元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

高齢者になって勉強する意味<知識欲・死ぬ時期は不明・頭は使わないと錆びる>

2022-02-03 10:32:11 | 第2の人生・老後・趣味と勉強
 この世を十分に生き切ってこそ来世がある<勉強もその一部であり十分な活動を続ける意味あり>

 大阪万博までに英語をマスターしようとNHKのラジオ講座を聴きはじめた筆者。ところが、なかなか遅々として上達しないありさま。大体、この年になって、勉強することに疑問を感じる始末。この年、後期高齢者に近づいた年になって、勉強する意味を問う。死ぬ間際になって、勉強することに意味はあるのか。

 最近亡くなった石原慎太郎氏は、死ぬ寸前までパソコンに向かって文字を打ち続けていたと石原良純氏が語っていた。文学者としての姿勢は最後までなくならなかったという。知の巨人といわれた立花隆氏も、死ぬまでその知識欲はあり続けたようだ。こういった人々は、確かに「文才欲」というか「知識欲」というものを、生涯死ぬまで持っているもので、それに基づく原動力にははかり知れないものがあるとは思う。

 我々一般人はどうか。知識欲的なものは我々にもあると思う。天才的な人々に比べ、それが少ないか多いかだけであると思うのである。ただ、これは、我々一般人の場合には、いわゆる「惰性」に基づいて行っていると取られることは多いと思う。

 また、今後何歳まで生きられるのかということもある。何かをしていてもその結果が見えるまでは一定に期間を要する。その間に亡くなっては何の意味はないとも思う。しかし、これはいつ死ぬかはだれも分からない。神のみぞ知るである。勉強の途中で死ぬかどうかは、分からないのである。これは、後期高齢者に限らず、若者にもいえることである。若者にはその確率が低いだけである。そうであれば、後期高齢者であろうとも、頑張るしかないと思う。

 そして、高齢者が勉強する一番の理由ともなるのであるが、「頭は使わないと錆びる」ということ。従来は人間の脳細胞は一日10万個死滅するといわれていました。しかし、最近の研究結果によると、脳細胞は死滅するばかりではなく、増加するところもあり、特に海馬に関しては、年齢にかかわらず増えつづけているといわれています。海馬というのは、最初に短期の記憶をしている器官で、ここで長期に記憶しなければならないものを「えり分ける」働くをするところであるとされます。そうであれば、この重要な海馬をうまく働かすために、年をとっても、頭を働かさなければならないのだと分かります。このため、巷には、高齢者用の頭の働きをよくする様々な本が出ていることがその証左となるといえるでしょう。

 以上、後期高齢者になってからも、勉強する意味を考えてきました。もともと知識欲をもっていること、何歳になってもその人がいつ死ぬかは神のみぞ知るということ、頭は使わなければ錆びることを考えてきました。

 亡くなってからも魂と言うのは、次の世にも生き残るということ考えた場合はどうでしょう。(そんなの全く信じないという方は、これから先は、読まなくてもかまいません。しかし、「仮に」の話に付き合えるのであれば、付き合っていただきませんか。)ある高齢の坊さんが、一生懸命勉強しているのを見て、それを見ていた人が「どうせ死んでいくのに、意味はありません。」といったそうです。「いや、次の世で引き続いて勉強すればもっと上手になれる。」といったという。

 モーツアルトは生まれてすぐに作曲をしたといわれている。考えるに体に結び付いた記憶というのは、次の世にも持っていけるのではないかと思う。しかし、我々一般人には、魂が生き残ると考えても、前世の記憶は一般的にはないというのが普通です。※注1 それは前世の記憶があると現世で生きていくのに、なまじっか障害になるからということのようです。生まれてくるときに、前世では真面目に輪をかけた程、誠実に生きたので、次はハチャメチャに生きたいとか希望して現世に来るというのもありです。もちろん、それとは違って、次の世でもまったく同じ性格で誠実に生きることだってあり得ます。

 その人の「前世・現世・来世」を考えた時には、いまの世を最後まで生き切ってから、今の世を完全に生き切った「土台」の上に、次の世をどうするかを考えなければならないようです。とすれば、これが途中で命が尽きるかもしれないといって、勉強を投げ出すのではなく、最後まで生き切って、来世をどうするかを考えるべきであって、そうでないと神様に大目玉を食う可能性があるということです。※注2 この世を最後まで生き切るために、勉強を投げ出してはならないのです。
 
 ※注1 ただし、現世を離れると来世に生まれるまで(これを中間世というようです。)は、今まで生きたすべての記憶を取り戻すといわれています。
 ※注2 これは、高齢のみをもって勉強をあきらめる場合であって、例えば経済的とか時間的余裕がない場合等の他の理由が主であるを指すのではありません。


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