あけましておめでとうございます。
最近さぼりがちですが、本年も宜しくご愛読の程お願い申し上げます。
今日は元旦。
元旦といえば年賀状。
実は、年賀状に凝っている。自慢ではないが、送った方からの評判もすこぶる良い。年賀状を褒められたり、年賀状のことで質問されたりすることがよくある。
構成は毎年決まっていて、新年の挨拶に始まり、僕と妻のそれぞれの挨拶、1年間に撮った写真数枚とそのコメント、といった流れだ。「なんだ、珍しくも何ともないじゃない。」とか、「パソコンで作るなら普通だよね。」とか思った方も多いだろう。が、違うのはその内容だ。ありきたりの挨拶やコメントではなく、一ひねりし、ちょっと笑える内容にしている。正直、我が家の年賀状ほど楽しい年賀状は見たことがない(って、結局自慢してる?)。
今年の年賀状も、前回買った年賀状ソフトの使い方がよくわからない、プリンターが壊れる等の困難に見舞われながらも、なんとか作り上げ、手書きのコメントを添え、無事投函した。
しかし、今年はいつものように新年を迎える気にならなかった。幸い、僕や家族に震災の被害はなかったものの、年賀状を送っている方には東北の方もいらっしゃるし、ご家族やご親戚あるいは親しい友人が東北にいる方も多いと思うからだ。ただ明るく、無邪気に新年を祝うことはできなかった。
勿論、僕がそうした方に何か出来るわけではないし、僕が何を思おうと事態が改善するわけではない。ほんの気休めか自己満足に過ぎないかもしれないが、今年の年賀状は、面白さは考えず、素直に今の気持ちを書くことにした。
「目出度さも ちう位也 おらが春」
この俳句と背景は違うが、僕も同じ気持ちだった。国内では震災に原発事故、それに紀伊半島の豪雨、海外に目を向ければ欧州債務危機にタイの洪水。
あまり目出度い世の中ではないし、明るくなる兆しも見えないが、やはりお正月はお正月。喪失感や無力感を感じながらも、今、自分が生きていること、生かされていることに感謝し、それを大事にして行きたい。
今年が皆様にとって より良い一年になりますように。
最近さぼりがちですが、本年も宜しくご愛読の程お願い申し上げます。
今日は元旦。
元旦といえば年賀状。
実は、年賀状に凝っている。自慢ではないが、送った方からの評判もすこぶる良い。年賀状を褒められたり、年賀状のことで質問されたりすることがよくある。
構成は毎年決まっていて、新年の挨拶に始まり、僕と妻のそれぞれの挨拶、1年間に撮った写真数枚とそのコメント、といった流れだ。「なんだ、珍しくも何ともないじゃない。」とか、「パソコンで作るなら普通だよね。」とか思った方も多いだろう。が、違うのはその内容だ。ありきたりの挨拶やコメントではなく、一ひねりし、ちょっと笑える内容にしている。正直、我が家の年賀状ほど楽しい年賀状は見たことがない(って、結局自慢してる?)。
今年の年賀状も、前回買った年賀状ソフトの使い方がよくわからない、プリンターが壊れる等の困難に見舞われながらも、なんとか作り上げ、手書きのコメントを添え、無事投函した。
しかし、今年はいつものように新年を迎える気にならなかった。幸い、僕や家族に震災の被害はなかったものの、年賀状を送っている方には東北の方もいらっしゃるし、ご家族やご親戚あるいは親しい友人が東北にいる方も多いと思うからだ。ただ明るく、無邪気に新年を祝うことはできなかった。
勿論、僕がそうした方に何か出来るわけではないし、僕が何を思おうと事態が改善するわけではない。ほんの気休めか自己満足に過ぎないかもしれないが、今年の年賀状は、面白さは考えず、素直に今の気持ちを書くことにした。
「目出度さも ちう位也 おらが春」
この俳句と背景は違うが、僕も同じ気持ちだった。国内では震災に原発事故、それに紀伊半島の豪雨、海外に目を向ければ欧州債務危機にタイの洪水。
あまり目出度い世の中ではないし、明るくなる兆しも見えないが、やはりお正月はお正月。喪失感や無力感を感じながらも、今、自分が生きていること、生かされていることに感謝し、それを大事にして行きたい。
今年が皆様にとって より良い一年になりますように。