「邯鄲の夢」という故事がある。人の一生の栄枯盛衰ははかないものである、という意味だ。この『英国王給仕人に乾杯』を見て、この言葉を思い出した。
この映画は日経の夕刊で知った。レビューで大絶賛されており、どれ、見に行ってみるか、と思ったのである。それが昨年の12月、かれこれ1ヶ月半前のこと。公開も終わりに近づいた中、漸く見に行ってきた。なんとか間に合ったという感じだ。
当初は満員だったらしいが、さすがにこれだけ日数が経ち、かつ終わるのが夜の10時近くという平日の最終回とあって、随分空いていた。指定席だったので、窓口で「真ん中あたりで端の席で良いから隣の空いている席」とお願いしたが、そんな必要はなかった。仮に左右両隣の席を使ったとしても誰も文句を言わないような客の入りである。映画館に着いたのはギリギリ、滑り込みセーフであったが、お陰様で急いた気持ちを忘れ、ゆったりとした気分で見ることが出来た。
さて、どんな映画かというと、時は第二次世界大戦前から1960年代前半、ドイツの保護領となり戦後社会主義となったチェコスロヴァキアが舞台、ヤンという男が百万長者のホテル王になることを夢み、田舎町のレストランを振り出しに高級娼館、プラハの最高級ホテル、ドイツ軍の研究所(ナチ親衛隊向けの娼館?)と渡り歩き、そして遂にホテルのオーナーになるが、それも束の間、今度は投獄され、果ては国のはずれの廃村に追いやられる、という話である。
これだけ聞くと限りなく暗い話のように聞こえるかもしれないが、それは違う。人間の愚かさや醜さをユーモラスに描き、そして富も名誉も気にしない人生が最高だと教えてくれる映画なのである。「邯鄲の夢」とは違い、ヤンは自らの数奇な人生、幸運と不幸のどんでん返しの続く人生により、一生の栄枯盛衰のはかなさを教えてくれるのであった。
「英国王の給仕人」というのは、ヤンが師と仰ぐ最高級ホテルの給仕長が、英国王に給仕したことがあると自慢していたことに由る。彼はチェコスロヴァキア人であり、ドイツ軍に反抗して捕らえられてしまう。ドイツ人の女性と結婚したヤンとは違い、筋金入りの愛国者。このタイトルは彼に敬意を表したものである。
この映画は我々になじみの薄いチェコスロヴァキアという国のことを知るのにも役立つ。当時のイギリス首相チェンバレンが、チェコスロヴァキアを渡せばヒトラーもおとなしくなるだろうと、ドイツにチェコスロヴァキアとの併合を認めたと世界史で習った。それが実際にどういうものだったのか、チェコスロヴァキア人とズデーテン地方に住むドイツ系住民との関係がわかっておもしろかった。因みに、この映画ではドイツ人と金持ちが極めて愚かに描かれている。
最後に、なぜ英国王か、について。
映画を見た時は、ヒトラーの属国、占領下のチェコスロヴァキアにあって、自由の国、ヒトラーと戦う国であるがゆえの憧れから、あるいはエールを送る意味で英国かと思った。一方のヤンは英国王に給仕したことなど勿論なく、同じ王は王でも給仕したのは、ムッソリーニのイタリアに支配されたエチオピアの国王である。ドイツ人の女性と結婚する彼の将来を暗示していたのかもしれない。この映画には風刺と、その伏線が多く用意されている。
が、とすると、英国王にも違う意味があるのかも知れない。「あんたのせいでドイツの属国となり本当に散々な目にあったが、それで漸く人生というものがわかったよ。やっぱりあんたには礼を言った方が良いのかな、まあ乾杯でもしとくか・・・・。」
もしこれが本当だったら、チェコスロヴァキア人のユーモアの奥深さというかシニカルさに脱帽、それこそ乾杯(完敗?)である。
この映画は日経の夕刊で知った。レビューで大絶賛されており、どれ、見に行ってみるか、と思ったのである。それが昨年の12月、かれこれ1ヶ月半前のこと。公開も終わりに近づいた中、漸く見に行ってきた。なんとか間に合ったという感じだ。
当初は満員だったらしいが、さすがにこれだけ日数が経ち、かつ終わるのが夜の10時近くという平日の最終回とあって、随分空いていた。指定席だったので、窓口で「真ん中あたりで端の席で良いから隣の空いている席」とお願いしたが、そんな必要はなかった。仮に左右両隣の席を使ったとしても誰も文句を言わないような客の入りである。映画館に着いたのはギリギリ、滑り込みセーフであったが、お陰様で急いた気持ちを忘れ、ゆったりとした気分で見ることが出来た。
さて、どんな映画かというと、時は第二次世界大戦前から1960年代前半、ドイツの保護領となり戦後社会主義となったチェコスロヴァキアが舞台、ヤンという男が百万長者のホテル王になることを夢み、田舎町のレストランを振り出しに高級娼館、プラハの最高級ホテル、ドイツ軍の研究所(ナチ親衛隊向けの娼館?)と渡り歩き、そして遂にホテルのオーナーになるが、それも束の間、今度は投獄され、果ては国のはずれの廃村に追いやられる、という話である。
これだけ聞くと限りなく暗い話のように聞こえるかもしれないが、それは違う。人間の愚かさや醜さをユーモラスに描き、そして富も名誉も気にしない人生が最高だと教えてくれる映画なのである。「邯鄲の夢」とは違い、ヤンは自らの数奇な人生、幸運と不幸のどんでん返しの続く人生により、一生の栄枯盛衰のはかなさを教えてくれるのであった。
「英国王の給仕人」というのは、ヤンが師と仰ぐ最高級ホテルの給仕長が、英国王に給仕したことがあると自慢していたことに由る。彼はチェコスロヴァキア人であり、ドイツ軍に反抗して捕らえられてしまう。ドイツ人の女性と結婚したヤンとは違い、筋金入りの愛国者。このタイトルは彼に敬意を表したものである。
この映画は我々になじみの薄いチェコスロヴァキアという国のことを知るのにも役立つ。当時のイギリス首相チェンバレンが、チェコスロヴァキアを渡せばヒトラーもおとなしくなるだろうと、ドイツにチェコスロヴァキアとの併合を認めたと世界史で習った。それが実際にどういうものだったのか、チェコスロヴァキア人とズデーテン地方に住むドイツ系住民との関係がわかっておもしろかった。因みに、この映画ではドイツ人と金持ちが極めて愚かに描かれている。
最後に、なぜ英国王か、について。
映画を見た時は、ヒトラーの属国、占領下のチェコスロヴァキアにあって、自由の国、ヒトラーと戦う国であるがゆえの憧れから、あるいはエールを送る意味で英国かと思った。一方のヤンは英国王に給仕したことなど勿論なく、同じ王は王でも給仕したのは、ムッソリーニのイタリアに支配されたエチオピアの国王である。ドイツ人の女性と結婚する彼の将来を暗示していたのかもしれない。この映画には風刺と、その伏線が多く用意されている。
が、とすると、英国王にも違う意味があるのかも知れない。「あんたのせいでドイツの属国となり本当に散々な目にあったが、それで漸く人生というものがわかったよ。やっぱりあんたには礼を言った方が良いのかな、まあ乾杯でもしとくか・・・・。」
もしこれが本当だったら、チェコスロヴァキア人のユーモアの奥深さというかシニカルさに脱帽、それこそ乾杯(完敗?)である。