25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

楽しい

2015年05月14日 | 日記
昨日はたいへん愉快だった。岡田さんと「与太呂」で酒を飲み、舌鼓をうち、純米酒だけではなく、セントリュースという美味しいウイスキーまでも飲んで、次の飲み屋に突入したのだった。
 剣道の話、骨ストレッチの話。酒やウィスキーの話、男の女、人間の関係の話、安保法制の話、村上春樹の「1Q84」もでてきたし、青豆もヤナーチェクも多崎つくるも、リストもでてきてたいへん愉快であった。ここまで愉快にさせてくれたのはママさんが僕らに気を許していることもあったのだろう。彼女もそんな話が好きで、岡田さんは、僕がぼんやり思っていることを具体的な言葉にしてくれるので、納得、目からウロコ、そんな見方があるのか、腑に落ちる、とつくづく思ったのだった。これをそのまま録音記録して会話として書いたらよほどおもしろいことだろうと思ったのだった。今それを根気よく再現する力がない。酔っぱらってもいるので、脳がまだらになって記憶の言葉が抜け落ちている。

 どれだけ飲んだかって、相当飲んだ。日本酒は一升の半分以上は飲んだし、ウィスキーは余っていた「竹鶴」と「山崎」も飲んでしまったし、新しい「竹鶴」も半分までとはいかないが飲んだ。ようするにしこたま飲んだ。僕はその前の日、日本酒を一升ほど飲んでいたが、この日のアルコール量もたいしたもんだが、翌日はなんということもない。二日酔いもない。逆に爽やかである。草刈までしてしまったし、クマの手もまでも買いに行って、精を出した。
 気持ちのよい酒を飲んでいたら体なんてなんということもないのだ。つらい、悲しい、腹が立つ、苦しい、やけっぱちだという中で酒を飲むときっと翌日は身体の調子が悪いだろう。僕はそういうときに酒を飲んだことがないので、知らない。
 楽酒に限る。あと、音楽などききながら、ゆったりと、というのもよい。
 
 話がいがある人というのはめったにいないものだ。そんな人がそばにいるというのはとてもありがたいものだ。
 昨日岡田さんは酒の席で、僕が日本語学習のテキストを作っている、と言ったら、エルサレムではヘブライ語を速習させるメソッドがある、という話を聞いたことがある(読んだことがある、といったかもしれない)と言った。それは僕のアンテナに触れた。僕は彼から有効な知識をもらうことが多い。日本語を習うにしても英語を習うにしても「教授法」、つまりメソッドが大事で、これが案外、重要視されていないで、だらだらとテキストは受け継がれている。英語の教科書も相変わらずで、教え方も相変わらずである。日本語学習テキストを見ていてもそこに「速習させるぞ」という意気込みも知恵もない。当然、僕はそのヘブライ語の教え方のメソッドを調べてみるつもりだ。
 ちょっとした話だ。それがちょっとのことか重大なことかは、こっち側のアンテナの話である。
 ああだ、こうだ、と気兼ねなく聞けたり、話せたりするのは実によい。そこに女がいればより楽しいという雰囲気だった。岡田さんの分析は鋭かった。

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