25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

人間なんて不規則にできているんだ

2015年05月06日 | 文学 思想
 人の死というのは自分では経験できない。だから人それぞれの死に特段の価値評価はないように思える。あの人は短命だった。あの人は長寿だった。長寿だからいいわけでもなく、短命だったから悪いわけでもない。これは「生き方」や「思想」の個人的な問題である。
 「老化は治せる(後藤眞・集英社新書)」を読むと、老化は炎症という病気なのだそうだ。そして炎症には4つあって、胎児のときから始まる自然炎症(これは微小な細胞分裂などのことをいうのだと思う)、急性炎症、慢性炎症、弱い炎症があり、自然炎症以外の炎症は病気であるということだ。内容の相当部分を省くが、簡単に言えば、炎症=酸化のことであり、本書は最後の章で炎症、つまり老化を防ぐ方法を紹介している。
 1)抗酸化作用のある食品(温州みかんやトマトなど)をとること、2)鶏卵や肉などアルブミンタンパク質が入っている動物性たんぱく質もとること 3)亜鉛を摂ること 4)噛むこと 5)よく歩くこと 6)紫外線にさらさされ続けないこと 7)朝起きたときに水を飲むこと 8)7時間の睡眠をとること 9)規則的な生活をすること、と言っている。最後にストレスにさらされないことを挙げている。

 こういうふうに言われると、反発したくなってくる。これでは人のいないところに住めば老化がなくなるということになるのではないか、と言いたいわけではない。
 「規則的な生活を送ること」にひっかかるのだ。僕は人間は「不規則性から免れることはできない」と思っている。第一に言葉を話すときでも、長いフレーズと短いフレーズがあり、その時の呼吸は不規則である。呼吸はそもそもが不規則である。それが人間というものだと思う。規則性に神経を使うことの方がよほどストレスのような気がする。
 人間の社会では夜働く人もいる。毎朝同じ時刻に起きる人などは多くはいないように思う。腹が減ったら食べるのがバリ人である。決まった食事時間があるわけではない。
 僕らは太陽に支配を受け、同時に月にも影響を受けている。天候にも影響され、もしかしたら金星にも影響を受けているかもしれない、と思うと、言語の発生と同じように複雑きわまりない不規則性の中で生きているとしかいいようがない。
 それを老化=炎症=酸化しないために、上記のような生活をおすすめされてもできるわけがないのである。

 後藤眞という博士がどんな生活をしているのか知らないが、僕は無茶なことをいうねえ、と思う。それでも得ることはある。炎症=酸化と考えていいということだ。と言ってポルフェノールに抗酸化作用があるということはわかっていないのも事実だ。フランス人には脳梗塞や心筋梗塞を起こすような動脈硬化の人が少ないというデータだけのことだ。その真実はわかっていない。だが、ワインをよく飲むからではないか、とワインメーカーたちがうまく利用しただけの話である。抗酸化作用のありそうなベータカロチンなどもまだわからない途上であるから、何が抗酸化なのかわからない。まあ、普段の食事の栄養のバランスをとっていうことになるし、なんでも腹八分目ぐらいで抑えておくということになる。

 「過酸化脂質が悪い」と一事よく言われた。それは正しいのだろう。
 それでも僕らはマーガリンを食べることを余儀なくされる場合があるし、肝臓力よりも多めにアルコールを飲むときもある。いちいちこだわってはおれない、というのが僕の率直な感想である。これはいかんともしがたい。いくつで死のうとも死ねば死にっきりではないか。
 そんな話をしていたら、磯へいく僕に妻が「磯で死んでもあなたは本望だろうけど、捜索費なんてかかるんだからね。その辺ちゃんとわかってよ」と言われた。「う~ん」