口語「労働に従事する」は対等な雇用契約のようだが「使用者の指揮命令」に従うという意味では今でも変わらない
民法の「雇用契約」と労働基準法等の「労働契約」は、従来は違った概念ではないかということで、さまざまの議論がなされてきたが、労働契約法第6条が、民法の雇用契約とほぼ同じ規定をおいてからは、雇用契約と労働契約(の定義)は同一のものと解するのが妥当と思われる。
民法623条 雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約するによって、その効力を生ずる。
民法623条は、上述のように、雇用契約の定義として、労働者が労務の提供を行い、使用者が賃金を与えることを約束することによって成立する契約とする。この表現のなかには、お互いの労務の提供と報酬(=賃金)の約束であり、対等な私人間で結ばれた契約であって、なんら使用者と労働者は従属している関係(使用者が「主」で労働者が「従」である。)にはないように見える。
ところが、2004年に口語化されるまでは、実は次のような規定になっていたのである。
民法623条 雇用は当事者の一方が相手方に対して労務に服することを約し相手方がこれにその報酬を与えることを約するによりてその効力を生ず
となっていたものである。一番の違いは、文語体では、口語の「労働に従事する」というのが「労務に服する」となっていることである。これを我妻栄が「労務自体の給付を目的とする結果として使用者に労務についての指揮命令権を生じ、その意味において従属関係を生じること」<*注1><*注2>(民法講義Ⅴ債権各論中巻二P542以下1962年、ただし、荒木労働法から)と説いてからは、これが今の通説的な見解となったものである。
すなわち、「労務に服する」とは、使用者の指揮命令に従って労務を供給することにほかならない。労働者の労務の提供と言っても、使用者がいつ、どこでから始まって、どんな方法で行うか等の指示を行わなければ適切な労務の提供はできないのである。例えば、使用者が職場外研修を命じて、労働者がいつものとおり職場で仕事に従事しても、「労務の提供」にはならない。つまるところ、労働者は使用者の命令に従った労務の提供 すなわち「債務の本旨」に従った労働の提供をしなければならないのである。(民法415条参照)
まとめると、雇用契約には、労働者が使用者の指揮命令に従うといった意味が伴うものであって、口語化された民法においても、その意味は変わらない。むしろ、この点は、昔の文語体の方が的確に表現されたものといえる。しかし、文語体の「労務に服する」という用語はいかにも従属関係を想起させるところであって、平易な「労働に従事する」の方が現在人にはしっくりくるのかも知れないが・・・。
*注1 さらには、「従属」とは、昭和50年代の教科書では、生産手段を持つ資本家に対して、労働を売るしか生活の糧がない労働者は、資本家に「従属」せざるを得ないというような意味を込めての「表現」のように受けとめられる。単に労働者が使用者の指揮命令に従うということだけでなく、それ以上の意味合いがあるように思える。(有斐閣叢書、新版民法ー契約各論)
*注2 ただし、民法の起草者は、「労務に服する」に指揮命令を受けるという意味を込めていなかったとしている。(上記水町著)
参考 労働法 荒木尚志 有斐閣
民法の「雇用契約」と労働基準法等の「労働契約」は、従来は違った概念ではないかということで、さまざまの議論がなされてきたが、労働契約法第6条が、民法の雇用契約とほぼ同じ規定をおいてからは、雇用契約と労働契約(の定義)は同一のものと解するのが妥当と思われる。
民法623条 雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約するによって、その効力を生ずる。
民法623条は、上述のように、雇用契約の定義として、労働者が労務の提供を行い、使用者が賃金を与えることを約束することによって成立する契約とする。この表現のなかには、お互いの労務の提供と報酬(=賃金)の約束であり、対等な私人間で結ばれた契約であって、なんら使用者と労働者は従属している関係(使用者が「主」で労働者が「従」である。)にはないように見える。
ところが、2004年に口語化されるまでは、実は次のような規定になっていたのである。
民法623条 雇用は当事者の一方が相手方に対して労務に服することを約し相手方がこれにその報酬を与えることを約するによりてその効力を生ず
となっていたものである。一番の違いは、文語体では、口語の「労働に従事する」というのが「労務に服する」となっていることである。これを我妻栄が「労務自体の給付を目的とする結果として使用者に労務についての指揮命令権を生じ、その意味において従属関係を生じること」<*注1><*注2>(民法講義Ⅴ債権各論中巻二P542以下1962年、ただし、荒木労働法から)と説いてからは、これが今の通説的な見解となったものである。
すなわち、「労務に服する」とは、使用者の指揮命令に従って労務を供給することにほかならない。労働者の労務の提供と言っても、使用者がいつ、どこでから始まって、どんな方法で行うか等の指示を行わなければ適切な労務の提供はできないのである。例えば、使用者が職場外研修を命じて、労働者がいつものとおり職場で仕事に従事しても、「労務の提供」にはならない。つまるところ、労働者は使用者の命令に従った労務の提供 すなわち「債務の本旨」に従った労働の提供をしなければならないのである。(民法415条参照)
まとめると、雇用契約には、労働者が使用者の指揮命令に従うといった意味が伴うものであって、口語化された民法においても、その意味は変わらない。むしろ、この点は、昔の文語体の方が的確に表現されたものといえる。しかし、文語体の「労務に服する」という用語はいかにも従属関係を想起させるところであって、平易な「労働に従事する」の方が現在人にはしっくりくるのかも知れないが・・・。
*注1 さらには、「従属」とは、昭和50年代の教科書では、生産手段を持つ資本家に対して、労働を売るしか生活の糧がない労働者は、資本家に「従属」せざるを得ないというような意味を込めての「表現」のように受けとめられる。単に労働者が使用者の指揮命令に従うということだけでなく、それ以上の意味合いがあるように思える。(有斐閣叢書、新版民法ー契約各論)
*注2 ただし、民法の起草者は、「労務に服する」に指揮命令を受けるという意味を込めていなかったとしている。(上記水町著)
参考 労働法 荒木尚志 有斐閣
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