歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

博愛と社会的友情の勧めーフランシス教皇の回覧書簡「すべての同胞に(Fratelli Tutti)」の序文から

2020-10-07 |  宗教 Religion
博愛と社会的友情の勧めーフランシス教皇の回覧書簡「すべての同胞に(Fratelli Tutti)」の序文から
 
自由・平等・友愛の三者はフランス革命以後の近代社会の根本思想です。この三位一体の根本原理を近代以後に生きる「普遍の教会」はどのように理解すべきかーフランシス教皇の最新の回覧書簡「すべての同胞に」はそれを考える手引きを与えていると思いました。
         ー序文冒頭の部分の試訳ー
「すべての同胞(Fratelli Tutti)」という言葉によって、アッシジの聖フランシスは兄弟姉妹に呼びかけて、福音書の味わい深い言葉で人生の一つの道を提示しました。フランシスの言葉のなかから、私は博愛の勧めを選びたいと思います。それは、地理と距離の障碍を越えて、「自分と共に居るときに劣らず自分から遠く隔たっているときにも」友を愛する全ての者は祝福されているとはっきりと述べています。聖フランシスは、単純かつ直接的に、友愛の本質を表現しています。物理的な近さを顧みず、その人がどこで生まれ、どこで生活しているかに関係なく、一人一人の人格を認め、よく理解し、愛することが、友愛に開かれていると言うことなのです。
 博愛、純一さと喜びを語るこの聖人に鼓舞されて、私は回覧書簡 「ラウダート・シ(御身が頌えられますように)」を書きましたが、今度は、博愛と社会的な友情をすすめる新しい回覧書簡を書くこととしました。フランシスは自分が、太陽や海や風の兄弟であると感じていましたが、それでも同族である人間に自分がさらに近いことを知っていました。どこに出かけようと、彼は平和の種子を蒔き、貧しき者、見捨てられた者、弱き者、疎外された者、つまり自分の兄弟姉妹達の中でもっとも小さき者達とともに寄り添って歩きました。
            ーーーーー
  コメント
◎教皇のencyclical letter は「回勅」と訳すのが慣例ですが、私は「回覧書簡」と訳しました。使徒の書簡と同じく、特定の地域(ローマやコリント)の教会の信徒だけに宛てられた書簡ではなく、あらゆる教会に、キリスト者や非キリスト者の差別なく、あらゆる人に回覧されるべき書簡という意味を明確にしたかったからです。
◎Fratelli Tutti は アッシジのフランシスの使ったイタリア語ですが、「兄弟達」とせずに「同胞」と訳しました。同じ段落で「兄弟姉妹」と言い換えられていることから分かるように、男性と女性の差別をしないことが、このよびかけの言葉に含まれています。
◎「友愛」の本質は何か、ということをこの「回覧書簡」は考えるように促しています。自分が帰属する国家や団体のメンバーのみを愛し、その外部にいる「他者」を無視したり、憎悪したり、排除したり、するところにまことの友愛は存在しない。そのような境界や「壁」を越えて他者を愛するところに「友愛」の本質があると、この「回覧書簡」は明言しています。
 
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