元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

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国債発行残高の拡大大丈夫・通貨発行残高の制限は?金本位制・貨幣数量説・MMTとは?

2025-01-04 14:42:02 | 経済・歴史

 国債は未来に禍根を残すのか?未来への投資では・・・ 国債の残高は実質ゼロ

 2025年の国の予算案は、115兆円超で国債額は28兆円超。日銀の国債残高576兆円。財務省広報パンフレットによれば、普通国債残高は1029兆円で国民一人当たり823万の借金になるという(22年度末)=大変だ、大変だ~。

 古典派の経済学は、財政均衡主義を取ってきた。税収等収入の範囲内で使うのが原則。ところが、1930年代に、ケインズ経済に理論的支柱を得て、不況時にアメリカ政府が積極的な財政政策(赤字財政・ニューディール政策)を行って乗りきった。ケインズは、積極的な財政政策により景気を刺激するんだけれも、逆に景気回復の局面にきたら、財政の健全化すなわち赤字回収に努めることが原則としたのです。しかし、実際は、政治的要因が主であろうが、一度予算化したら縮小はできず、景気回復時でも予算の健全化はできないというのが各国の実情ではないかと思うのです。それが、現在まで続いているのです。 

 財務省は、財政赤字をこのまま続けることは、国債の信用がなくなり、通貨の信用にも悪影響を及ぼすというのだ。そこで、そもそも、日本銀行が発行する通貨の量は、制限はあるのか。ないとすれば、極論をいえば、紙幣を刷ればいいだけということになるのだが・・・。

 20世紀の前半においては、(※1)金本位(兌換)制が基本にあって、ドルと金との交換(約束)を前提としていましたので、アメリカが保有する金の量より多大にドルを発行することは抑えられていたのです。日本の円もアメリカドルとの交換比率があったので、円もドルと連動していました。この時代には、金との交換比率の範囲において、制限があったのです。

 ところが、アメリカがベトナム戦争等において経費を使い果たしたため、金との交換を停止しました(ニクソン・ショック1971年)。ここから、金との相対によって通貨の発行に制限があった通貨量は、中央銀行の管理の下のみによって、決められるということになります。

 現実の通貨量を表す計算式が、フィッシャーの貨幣数量説です。                                           <MV=PT>  M=マネーサプライ(貨幣供給量) V=貨幣の流通速度(一定) P=物価水準 T=取引量(一定)     ここで、V=貨幣の流通速度 と T=取引量が一定であれば、M=貨幣供給量を増やせば、p=物価水準 もそれに応じて上昇します。 V・Tが一定であればと言う前提ですが、現実には、景気の拡大・縮小に応じて、多少、上がったり下がったりするように思われます。この貨幣数量説は、例えば第一次大戦後のドイツ経済が、国の貨幣乱発によりハイパーインフレーションを起こしたような大きな動きには説明できる。また、インフレ時に貨幣供給量を抑えるなどの理論的な原理としてはもっともなものである。しかし、貨幣供給量の増加に関しては、それ以下のもの、それ以上のものではないのであって、生産や雇用の増加に結びつくものではなく、貨幣は貨幣(透明人間的)なのである。また、事後説明には、これ以上のものはないのであって、事後的説明に利用可能な計算式なのである。

 そこで、あくまでも、貨幣数量説は、通貨量を決める大雑把な説明にはなっており、現実の予測経済は、それだけでは把握しきれない。事実、日本経済を管理する日銀は、成長率、インフレ・デフレ、通貨の信用・信頼、為替相場等の詳細なデータを分析して通貨流通量を決めていると思われます。

 最近、MMT(経済貨幣理論)というのが浮上している。これは、従来の経済学の常識からしたら、トンデモ経済学になるのだろう。今、私は、勉強中でナントもいえないが、これが一理あるように思うのだ。国家が自国通貨を発行する場合、財政赤字を気にせずに政府支出を増やすことができ、自国の通貨で借金をする(赤字国債等)限り、財政破綻は起きないというもののようです。従来の説と違うのは、財政均衡を取る限り、政府の支出には制限があるのだが、MMTでは、これを赤字国債で賄っても、なんら問題はないというものです。国債は、極論すれば、新たに発行される通貨で返済できるというものです。(れいわ新選組の山本太郎氏の話では、彼はこれによっているものと思われる。)

 私の今の感じ方からすれば、自国での国債を消化する限り(なお85%を国内投資家所有)、また、日銀が市中からの国債取得を最終的に引き受ける限り(日銀の直接引き受けは法律上禁止。)は、大部分は国内での債権・債務者ということになるので、国内での債権関係は、プラス・マイナス・ゼロ(に近い)となる。国債を発行した国にとっては、負債であるが、国内全体で考えれば、債権者もおり、国内経済としては、債権・債務関係はゼロになる。この意味からすれば、この理論は、全く「トンデモ経済学」ではないように思うのだ。

 ただ、少なくとも、インフレが進行するようになれば、それは通貨量が過大ということになり、この時点が通貨量制限となるのではないか。ただ、どこで、どの程度のインフレがあれば、制限となるかは、今後の検討課題とはなるのだろう。

 国債が将来の若者世代に負債を負わせるからダメだというのも、逆に、現実には国債そのものは全世代で買っているので、これは当たらないように思うのだ。むしろ、国債だからこそ長期的な支払いが可能(長期債務の分散)となり、未来への投資的なものも考えられるのではないか。

 なお、国の借金額の多さであるが、森永卓郎氏は、国の公表している連結貸借対照表を示し(2020年末)、負債額は1661兆円であるが、資産とプラスマイナスすると負債は3分の1程度で540兆円になり、さらに日本政府の持つ「通貨発行益」の532兆円を合わせると本来の純債務は、(※2)8兆円に過ぎないとしている。(ザイム真理教 森永卓郎 p54~)

 (※1)なぜ金本位制であったのかは、歴史的経緯からは説明できる(金等の希少なものが使われていた)が、なぜ金と交換を約束しなければならないのかは、必ずしその理由はない。ニクソン・ショックにより、金本位制は廃止されたが、通貨を国が責任をもって管理する以上(信用上)は、問題ないともいえる。しかし、どれだけ流通量を増やすかについては、以下の議論から分かるように不確かなのである。

(※2)そうであれば借金額は、ほとんどないことになり、MMTの理論を借りなくても十分まだ国債を発行する余力を残していることになる。


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