縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

お引越し(★★★☆☆)

2025-02-17 08:31:22 | とある田舎のミニシアター
 いやぁ~、田畑智子がすごい。走るわ走る…。勿論、演技も素晴らしい。表情がいい。わずか12歳にして、それもデビュー作でいきなり主演である。相米監督自らオーディションに参加するよう誘ったというから、主人公レンコのイメージ通りの女の子だったに違いない。

 物語は、少女が一夏の経験を経て一歩大人へと成長する話である。大人は勝手だというが、子どもはやっぱり自分が一番。別居し、離婚目前の両親をなんとか仲直りさせようと奮闘するが、どれもうまく行かない。父と母の気持ちは既に修復しがたい状態だった。子どもにしてみると両親は仲が良く家族皆一緒にいるのが当たり前。離婚なんかとんでもない。レンコには両親が自分の父と母である以前に男と女であることなどまだ分からない。それが、家族で旅行した思い出の琵琶湖で不思議な経験(夢?)をし、理由は分からないままだと思うが、両親の離婚を受け入れる気持ちへと変わって行く。「おめでとうございま~す。」と、2人の、そして自分の新たな門出だと考えられるようになった。

 本作は1993年の作品の4Kリマスター版である。30年以上前の映画であり、自動車、電話、家電、服装、髪型等々、時代を感じる所が多い。懐かしい。が、それ以上に俳優の昔を見ることができおもしろかった。
 朝ドラ女優となり今も活躍する田畑智子が子役。父親役は中井貴一であるが、とにかく若い。彼がこんな薄っぺらい男の役が合うとは思っても見なかった。レンコの担任の先生は笑福亭鶴瓶。当時は40代前半、今よりはふてぶてしくない。
 そして母親役は桜田淳子。今のところ彼女の最後の映画出演である。歌は知っているが、彼女の演技はほとんど見たことがなかった。思いのほか上手い。芸能活動を続けていれば いしだあゆみのように女優としても活躍できたであろうに残念だ。
 映画の楽しみ方としては邪道かもしれないが、古い映画ってこうした発見もあっておもしろい。

ドリーミン・ワイルド(★★★☆☆)

2025-02-15 14:10:11 | とある田舎のミニシアター
 家族の愛情と再生の物語である。「信じる者は救われる」ではないが、互いを信じ、支え合う家族に幸せな偶然、幸運が訪れる。映画はアメリカの兄弟デュオ、ドニー&ジョー・エマーソンの数奇なアルバム“Dreamin’ Wild”を巡る実話が基。が、音楽映画というより心温まるヒューマン・ストーリーである。

 舞台はアメリカ北西部ワシントン州の片田舎。1,600エーカーもある広大な農場を営む家族の話。父親が買ったトラクターのラジオから流れる音楽を夢中で聴いた十代の兄弟。才能に恵まれた弟ドニーは、独学でギター、ピアノ等の演奏をマスターし、やがて曲まで作るようになる。兄のジョーはドラムをたたき、ドニーと一緒に演奏した。2人の音楽に熱中する姿を見た父親は、自ら練習場を作って応援する。しまいには立派な機材を購入し、レコーディング・スタジオまで作った。そこで録音されたのが “Dreamin’ Wild”。もっとも田舎の農家だからレコードの流通など何も分からない。ご近所さんに売るのが関の山。彼らの音楽が世間に知られることはなかった。残ったのは借金だけ。農場の大部分を売却する羽目になる。
 そこから30年、奇跡が起こる。偶然アンティーク・ショップで “Dreamin’ Wild”を買い、その音楽に感動した人間がブログで彼らの音楽を紹介。そこからじわじわっと人気が拡がり、ついには “Dreamin’ Wild”がレコード会社から再リリースされることになった。素直に喜ぶジョーと両親。ただ1人、戸惑うドニー。
 実はジョーは音楽から足を洗い、両親の農場の仕事を引き継いでいた。一方、ドニーは音楽活動を続けていたものの、ずっと鳴かず飛ばす。あのときは見向きもされなかったのに何故今認められたのか。十代の頃と同じようには歌えない。そこからの進化を見せなくてはいけない。そして、金銭的に大きな負担をかけてしまった両親に何か埋め合わせはできるだろうか。そう、ドニーは父親にずっと負い目を感じていたのである。焦り、苛立つドニーだった。そして、ジョーに暴言を吐いてしまう…。

