ふのです。私は即非の般若的立場から人といふもの即ち人格を出したいと思ふのです。そしてそれを現実の歴史的世界と結合したいとおもふのです。(昭和20年3月11日 鈴木大拙宛書簡)
君の東洋文化の根柢に悲願があるといふことよく考へて見るとそれ非常に面白い。私もさういふ立場から考へて云って見たいと思ふ。その故に西洋の物の考へ方がすべて対象論理的であったのだ。此頃猶太民族の宗教発展の歴史を読んで色々考へさせられる。猶太人がバビロンの捕囚の時代に世界宗教的発展の方の基礎を作った。真の精神的民族は斯くなければならぬ。民族の自信を唯武力と結合する民族は武力と共に亡びる。(昭和20年5月11日 鈴木大拙宛書簡)

[x] 西田幾多郎全集11-404(岩波書店 1979)

[xi] 関根清三、『旧約聖書と哲学』(岩波書店、2008 32頁)

[xii]  同全集11-396(岩波書店 1979)

[xiii] 関根正雄 『古代イスラエルの思想家』(講談社 昭和57年 275頁)

[xiv]  アンドレ・ネール『言葉の捕囚-聖書の沈黙からアウシュビッツの沈黙へ』(西村俊昭訳 創文社 昭和59年 108頁)

 

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