僕は旅先で写真を撮らない。昔は写真が好きだったのだが。高校生の時、写真好きの友人の真似をし、なけなしのお年玉で一眼レフを買った。翌年には望遠レンズも買った。もう20年以上も前の話、まだデジカメなどない。ペンタックス、昔ながらの写真フィルムを使った、いわゆる銀塩カメラだ。今は押入れの奥で眠っている。おそらく、まだ使えるだろう。そのうち『開運! なんでも鑑定団』にでも出そうかと思っている。我が家では妻の祖母からもらった壺と並び(これも怪しい?)、同番組の有力候補である。
いっぱしのカメラ小僧だった僕が、いつからだろう、ぱったり写真を撮らなくなった。結婚式や何かの会では写真を撮るが、旅先では撮らない。そもそも旅行にカメラを持って行かない。なぜか。それは、あるとき写真の構図やカメラのアングルしか考えず、景色を楽しまない、楽しめない自分に気が付いたからだ。一期一会と言うと大げさだが、景色をしっかり自分の目で見、脳裡に焼き付けよう、印象に残そう、と思ったのである。
ガウディの話のはずが、こいつ何を言っているのだろうと不思議に思われた方、そう、長々と書いたのは実はお詫びからである。“ガウディ”ネタのブログにはつきものの写真がここにはない。皆様には不自由をかけ申し訳ないが、読んで関心を持たれた方は他のブログで写真をご覧になって欲しい。
気を取り直し、ガウディの話。バルセロナにはガウディを、特にサグラダ・ファミリアを見に行った。中世のゴシック建築の教会ならいざ知らず、19世紀の終りから既に100年以上の歳月をかけ、作り続けている教会。ガウディを好きというのではない。それどころか、ガウディの前衛的というか、突拍子も無く過剰な装飾には付いて行けない気さえしていた。が、しかし、サグラダ・ファミリアにはとても興味があった。
まずカサ・ミラやそこの博物館でガウディの基礎を勉強。次にグエル公園へ。グエルはガウディのパトロンであり、良き理解者である。グエル公園は、当初、公園ではなく住宅分譲地だった。高台の緑の中にある素敵な“ガウディ・ワンダーランド”にお家はいかが、というのがコンセプトである。緑に加え、広場や噴水もあり、それに妙な、もとい、ガウディらしい装飾の数々。
環境としては申し分ない。ただ、これがガウディのデザインでなければ、というのが僕の率直な感想。凡人の僕にはもっと平凡な方が良い。
もっとも、そう思ったのは僕だけではないようだ。なんと住宅は2軒しか売れなかったのである。それもグエルとガウディ本人。このためここは公園になった。まあ、今の我々にしてみると、不幸中の幸いである。公園としては悪くない、いや、悪くないどころか、おもしろいし、とても洒落ていると思う。
公園の中で音楽を聞いた。スピーカーから流れるBGMではない。そんな野暮ではない。バイオリン弾きだ。行ったのは、真夏、猛烈に暑い時だったが、バイオリンが響く、そこだけは別世界だった。写真はないが、鮮やかな印象として心の中に残っている。美しい、どこか物悲しいバイオリンの音が大変よく似合う、ここはそんな公園である。
さて、まだ本題に行きつかないが、続き、サグラダ・ファミリアの話は次回にする。悪しからず。
いっぱしのカメラ小僧だった僕が、いつからだろう、ぱったり写真を撮らなくなった。結婚式や何かの会では写真を撮るが、旅先では撮らない。そもそも旅行にカメラを持って行かない。なぜか。それは、あるとき写真の構図やカメラのアングルしか考えず、景色を楽しまない、楽しめない自分に気が付いたからだ。一期一会と言うと大げさだが、景色をしっかり自分の目で見、脳裡に焼き付けよう、印象に残そう、と思ったのである。
ガウディの話のはずが、こいつ何を言っているのだろうと不思議に思われた方、そう、長々と書いたのは実はお詫びからである。“ガウディ”ネタのブログにはつきものの写真がここにはない。皆様には不自由をかけ申し訳ないが、読んで関心を持たれた方は他のブログで写真をご覧になって欲しい。
気を取り直し、ガウディの話。バルセロナにはガウディを、特にサグラダ・ファミリアを見に行った。中世のゴシック建築の教会ならいざ知らず、19世紀の終りから既に100年以上の歳月をかけ、作り続けている教会。ガウディを好きというのではない。それどころか、ガウディの前衛的というか、突拍子も無く過剰な装飾には付いて行けない気さえしていた。が、しかし、サグラダ・ファミリアにはとても興味があった。
まずカサ・ミラやそこの博物館でガウディの基礎を勉強。次にグエル公園へ。グエルはガウディのパトロンであり、良き理解者である。グエル公園は、当初、公園ではなく住宅分譲地だった。高台の緑の中にある素敵な“ガウディ・ワンダーランド”にお家はいかが、というのがコンセプトである。緑に加え、広場や噴水もあり、それに妙な、もとい、ガウディらしい装飾の数々。
環境としては申し分ない。ただ、これがガウディのデザインでなければ、というのが僕の率直な感想。凡人の僕にはもっと平凡な方が良い。
もっとも、そう思ったのは僕だけではないようだ。なんと住宅は2軒しか売れなかったのである。それもグエルとガウディ本人。このためここは公園になった。まあ、今の我々にしてみると、不幸中の幸いである。公園としては悪くない、いや、悪くないどころか、おもしろいし、とても洒落ていると思う。
公園の中で音楽を聞いた。スピーカーから流れるBGMではない。そんな野暮ではない。バイオリン弾きだ。行ったのは、真夏、猛烈に暑い時だったが、バイオリンが響く、そこだけは別世界だった。写真はないが、鮮やかな印象として心の中に残っている。美しい、どこか物悲しいバイオリンの音が大変よく似合う、ここはそんな公園である。
さて、まだ本題に行きつかないが、続き、サグラダ・ファミリアの話は次回にする。悪しからず。