かなり前に投稿した 市内の天満宮の狛犬のその後わかったこと。石川啄木作品に記載されているのは『明星』誌(明治12年刊行:午歳第12号)の「葬列」にその一文がある…ことが最近わかった。
「石狛よ 汝も亦 詩を解する奴だ。」の表現でした。今風ならユルキャラの追っかけ?(デレッタントな?)感覚をも連想する。
おそらくこのお宮の近隣に一時住んでいたので 何度も散策で会っているうちに 自分を映す鏡のような存在になっていたのでしょう。
古い神社の写真を見ると当時は今のように台座の下に大きい石はなく 狛犬の像は直接地面に置かれていました。
(アングルが変われば いまとかなり違う感覚でしょうから…微妙な変化を改めて感じてきました。)