渋沢の合本主義の公益性の重視はサンシモン主義がキリスト教の博愛を論じたことの共通性が感じられる!!
日本資本主義の父といわれる渋沢栄一の原点は、徳川幕府の要請によって派遣されたパリ万博に他ならない。これは、最後の将軍であった徳川慶喜が次期の将軍と目した徳川昭武(民部公子)をパリ万博の使節団長としたのであるが、会計・経済に明るい渋沢をこれの金庫番として選んだものである。そして、パリ万博後も徳川昭武一行は欧米の文化を吸収させるため留学をさせていた。ところが、日本では徳川慶喜の政権返上(大政奉還)となり、明治政府の誕生により留学は2年間で打ち切りとなったものである。
渋沢栄一はパリ派遣でフランスの経済学のサンシモンの流れをくむ「空想的」社会主義の思想を少なからず吸収したといってよい。サンシモン主義がフランスに与えた具体的な経済効果は、産業を強くすることと、そのために銀行、鉄道、株式会社を充実することの重要性を強調したことにある。1851年には3600㌔メートルにすぎなかった鉄道線路が、1876年には1万7900㌔メートルに拡充し鉄道網が整備され、これにより、原材料・製品の輸送を効率的に運搬することが可能となった。そして、鉄道は基幹産業である鉄工業を含めた重工業の発展をもたらした。もちろん、この発展のためには大きな資金が重要で銀行業の充実は欠かないし、そのためにはそれを実際に動かす株式会社の基盤は必須である。産業革命を最初に行ったイギリスに遅れをとったフランスであるが、19世紀の後半にはフランスの産業は飛躍的に発展したのである。このフランス滞在で、渋沢は徳川使節団の世話役のフリュリエラールなどに銀行業や金融全般を学び、フランスの発展の現実を直接に垣間見たのである。
ではなぜサンシモン主義は、「空想的」社会主義なのか。経営者・管理者が経営能力の優れた発揮によって強い産業は発揮できるが、そのためにはそこで働く労働者の役割は同時に必要不可欠の存在である。労働者と経営者は対立するのではなく、労働者も同時に生活の改善を行い、その改善の努力は経営者も労働者も同じであると考えた。考えるに、経営者・労働者どちらもお金がいきわたって、国の経済は回っていくものであろう。そこで、労働者も経営者も国民みんなが、我一人、利益を享受するのではなく、キリスト教的博愛の精神に忠実であらねばならないとの思想に到達したのである。余談であるが、資本家によって搾取された労働者が革命という具体的手段によって社会主義の実現を図るという思想を考えたマルクス・エンゲルスは、このサンシモン主義を、社会主義に至る論理が欠如しているという理由で、自分たちの思想を科学的社会主義に対し、サンシモン主義を空想的社会主義と呼んだのである。
渋沢栄一は、日本資本主義の父と呼ばれるが、創立・運営・顧問とさまざまな形でかかわった企業数は約500、社会事業は約600を数えるという意味では、そう呼ばれるのは当たっている。ただ彼は一度も資本主義と言うことばは使っていない。渋沢が理想とした経済システムは、「合本主義」ということばでした。利潤追求をその原動力とする資本家の精神が労働を生産手段として用いることが資本主義なのに対し、「公益を追及するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させる考え方」であるというのです。資本主義と合本主義は、ともに資本、労働、市場を必要とすることには変わりがありませんが、資本主義は資本家の利潤追求に対し、合本主義は公益性を重視します。事業を行う場合に利潤追求は事業の原動力なのは欠かせませんが、その結果、同時に「国や社会が富むこと」「国民の幸福」が達成されなければ意味がないと考えたのです。ただひとり資本が中心となって事業を推進するのではなく、合本主義は「人(労働者も含む)、物、金、知恵」(これら4要素などをあわせて合本の「本」=資本と考えるようです。この中には労働者を含む人も本=資本の中に入るようです。資本主義が資本=カネを中心として考えるのと違いがあるように思います。)をもって共同で事業を行い、その成果は皆で分配するという、今でいう労働者に対する労働分配率もちゃんと考えなければならないということだったようです。
