縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

花の命は結構長い!

2015-04-12 13:59:14 | 最近思うこと
 「『花の命は結構長い』っていう言葉が好き。“結構”っていうのがミソなのよね。」と、古い友人が言った。
 一般的には「花の命は短い」で、女性が美しく輝いている時間は短いという意味で使われている。この「~結構長い」は、以前生保のCMで使われたフレーズである。最近の美魔女ブームの話ではない。頑張っている女性を応援する保険のCMだった。見た目の美しさではなく、人として一生懸命生きている、輝いているといった意味で使われていたように思う。
 このCMのことなどすっかり忘れていたが、彼女が言うのを聞き、僕もすぐこの言葉が気に入ってしまった。やっぱり僕も“結構”がミソだと思う。

 4月で大学を卒業し働き始め30年になった。十年一昔というから、もう三昔。年を取るわけである。もっとも孔子のように不惑、知命とはいかず、未だ惑うことばかりだし、天命はおろか当面の目標すらおぼつかない有様だが。本当にお恥ずかしい限りである。
 残された時間で世のため他人(ひと)のため、そして勿論自分自身のため、何かをやりたい、始めたいとの思いはある。が、その何かが見つからず、ただ漫然と時間だけが過ぎて行く。そして、日々の生活に追われ、だんだんその思いすら忘れがちになる。

 そんな中で聞いた「花の命は結構長い」。これはなにも女性に限った話ではないはずだ。人間誰しも皆、長いこと輝いていたいのだから。そこでミソとなるのが“結構”という言葉。この文脈で考えると、輝いていられる時間は、若いうちだけでなく、あなたが思っているよりも長い、それなりに十分長い、といった意味であろう。
 これをさらに僕なりに解釈すれば、あなたが夢や希望を捨てず、毎日一生懸命、前向きに生きて行けば、それが実現する・しないは別として、ずっと輝いていられるという意味になる。“結構”には、長いも短いも、それはあなた次第なのよ、というニュアンスが込められている気がするのである。

 僕が大学生の頃、サミュエル・ウルマンの『青春の詩』がブームになった。あの「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。 ~ 年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。 ~ 」という詩である。
 正直、当時の若かった僕の心にこの詩はまったく響かなかった。ふ~ん、まあそうかもしれないね、といった感じ。しかし、年と共に段々この詩に親近感を覚えるようになり、そうあって欲しいと思うようになってきた。
 もう一つ、これは最近知った話だが、ケンタッキーおじさんとして有名なカーネル・サンダース。彼が今の形態のケンタッキー・フライドチキンのビジネスを始めたのは、なんと彼が65歳の時だという。何かを始めるのに年齢は関係ない。要は本人のやる気である。
 「花の命は結構長い」ことを信じ、年齢など気にすることなく、前向きに生きて行きたい。