松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

櫨の石鹸プロジェクト その4 汚名返上へ

2014-09-12 09:19:22 | 櫨ものがたり
どんなものでも石鹸を作る。チャレンジする。

そのポリシーを持つ石鹸会社が、まるは油脂化学(株)です。

まるは油脂化学(株)は1932年(昭和7年)創業。久留米市で天然素材にこだわった無添加石鹸の製造を行っており、久留米で生み出される良品といえば、ここの石鹸をあげる人も数多くいます。

まるは油脂の創業当時、石油も物資もない頃に、なんと櫨蝋で石鹸が作られて市場に出回っていたそうです。

第二次世界大戦は石油争奪戦とも言われています。皆が石油に目を向ける中、時代から置いてけぼりになった櫨蝋。天災にも戦争にもほとんど影響受けない樹木は、当時はまだ多くの木が残っていて、ふさふさとした実をつけていました。

私は元製蝋業の方から、油脂不足の中で、櫨に目をつけて石鹸を作り始める人が数多くいたと聞いたことがあります。

しかし、なぜそのまま櫨の石鹸が作り続けられなかったのかはわかりませんでした。

どうして櫨の石鹸は作られなくなったのか。

まるは油脂化学(株)の林社長に聞くと、
「あの頃は、素人が勝手に知識もないのに石鹸を作ってたんだよ。櫨蝋はたまたま手っ取り早く使える油脂だったからね。」

当時、櫨蝋で作った石鹸は鹸化もまともにできていないドロドロとした悪質な石鹸ばかりだったそうです。

「ウチの会社は、そんな質の悪い櫨蝋石鹸を止めさせようと、他の材料でがんばって作ってきた会社なんだよ。」

悪い櫨蝋石鹸。

ただでさえカブれることで憎まれっ子の櫨が、石鹸となっても憎まれて歴史の渦に消えていたとは。

「あの頃は、みんなが櫨蝋というものをわかってなかった。きちんと櫨蝋を理解して作れば、良い石鹸ができるかもしれない。」

まるは油脂は創業以来、ありとあらゆる油脂で石鹸づくりをしてきました。

そしてそのポリシーは、
「どんなものでも石鹸をつくる。チャレンジする」です。

悪い櫨蝋石鹸をやっつけようと戦った石鹸会社が、80年の時を経て、今度は櫨蝋で一番良い石鹸を目指すことに同意してくれました。

今こそ、櫨が罵られてきた汚名を返上する時です。

「80年前にできなかったことにチャレンジする。原点に戻れるね。」

林社長は私が渡した試作用の櫨蝋を鼻に近づけて、匂いをかぎました。
「うん。油脂のいい香りがする。」

櫨蝋ときちんと向き合ってくれる社長が、そこにいました。

その5につづく

櫨の石鹸プロジェクト
その1はこちら。
その2はこちら。
その3はこちら