中間報告は、上司の評価の分かれ目
部下や直接の上司である係長・ちょっと部下との距離を置いた課長等など、それぞれ経験をしてきましたが、部下であった時代は、一生懸命であったんだけれども、上司になって見てみると、自分に足りなかった所が見えてくるものがあります。
上司になってみると、よくいわれる「ホウレンソウ」は、自分に欠如していたんだなあと思います。一生懸命になるほど、最後の良い結果を報告したくて、途中経過を報告しないところがあるようです。部下として、完璧な仕事の完成を目指す人 ほど、報告する暇も惜しんで、「最後の結果」だけを報告すればいいと思ってはいないでしょうか。上司の関係で、求められるのはそれだけではありません。
こんなときは、やはり途中経過を報告するべきです。1週間かかる仕事や一日で完成する仕事でも、2・3時間でできる仕事でも、上司はどこまでできているか気にかかるものです。私みたいに気の短い上司もいるものですので、どこまでできているかをちょっと伝えるでだけでも、上司は満足します。
もうひとつは、中間報告をすることによって、最終報告で全部を報告するよりも、上司としてより早く報告の内容を呑み込めるし、部下としても、よいアドバイス等を得ることが出来ると思われます。
さらに、中間報告は、修正を可能にします。方向性が違っている場合だってあり得ます。聞き違いだってあり得ます。こういった場合の仕事の「修正」を可能にするのです。
最後に、上司は部下の仕事の評価をします。どんなに仕事の結果が良くても、中間報告がなくていらいらされられるような部下に対しては、良い評価は挙げられません。自分の中では、よい評価を得られるはずだと思っていても、評価は他人がするものなのです。
また、非常時の報告は、別の考え方があります。平常時よりもさらにこまめの報告が必要となります。5W1Hの法則により正確な情報を伝えるのではなく、だれがどうしただけでもよいのです。情報の確認は必要ではなく、つかんだ情報をそのまま伝える必要があります。危機管理の大先生=佐々淳行氏は、三島由紀夫事件にふれ、その時の第1番目の情報は、「酔っ払いが暴れている」というような情報で、確か次の情報は「三島の首がちょんぎられた」というような情報であったといっています。(すみません。佐々氏の著書を昔読んだもので、ここら辺は非常に不正確なものです。間違っていたらごめんなさい。要するに、正確な情報ではなく、つかんだ情報をまず挙げる必要があるということです。)。ちょん切られたら、生きていないのかは、後の報告で確認すればよく、まずはつかんだ情報をかならずしも確認することは必要ではなく、そのままつかんだ情報を伝えることが必要だということです。
日常でも、この考え方は、より「悪い情報」にあっては、必要とされる場合もあり、ここらの対応をどう対応するのか、部下の力量が問われます。
部下や直接の上司である係長・ちょっと部下との距離を置いた課長等など、それぞれ経験をしてきましたが、部下であった時代は、一生懸命であったんだけれども、上司になって見てみると、自分に足りなかった所が見えてくるものがあります。
上司になってみると、よくいわれる「ホウレンソウ」は、自分に欠如していたんだなあと思います。一生懸命になるほど、最後の良い結果を報告したくて、途中経過を報告しないところがあるようです。部下として、完璧な仕事の完成を目指す人 ほど、報告する暇も惜しんで、「最後の結果」だけを報告すればいいと思ってはいないでしょうか。上司の関係で、求められるのはそれだけではありません。
こんなときは、やはり途中経過を報告するべきです。1週間かかる仕事や一日で完成する仕事でも、2・3時間でできる仕事でも、上司はどこまでできているか気にかかるものです。私みたいに気の短い上司もいるものですので、どこまでできているかをちょっと伝えるでだけでも、上司は満足します。
もうひとつは、中間報告をすることによって、最終報告で全部を報告するよりも、上司としてより早く報告の内容を呑み込めるし、部下としても、よいアドバイス等を得ることが出来ると思われます。
さらに、中間報告は、修正を可能にします。方向性が違っている場合だってあり得ます。聞き違いだってあり得ます。こういった場合の仕事の「修正」を可能にするのです。
最後に、上司は部下の仕事の評価をします。どんなに仕事の結果が良くても、中間報告がなくていらいらされられるような部下に対しては、良い評価は挙げられません。自分の中では、よい評価を得られるはずだと思っていても、評価は他人がするものなのです。
また、非常時の報告は、別の考え方があります。平常時よりもさらにこまめの報告が必要となります。5W1Hの法則により正確な情報を伝えるのではなく、だれがどうしただけでもよいのです。情報の確認は必要ではなく、つかんだ情報をそのまま伝える必要があります。危機管理の大先生=佐々淳行氏は、三島由紀夫事件にふれ、その時の第1番目の情報は、「酔っ払いが暴れている」というような情報で、確か次の情報は「三島の首がちょんぎられた」というような情報であったといっています。(すみません。佐々氏の著書を昔読んだもので、ここら辺は非常に不正確なものです。間違っていたらごめんなさい。要するに、正確な情報ではなく、つかんだ情報をまず挙げる必要があるということです。)。ちょん切られたら、生きていないのかは、後の報告で確認すればよく、まずはつかんだ情報をかならずしも確認することは必要ではなく、そのままつかんだ情報を伝えることが必要だということです。
日常でも、この考え方は、より「悪い情報」にあっては、必要とされる場合もあり、ここらの対応をどう対応するのか、部下の力量が問われます。