 ドニーは家族の深い愛情を知り、過去と向き合い、前に進むことができた。詳しくは映画を見てのお楽しみ。

 このエマーソン・ファミリーって本当に素晴しい家族だ。最近の流行で言えば “利他” の極み。ブレない信念と愛情。でも、ドニーのように才能のある人間なら良いが、僕のような特段取り柄のない人間だと却って重荷に感じてしまうに違いない。生まれ育ったのがさほど立派な家でなくて良かった! ほっ。

敵(★★★☆☆)

2025-02-11 18:43:05 | とある田舎のミニシアター
 “老い” の物語である。妄想(あるいは夢?)と現実が交錯し、何が事実で何が虚構かあやふやになる。長塚京三演じる77歳の元大学教授が創る世界に見る側も混乱する。
 この映画は、きっちりした起承転結がないと嫌な人やハッピーエンドを期待する人にはお勧めできない。監督は何を言いたいのか、あのシーンの意味は?等、あれこれ考えるのが好きな人向きの映画である。

 主人公の元大学教授 渡辺は、妻に先立たれて20年一人暮らし。かといって家が散らかることもなく、炊事、洗濯、掃除はお手のもの、日々整然と暮らしている。社会から孤立もしていない。友人もいれば、未だ訪ねて来る教え子もいる。出版社とのつきあいもあるし、時折講演することもある。フランス文学の大御所なのである。日々の収支と預貯金から、あと何年お金が持つか、生きられるかを計算し、その時点で死ねば良いと考えている。大学教授らしい理性の人だ。
 が、そこに突然“敵”がやって来る。

 ところで、この映画には食事のシーンが多い。渡辺が一人で食事を作り黙々と食べる。外食ではなく、また総菜を買ってきて済ませるのでもない。それなりに拘って料理する。コーヒーも手動のコーヒーミルで豆を挽き丁寧に淹れる。食欲については貪欲というか、抑えてはいない。
 では、同じ欲求でも性欲はどうか。理性の人である渡辺は、女性に対する思いをずっと抑えて来た。女性に対しては真面目というか、奥手だった。教授時代、お気に入りの教え子と食事に行くことはあっても、その先に進むことはなかった。どうも亡くなった妻との関係も淡泊だったようだ。そしてその反動が、年老いて何かのタガが外れ(ボケではないと思う)、妄想として出て来るようになった。そう、彼の妄想は性と係わるものが多い(もっとも嫌らしいというより滑稽なものが多いのでご安心を)。性欲というか、女性への思いを抑圧して来た結果、いびつな形での妄想になったのだろう。

 しかし、妄想で渡辺の理性が崩壊することはない。バーで出会った女性にお金を騙し取られることはあったが(これは妄想ではなくリアルだと思う)、それで路頭に迷うことはない。信じたくないものの事実として受け止めている。ただ、彼は妄想と現実の区別がだんだんつかなくなったのではないだろうか。そのために遺言を書き直したのだと思う。
 勿論、彼は“敵”に殺されるわけではない。“敵”は彼の妄想が創ったのだから当然である。“老い” による妄想、それにボケや認知症、これは皆に起きるとは限らない。一種賭けのようなものだろうか。その賭けに当たらないことを願うが、渡辺を見ていると彼は彼なりに楽しかったのかもしれない。大変なのは周りの人間か。

型破りな教室(★★★★☆)

2025-02-07 14:58:57 | とある田舎のミニシアター
 夢を諦めてはいけない。自ら可能性を狭めてはいけない。
 その大切さを改めて感じさせてくれた良い映画だった。実話だというのも驚きだ。

 筋としては割とありきたり。落ちこぼればかりの学校に赴任した熱血教師が子どもたちに大きな変化をもたらし、成績を国内トップクラスへと向上させるというもの。これだけ聞くと「あー、よくあるパターンね。」とあまり見る気が起きないかもしれない。
 が、この映画には他と違う面白さがある。

