松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

きっかけはどこで生まれたか

2013-06-04 05:39:00 | 櫨伝導への道

 松山櫨復活委員会を立ち上げたきっかけは?とよく聞かれます。


 


いつもこう答えてきました。

 

たまたま仕事の関係で、地元の久留米市田主丸町が植木苗木の里であり、その歴史を調べると、江戸時代に櫨の苗木作りを盛んに行ったことがルーツになっていたことを知った…うんぬん。

 

この答えを言うと、大抵の人は半分わかったような、半分納得がいかないような顔をされます。

 

私自身もそれ以上のことをどう答えたらいいのかわからなくて、ある種もどかしさを感じながら、6年もたってしまいました。

 

私は以前、地元情報誌の編集の仕事をしていました。

職場は殺伐とした雰囲気で、毎日どんどん身を削られていくような忙しさの中にいました。

 

自分が社会という大海原の中で、潮の流れに身をまかせたまま、プカプカ浮いたり沈んだりして漂っているような気がして、どこにたどり着くのかわからないまま人生を終わってしまうんじゃないかと不安や焦り、諦めすら感じていたのです。

 

当時、私は毎月4人の方にインタビューするページを受け持っていました。地元の各方面で活躍している人から話を聞いてまとめて書く仕事です。

 

たくさんの人から話を聞くうちに、次第に私は自分が聞きたいことが絞られてくるような気がしました。結局、自分が聞きたいことは一つしかないのです。

 

それは「きっかけ」です。

 

私がインタビューした人の多くは、明らかに大海原を漂っている人ではなく、目的や意志を持って進んでいました。まるで水先案内の灯りを持っているかのようです。その灯りは周囲を照らしていて、その明るさに人々は寄ってくるのです。

 

ではなぜその灯りを持てるようになったのか?

 

その答えを知りたくてしつこく質問するのですが、なかなか満足のいく答えは得られませんでした。何年も私は答えを聞きたくて質問し続けました。

 

人に質問しているうちに、今は逆に質問される側になりました。

 

活動を始めて6年。私がどうしても聞きたかったことに、自分は答えられるでしょうか?自問自答してみました。

 

櫨の活動をやってみたいと思ったきっかけはなんだったんでしょう?

 

答えは一つです。

大海原を照らす灯りが欲しかったから。

そして、私には櫨が大海原を照らす灯りに見えたからです。

 

どこに彷徨っていくのか不安でたまらなかった自分が、ようやく安心できた心の拠り所です。

 

櫨灯りに出会えて本当に良かったなと思います。

 


 



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