この背景には、明治にはいって欧米諸国に比べて国力が弱い日本は、いつ植民地化されても仕方がないというような状況にあったということも考えられます。日本国が国力で欧米に劣らず、強い国でしかも国民にすべての富がゆきわたるような社会が当然必要であったと考えられます。それゆえ、渋沢はフランスの発展に習い、同様に国を富ませることに奔走したのです。また、彼自身が子供のころから慣れ親しんだ論語の影響もあるといわれており、政治の根本は「自分を磨く」と同時に「人々の生活を安定させる」(修己安人)といったことであるという論語の影響もあるとされています。その意味では、渋沢は、あくまでも「日本の」資本主義の父なのです。
現在の日本の会社法は欧米と同様に株式を持つ者の利益を図ることが基本となっていますが、日本に根付いたのは、渋沢の合本主義が今でも色濃く残っております。例えば、「従業員は家族」だというような考え方は、会社「法」の追及する株式主義とは違うような気がします。今でこそ、会社法ではSDGsなど社会貢献が叫ばれますが、一時期「株主至上主義」が叫ばれました。ここに法律と現実のギャップが見られ、渋沢に言う合本主義との両立(あるいは合本主義を基盤に)ができないものでしょうかと思う者です。
なお、どこの国でも見られる資本主義初期の労働運動に反対する資本家の動きに、渋沢が当時あった法律における「労働運動禁止」の規定の撤廃を論じ、また、生涯にわたって、福祉事業に貢献したということは、彼の主張からすれば分かるような気がします。
また、最後になりますが栄一の合本主義の公益追及はサンシモン主義の「キリストの博愛」との対比において、「論語」にそれを求めたという意味においても、興味深いものがあります。
参考 論語と算盤(守屋淳著 NHK100分名著)
渋谷栄一(橘木俊詔著)
日本資本主義の父といわれる渋沢栄一の原点は、徳川幕府の要請によって派遣されたパリ万博に他ならない。これは、最後の将軍であった徳川慶喜が次期の将軍と目した徳川昭武(民部公子)をパリ万博の使節団長としたのであるが、会計・経済に明るい渋沢をこれの金庫番として選んだものである。そして、パリ万博後も徳川昭武一行は欧米の文化を吸収させるため留学をさせていた。ところが、日本では徳川慶喜の政権返上(大政奉還)となり、明治政府の誕生により留学は2年間で打ち切りとなったものである。
渋沢栄一はパリ派遣でフランスの経済学のサンシモンの流れをくむ「空想的」社会主義の思想を少なからず吸収したといってよい。サンシモン主義がフランスに与えた具体的な経済効果は、産業を強くすることと、そのために銀行、鉄道、株式会社を充実することの重要性を強調したことにある。1851年には3600㌔メートルにすぎなかった鉄道線路が、1876年には1万7900㌔メートルに拡充し鉄道網が整備され、これにより、原材料・製品の輸送を効率的に運搬することが可能となった。そして、鉄道は基幹産業である鉄工業を含めた重工業の発展をもたらした。もちろん、この発展のためには大きな資金が重要で銀行業の充実は欠かないし、そのためにはそれを実際に動かす株式会社の基盤は必須である。産業革命を最初に行ったイギリスに遅れをとったフランスであるが、19世紀の後半にはフランスの産業は飛躍的に発展したのである。このフランス滞在で、渋沢は徳川使節団の世話役のフリュリエラールなどに銀行業や金融全般を学び、フランスの発展の現実を直接に垣間見たのである。
