縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

欧米の首脳がソチの開会式を欠席する理由

2014-02-03 00:22:36 | 最近思うこと
 早いものでもう2月。今週の金曜日、2月7日からソチ・オリンピックが始まる。
 そのソチの開会式であるが、アメリカのオバマ大統領や、今本業以外で話題のフランス・オランド大統領など欧米各国の首脳は、早々に欠席を決めている。昨年ロシアが制定した「同性愛宣伝禁止法」などロシアの人権侵害への抗議が理由である。
 主要国で開会式に出席するのは、中国の習近平国家主席と我が国の安倍首相。各々ロシアとは複雑な関係があり、ここはプーチンの顔を立てた方が得策との判断があったのであろう。さらに、中国共産党最優先の中国はそもそも人権問題に関心がないし、我が国は同性愛など性的少数者の人権について未だ世間一般の関心が低いというのも理由かもしれない。

 我が国における同性愛をタブー視する考え、偏見は、実は意外に新しいものである。古くから“男色”という言葉がある通り、奈良、平安の昔から男と男の関係についての記録が残っている。織田信長の森蘭丸は有名であるが、武士だけでなく僧侶、貴族、それに一般大衆の間にもそうした関係があったという。それが明治以降の欧米思想の導入、とりわけキリスト教の価値観により同性愛はタブーとなったのであった。
 キリスト教は生殖に繋がらない性行為は罪としており、よって同性愛も自慰行為も罪なのである。(因みに、オナニーの語源となったオナンは旧約聖書の登場人物であり、精液を地に漏らしたがゆえに神に処刑されている。)仏教はそこがおおらかだったことから、従来我が国では“男色”に対する社会的抵抗が少なかったのであろう。
 もっともこれは何も日本に限った話ではない。そもそも“男色”は中国から来た言葉であり、つまり“男色”は中国で特異な行為だったわけではない。また古代ギリシアにおいても、少年に対する愛は当たり前のものとされており、あのソクラテスも美しい少年を横に侍らせていたらしい。

 「同性愛宣伝禁止法」はキリスト教の教えに従ったものといえるが、欧米では昨今の人権意識の高まりにより、人を人種や民族、肌の色などで差別しないのと同じく、性的志向によっても差別すべきではない、性の多様性を認めるべきだとの考えが強くなっている。2000年以降、オランダやスウェーデンなど多くのヨーロッパの国々が法的に同性婚を認めてきた。そして昨年5月フランスも同性婚を認め、またアメリカでも6月に「結婚は男女間に限る」とした「結婚防衛法」が最高裁で違憲と判断された。
 勿論、そうした国々でも、性的少数者が法的に差別されないからといって、社会的にも差別されていないとは限らない。やはりキリスト教のなかった昔には戻れないのである。

 恥ずかしながら、私自身、あまり性的少数者が直面する差別や問題について考えたことがなかった。それが昨年「虹色ダイバーシティ」という、性的少数者がいきいきと働ける職場づくりのための活動をするNPO法人の話を聞き、目から鱗というか、初めて関心を持った次第である。
 同性愛は違法行為でもなければ病気でもない。性的少数者の比率は、おそらく昔も今もさほど変わらないであろう。が、私も含め、多くの日本人はその問題から目を背けている気がしてならない。
 安倍首相がその政治的判断でソチ・オリンピックの開会式に出席することの是非はともかく、欧米の首脳が欠席する理由について、その意味なり背景を自分なりに考えてみてはどうだろうか。オリンピックを無条件で礼賛する雰囲気の強い我が国では、そこが話題になっておらず残念である。