縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
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民主主義とトルコの反政府デモ

2013-06-09 23:12:19 | 海外で今
 ノーベル経済学賞を受賞したケネス・J・アローの業績の一つに『不可能性定理』がある。それは、合理的な個人からなる社会に民主主義のごく弱い条件を課しただけで独裁者が存在する、即ち民主的な意思決定がなされないことを示したものである。
 説明すると長くなる、もとい僕にわかりやすく話すことはできないので詳細は割愛するが、今回のトルコのデモを見て、ふとこのアローの定理を思い出した。

 5月27日、イスタンブールで始まったデモは、ごく小規模かつ非暴力の静かな座り込みだった。その目的は、市の中心部にあるタクシム広場に隣接するゲジ公園の再開発反対。貴重な公園の樹木(結構な大木らしい)を伐採するな、ショッピングモールなど要らない、と環境活動家が始めたのである。確かにイスタンブールの町は緑が少なく埃っぽかった記憶がある。東京でいえば、日比谷公園や代々木公園をつぶして商業施設を作るようなものであろう。市民が怒るのも無理はない。
 状況が大きく動いたのは5月31日。警官隊がデモ隊に催涙ガスや放水を行う等強制排除に乗り出したのである。無抵抗の市民を警察が攻撃しているとの話がネットで拡がり、行き過ぎた警察の行為に抗議する動きが全国に飛び火した。
 そして、それが夜間のアルコール販売禁止などイスラム化を推し進めるエルドアン首相に反対する動きと結び付き更に拡大し、今の状況に至ったのである。既に2週間近く経つが未だ解決の糸口は見えない。

 エルドアン首相はイスラム主義政党である公正発展党(AKP)を率い、2003年に首相になった。もう3期目、10年になる。この間、スカーフの一部着用容認、アルコール販売の制限等イスラム化を進める一方、経済自由化により高い成長を実現し、地方の敬虔なイスラム教徒を中心に高い支持率を誇っている。そう、この10年AKPは選挙で勝ち、第1党の座を維持している。トルコ国民皆がデモ隊を支持しているのではない。おそらく半数以上の国民は、程度の差こそあれ、首相側に立っている。今のところ行動に出ていないだけである。
 しかし、首相の独裁的、強権的なやり方にトルコ国民の不満が高まっていることも事実だ。例えば、政府の言論統制。デモが拡大した当初、テレビでは、政府の報復を恐れ、デモのことが一切放送されなかったという。また、政府当局により投獄されているジャーナリストの数の調査があり、それによるとトルコは49人で世界最多。イラン(45人)や中国(32人)を上回るのだから相当なものである。エルドアン首相の長期政権が続く中、トルコでは言論の自由が大きく制限されているのである。

 ところで、タクシム広場には近代トルコ建国の父・アタチュルクの銅像が立っている。第一次世界大戦後、彼はトルコの大統領となって大胆な欧化政策を進め、イスラム教の政治への影響を排除した世俗主義と共和主義をトルコの政治の基本に据えた。彼がトルコ共和国建国の父と言われる所以である。しかし、彼も半ば独裁的かつ強権的に脱イスラムを進めたことを考えると、方向が逆なだけで、エルドアン首相と変わらない気がする。民主主義国家における独裁、やはり冒頭のアローの定理は現実に当てはまるということか。
 まあ、どこかの国は民主主義が本当に根付いていないせいなのか、その良し悪しはともかく、独裁者が出て来ない、ひ弱な政治家しかいない気がする。サッカー・ワールドカップ出場決定では盛り上がっても、何かの政治的問題で自らの危険も顧みずデモを行う姿は想像できない。この国民にこの政治家か、と反省してしまった。いずれにしろトルコのデモが、これ以上死傷者を増やすことなく、早く解決することを祈りたい。