 まずは舞台というかシチュエーション。メキシコ映画であるが、首都のメキシコシティではなく、アメリカ国境近くのマタモロスという町が舞台。麻薬絡みの犯罪が多く、殺人も日常のようだ。
 次に子どもたちの才能。数学の天才がいたり(因みに1から100まで足すといくつになるか瞬時に計算できますか?)、小学校6年生にも拘わらず哲学に目覚める子がいたり(メキシコはカトリックが多いが、その子が市の役人の前で中絶について語るのは面白かった)。また子どもたちの演技がとても自然で良かった。
 そして熱血教師の悩み、人間らしさ。前の学校で挫折を経験したが、自らの理想を追い求めることを諦めない。新しい学校で、指導要領なんか無視し、子どもたち自らが疑問を持ち、考え、答えを探して行く、そんな教育をしたい。教師はただ子どもたちにきっかけを与えるだけ。教師は、そして親や貧しさなどの家庭環境も、子どもたちの可能性を閉ざしてはいけない。
 しかし、熱血教師も自らの行動に自信を持てず悩むことも。そんな彼を上手に導く校長先生が良かった。最初は権威主義の嫌なやつかと思ったが、とってもステキな人物だった。まさに理想の上司である。

 大人になるということは、これはダメ、あれはできないと、自らの可能性を切り捨てて行くことかもしれない。でも中年の熱血教師を見ていると、自分にもまだ出来ることがあるのではと思えた。年齢などは関係ない。この映画は子どもや若者だけでなく、悩める中高年にも見て欲しい映画だ。
 映画館を出た僕は、心なしか、いつもより力強く、しっかりと歩いていた。


『アイミタガイ』 ~ 一歩前に踏み出す勇気

2024-11-15 21:47:01 | 芸術をひとかけら
 確かにいい人しか出てこない話って嘘くさいけど、これはファンタジーだから許されるだろう。見終わって、泣けたし、年齢に関係なく新しい一歩踏み出す勇気をもらえた映画だった。

 人は一人で生きているのではなく、どこかで誰かと繋がっている。そしてその誰かも、また違う誰かと繋がっている。そして、その誰かの先にも・・・。
 この映画は、かけがえのない親友を失った主人公、その親友の両親、戦争のトラウマを引きずる女性など、人生の希望や目標を失って立ち止まってしまった人たちが、周りの人々のやさしさや想いに触れ、それにちょっとした偶然もあり、それぞれがまた前に進み始める物語である。そう、再生の話だ。

 “アイミタガイ(相身互い)”とは、同じ境遇や身分の者どうしが互いに同情し助け合うことや、その間柄をいう。が、ここでは、この言葉を同情とかではなく、持ちつ持たれつや「情けは人の為ならず」的に捉えている。「情けは人の為ならず」は、情けを掛けるのはその相手の為にならないと誤解されがちだが、本当は人に情けを掛けておくと巡り巡って結局は自分のためになるという意味である。映画では、相手のことを思ってしたことや、ただ何気なくしたことが結果的に自分に良い結果をもたらしている。

 主人公を演じる黒木華をはじめ、その恋人役の中村蒼、かけがえのない親友役の藤間爽子、これら若手の自然な演技が良い。中堅・ベテランの役者が渋く脇を固める。そして、草笛光子。ちょっと存在感あり過ぎな気がしないでもないが、映画に欠かせない役を見事に演じている。

 映画を見て“アイミタガイ”は本当にいい言葉だとしみじみ思った。最近はあまり聞かないが、それだけ日本が殺伐とした世の中になったということだろうか。ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルのガザやレバノン、さらにはイランへの攻撃など、こんな世界だからこそ“アイミタガイ”が心に滲みる。
 自分のちょっとした行動で何かが少し変わるかもしれない。世の中の誰かにとって、はたまた自分にとって良くなるかもしれないのである。“アイミタガイ”の気持ちがあれば、きっと明日は今日より良い日になる。何の根拠もないが、そう信じさせてくれる映画だった。