ではなぜサンシモン主義は、「空想的」社会主義なのか。経営者・管理者が経営能力の優れた発揮によって強い産業は発揮できるが、そのためにはそこで働く労働者の役割は同時に必要不可欠の存在である。労働者と経営者は対立するのではなく、労働者も同時に生活の改善を行い、その改善の努力は経営者も労働者も同じであると考えた。考えるに、経営者・労働者どちらもお金がいきわたって、国の経済は回っていくものであろう。そこで、労働者も経営者も国民みんなが、我一人、利益を享受するのではなく、キリスト教的博愛の精神に忠実であらねばならないとの思想に到達したのである。余談であるが、資本家によって搾取された労働者が革命という具体的手段によって社会主義の実現を図るという思想を考えたマルクス・エンゲルスは、このサンシモン主義を、社会主義に至る論理が欠如しているという理由で、自分たちの思想を科学的社会主義に対し、サンシモン主義を空想的社会主義と呼んだのである。
渋沢栄一は、日本資本主義の父と呼ばれるが、創立・運営・顧問とさまざまな形でかかわった企業数は約500、社会事業は約600を数えるという意味では、そう呼ばれるのは当たっている。ただ彼は一度も資本主義と言うことばは使っていない。渋沢が理想とした経済システムは、「合本主義」ということばでした。利潤追求をその原動力とする資本家の精神が労働を生産手段として用いることが資本主義なのに対し、「公益を追及するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させる考え方」であるというのです。資本主義と合本主義は、ともに資本、労働、市場を必要とすることには変わりがありませんが、資本主義は資本家の利潤追求に対し、合本主義は公益性を重視します。事業を行う場合に利潤追求は事業の原動力なのは欠かせませんが、その結果、同時に「国や社会が富むこと」「国民の幸福」が達成されなければ意味がないと考えたのです。ただひとり資本が中心となって事業を推進するのではなく、合本主義は「人(労働者も含む)、物、金、知恵」(これら4要素などをあわせて合本の「本」=資本と考えるようです。この中には労働者を含む人も本=資本の中に入るようです。資本主義が資本=カネを中心として考えるのと違いがあるように思います。)をもって共同で事業を行い、その成果は皆で分配するという、今でいう労働者に対する労働分配率もちゃんと考えなければならないということだったようです。
この背景には、明治にはいって欧米諸国に比べて国力が弱い日本は、いつ植民地化されても仕方がないというような状況にあったということも考えられます。日本国が国力で欧米に劣らず、強い国でしかも国民にすべての富がゆきわたるような社会が当然必要であったと考えられます。それゆえ、渋沢はフランスの発展に習い、同様に国を富ませることに奔走したのです。また、彼自身が子供のころから慣れ親しんだ論語の影響もあるといわれており、政治の根本は「自分を磨く」と同時に「人々の生活を安定させる」(修己安人)といったことであるという論語の影響もあるとされています。その意味では、渋沢は、あくまでも「日本の」資本主義の父なのです。
現在の日本の会社法は欧米と同様に株式を持つ者の利益を図ることが基本となっていますが、日本に根付いたのは、渋沢の合本主義が今でも色濃く残っております。例えば、「従業員は家族」だというような考え方は、会社「法」の追及する株式主義とは違うような気がします。今でこそ、会社法ではSDGsなど社会貢献が叫ばれますが、一時期「株主至上主義」が叫ばれました。ここに法律と現実のギャップが見られ、渋沢に言う合本主義との両立(あるいは合本主義を基盤に)ができないものでしょうかと思う者です。
なお、どこの国でも見られる資本主義初期の労働運動に反対する資本家の動きに、渋沢が当時あった法律における「労働運動禁止」の規定の撤廃を論じ、また、生涯にわたって、福祉事業に貢献したということは、彼の主張からすれば分かるような気がします。
また、最後になりますが栄一の合本主義の公益追及はサンシモン主義の「キリストの博愛」との対比において、「論語」にそれを求めたという意味においても、興味深いものがあります。
参考 論語と算盤(守屋淳著 NHK100分名著)
渋谷栄一(橘木俊詔著)
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